「マイネーム・イズ・ハーン」(英題:My Name Is Khan、ヒンディ題:माइ नेम इज़ ख़ान)は、2010年公開のインドのヒューマン・ドラマ映画です。カラン・ジョーハル監督、シャー・ルク・カーン、カージョルら出演で、さまざまな差別や偏見に晒されたアスペルガー症候群のイスラム教徒の主人公が、「ある決意」を胸にアメリカ大陸を横断、妻への愛を貫く姿を描いています。
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目次
スタッフ・キャスト
監督:カラン・ジョーハル
脚本:シバニ・バティージャ
出演:シャー・ルク・カーン(リズワン・ハーン、アスペルガーのイスラム教徒)
カージョル(マンディラ、ヒンドゥ教徒、アメリカで暮らすシングルマザー)
ジミー・シェルギル(ザーキル・ハーン、リズワンの弟、イスラム教徒)
ザリーナー・ワハーブ(ラジア・ハーン、リズワンとザキールの母)
ソーニャー・ジェハン(ハシーナ・ハーン、ザキールの妻、イスラム教徒)
ママジェニー(ジェニファー・エコルス)
ほか
あらすじ
- 主人公のリズワン・ハーンはアスペルガー症候群を患うインド人でイスラム教徒です。優しく育ててくれた母の死後、アメリカにいる弟を頼り渡米し、サンフランシスコでの生活を始めます。仕事で訪れた美容室で、同じインド人でヒンドゥ教徒のシングルマザー、マンディラに出会い、やがて二人は宗教の違いを乗り越えて結婚します。
- しかし、アメリカ同時多発テロ事件以降、イスラム教徒に対する強烈な差別や偏見が始まり、全てが変わってしまいます。、マンディラが再婚したことにより、イスラム教徒の姓に変わったマンディラの連れ子サミールは、それを理由に激しい差別やイジメを受け、ついには命を落としてしまいます。子供を失い絶望したマンディラは、ハーンと結婚したことを強く後悔し、激しくハーンを責めたてます。妻に激しく罵倒され追い出されたハーンは、妻の一言に「ある決意」をし、アメリカ横断の旅に出ます。
レビュー・解説
9.11を契機にイスラムへの偏見が膨らんだアメリカを舞台に、アスペルガー症候群を患うインド人でイスラム教徒の移民が、異教徒の妻への愛を愚直に貫く姿を描いた、感動的なボリウッド映画です。
私事ですが、ストックホルムのホテルのレストランで朝食をとっている時に、アラブ人の窃盗に遭った事があります。後ろから肩を叩かれ、振り向いた隙に、その仲間にパスポート、財布などが入ったアタッシュケースを盗まれてしました。警察に行ったり、大使館に行ったり、銀行に行ったりと、後始末でも大変な思いをし、その後、旅先でアラブ人に出会うと条件反射的に警戒モードに入ってしまうようになりました。おかげで、パリの路上で「道を教えてくれ」とアラブ人に聞かれ、「地元の人間に聞け!」と大声で言い返して、危うく集団窃盗を免れたこともあるのですが、よくよく考えてみると、条件反射的に警戒モードに入るというのは善良なアラブの方々に大変失礼なことです。問題は、いわば条件反射的に体が反応してしまうことで、これはなかなか消えません。より良い体験での上書きや、時間が必要なのかもしれません。
9.11以降、アメリカや世界の人々が、イスラム教の人々に警戒モードになってしまったのは、これに似たものではないかと思います。こうしたイスラム教徒への差別・偏見に関して、理屈ではなく、夫婦の間に生じる感情の観点から描いているのが、本作の最大の特徴です。主人公のリズワンとマンディラを演じるシャー・ルク・カーンとカージョルは、ジョーハル監督の作品に二度、出演している、監督にとって気心の知れたスター俳優であり、本作の脚本を気に入っての出演となりました。シャー・ルク・カーンは主人公同様、イスラム教徒で、ヒンドゥ教徒の女性と結婚しています。結婚後も互いの宗教を尊重し、子どもたちはヒンドゥ教とイスラム教の両方の儀礼に親しんで育っていると言い、映画の中でも同様な描写が出てきます。
ジョーハル監督と脚本のシバニ・バティージャは、「An Asperger Marriage」の著者、クリス・スレーター=ウォカー夫妻に会い、主人公リズワン・ハーンの多くをインスパイアされたと言います。また、主演のシャー・ルク・カーンの為に、ロンドン、ニューヨーク、ロスアンジェルス、インドの国際アスペルガー協会と調査の為の枠組みが作られ、彼自身がアスペルガーの人々と共に過ごしたり、ビデオを見たり、アスペルガー症候群に関する本を読み、話し方や、歩き方などの振る舞いを学んで、役作りができるようにしています。また、彼は自宅でもキャラクターになりきったままで過ごすなど、徹底的に役作りに取り組んでいます。アスペルガー症候群の症状は様々ですが、彼の一貫したパフォーマンスには目を見張るものがあります。
イスラム教に関する誤った認識を、理屈ではなく、感情の問題として印象的、劇的に描きたかったというカラン・ジョーハル監督は、イスラム教徒のリズワンと、ヒンドゥ教徒のシングルマザー、マンディラの恋愛をベースに本作を描いています。前半は、インドからアメリカに渡ったリズワンがマンディラと出会い、結婚、幸せな暮らしを始めるまでで、やがて9.11が勃発、二人の関係は、イスラム教と西側世界の微妙な関係を反映したものになっていきます。イスラム教徒の姓「カーン」に変わった為に、妻の愛する連れ子が差別やイジメを受け、ついには命を落としてしまいます。最愛の息子が命を落としたサッカー場で、妻が夫に見せる感情の発露が圧巻で、中盤のクライマックスになります。
マンディラ:私たちが殺した、私たちのせい・・・、黙って、聞こえなかった?、私たちが殺したのよ、私のせいよ。私がいけなかったの、あなたと結婚しなければこんなことには・・・。あなたは私と息子を愛してくれたから、名前がかわるぐらい何でもないと思った。「ハーン」になっても違いはないと思った。私が馬鹿だった、大違いよ。ぜんぜん違う、あなたと結婚しなきゃよかった。昔の名字のままなら生きてた。あなたの名前のせいで息子は死んだのよ・・・。もう死にたい。生きてても仕方がない・・・。お願いだからほっといて、お願いだからほっといて、ひとりにして。あなたの顔を見たくない。あなたを見ると息子の傷を思い出す。もう無理・・・、耐えられない。あなたと別れるわ。出ていって、今すぐ行って!早く行って、目の前から消えて・・・、早く行って!
マンディラを演じるカージョルは、インドで数々の賞を受賞している演技派の女優で、圧巻のパフォーマンスを見せます。もちろん、リズワンが殺したわけではないのですが、息子を失ったのはイスラムの夫と結婚した自分のせいと、激しく自分自身を責めるマンディラは、夫が見るだけで息子を失った傷が激しく痛むのです。溢れ出てくるマンディラの感情の発露を、アスペルガー症候群のリズワンは文字通りに受け取ってしまいます。
タイトルに使われている「ハーン」(英語表記:Khan)は、モンゴルを起源とする名字で、楼蘭で最初に使われました。後にインド、パキスタンやバングラデッシュのイスラム指導者によってこれが使われたことにより広まり、本作ではそれだけでイスラム教徒であることがわかる名前として、実に重みのある使われた方をしています。因みに、日本語では「ハーン」若しくは「カーン」と表記されますが、映画の中ではそのどちらでもなく、語頭をは喉頭蓋音で発音するのが正しいという場面があります。
<ネタバレ>
「いつ戻れば?」と言うリズワンに、感情的になったマンディラは、
マンディラ:戻る気なの?パンヴィルの人口は3万人よ。その3万人、全員があなたを憎んでる。彼ら全員を説得してみて。いっそアメリカの全国民に言って、「テロリストじゃないって」って。できる?あなたにできるの?無理ね。アメリカの大統領に言ってよ、「私の名前はハーン、テロリストじゃない」って。そしたら彼が国民に言う。「サミールはテロリストの子じゃない」と。ただの子供よ、私の大事な子供。それができたら、戻ってきて。行きなさい。
とまくし立てます。これを真に受けたリズワンは、大統領に会って「私の名前はハーン、テロリストじゃない」(My name is Khan. I'm not a terrorist.)と言う為に、アメリカを縦断する旅に出ます。このキーフレーズの前半が、この映画のタイトルです。簡単に大統領に会えるはずもなく、逆にテロリストと間違われて勾留されたり、過激派に刺されたします。旅の途中で世話になった南部の村がハリケーン・カトリーナに襲われ、助けに向かったリズワンがメディアに注目されます。これがマンディラやオバマ新大統領の知るところになり、リズワンは再会したマンディラとともに大統領に会うことができます。マンディラは心の中で、亡き息子に伝えます。
マンディラ:私の憎しみではできなかったことを、ハーンは愛と慈悲で成し遂げた。怒りは二人を引き裂いた、でも彼の愛は私を引き戻してくれた。多くの人々に希望をもたらした。もう彼をは離さないわ。この愛を大事にし続ける、私の為、そしてあなたの為に、永遠に。
<ネタバレ終わり>
- 地下鉄の駅で黙って見られる
- 食品市場で避けて通られる
- レストランでじろじろ見られる
といったことに悩まされていることを、ジョハール監督は本作の調査を進める中で知ったと言います。彼らは、村八分にされているような感じるというのです。世の人々が人間性、善良さの力を信じ、イスラム教を特別扱いせずに、他の宗教と同じように扱うようになるのが、ジョハール監督の望みです。もちろん、我々はそうした努力を惜しむべきでありません。しかし、原因がマンディラが受けたような心の傷にあるならば、より良い体験による上書きや、時間が必要になるかもしれません。
アメリカでは、9.11以降、顕在化したイスラム教徒への差別・偏見ですが、インドでも少数派(約13%)のイスラム教徒が迫害を受けることがあります。2002年には、イスラム教徒1000人以上がヒンドゥ教徒により殺害される事件が起きています。また、本作主演のシャー・ルク・カーンが、インドのクリケット・プレミアリーグが(イスラム系の)パキスタン人選手を1人も採用しなかったことを批判した為に、ヒンドゥ至上主義政党「シブ・セナ」が猛反発、本作の上映妨害を宣言し、ムンバイ市内の映画館に暴動鎮圧用装備に身を固めた2万1000人の警官が出動、2つの映画館が襲撃され、1800人以上のシブ・セナ支持者が身柄拘束される事件も起きています。
当初、海外展開を考えていなかったジョハール監督ですが、「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)を見て、本作が海外でも通用すると考えたそうです。「スラムドッグ$ミリオネア」はインド制作の映画ではありませんが、インド的な雰囲気に満ちており、インド人の俳優もたくさん出演しています。ジョハール監督は彼の映画に欠かせなかったインド映画特有の歌と踊りを封印、一人の誠実な男の物語を現実的に描くことに挑戦しました。本作を評して長過ぎる(2時間45分)、「フォレスト・ガンプ」の二番煎じ、終盤が大味といった意見もあるようですが、映画作りが小賢しくなった昨今、多少アラがあったとしても、恋愛を題材にのっぴきならない宗教問題に関してストレートに感情に訴えるアプローチは、新鮮で強烈です。
「ボリウッド映画は特殊、まずは作って海外に出したい」とジョハール監督は謙虚ですが、本作は全世界で約4千万ドルの興行収入を上げる成功を収めました。ここ数年来、
- 「きっと、うまくいく」(2009年)
- 「スタンリーのお弁当箱」(2011年)
- 「神様がくれた娘」(2011年)
- 「マッキー」(2012年)
- 「命ある限り」(2012年)
- 「バルフィ!人生に唄えば」(2012年)
- 「めぐり逢わせのお弁当」(2014年)
など、国際標準を取り入れながら、インド映画の特徴を強く出した作品が目白押しで、否が応でも今後もボリウッド映画への期待が高まります。
シャー・ルク・カーン(リズワン・ハーン)
カージョル(マンディラ)
撮影地(グーグルマップ)
- 冒頭、リズワンが現れるサンフランシスコ国際空港
- マンディラが働いていた美容室があった場所
- リズワンとマンディラが歩く、サンフランシスコの坂道
- コイト・タワー
- ミッション・ディストリクト
- ガンディー像(ゴールデンゲート・フェリー・ターミナル)
- ストー・レイク(ゴールデンゲート公園)
- マンディラが身の上話をするヨットハーバーの防波堤
- リズワンが泊まろうとしたケンタッキーのモーテル
設定はケンタッキーだが、撮影はカルフォルニアで行っている。
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