「イカとクジラ」:離婚の実際と家族に与えるインパクトをウィットを効かせながら描き、子供の成長を予感させる自伝的ドラマ
「イカとクジラ」(原題:The Squid and the Whale)は、2005年公開のアメリカのドラマ映画です。ノア・バームバック脚本・監督、ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニー、ジェシー・アイゼンバーグらの出演で、1980年代のブルックリンを舞台に、多くの欠点を抱えた親子4人の悲喜こもごもを描いています。第78回アカデミー賞脚本賞にノミネートされた作品です。
目次
スタッフ・キャスト
監督:ノア・バームバック
脚本:ノア・バームバック
出演:ジェフ・ダニエルズ(バーナード・バークマン)
ローラ・リニー(ジョーン・バークマン)
ジェシー・アイゼンバーグ(ウォルト・バークマン)
オーウェン・クライン(フランク・バークマン)
ウィリアム・ボールドウィン(アイヴァン)
アンナ・パキン(リリー)
ハーレイ・フェイファー(ソフィー)
ケン・レオン(セラピスト)
ほか
あらすじ
1986年、ブルックリンのパークスロープに住むバーナード・バークマン(ジェフ・ダニエルズ)は、かつては人気作家でしたがスランプが続き、今では教職で生計を立てていますが、妻のジョーン(ローラ・リニー)は新進作家として成功を収めています。夫婦の間に緊張が高まり、二人はついに別れることを決意、16歳のウォルト(ジェイス・アイゼンバーグ)と、12歳のフランク(オーウェン・クライン)の二人の息子にそのことを伝えます。バーナードとジョーンは別居、兄弟は父と母の家を行ったり来たりの毎日を過ごします。父親に傾倒しているウォルトは母を責め、母親が大好きなフランクは父を拒絶、4人の気持ちはバラバラになります。俗物タイプのテニスコーチ(ウィリアム・ボールドウィン)がジョーンの新しい恋人になり、今まで浮気する勇気もなかったバーナードは、若くて美しい教え子のリリー(アンナ・パキン)にうつつを抜かします。ウォルトは学園祭のコンテストで、自作と言いながらも実は100%パクリの歌を歌い優勝、後日その事実が発覚し、ウォルトは学校の指導を受けます。セラピストにいい思い出は何か聞かれ、6歳の頃母親と一緒に行った自然史博物館の思い出がウォルトの頭に浮かびます。怖くてたまらなかった博物館の「イカとクジラ」のジオラマについて、母がその日、おもしろおかしく話してくれたこと、あの頃母が大好きだったことを思い出します・・・。
レビュー・解説
離婚の実際とそれが家族に与えるインパクトを、飾ることなく、辛辣なウィットを効かせながら描いた脚本が素晴しいです。子供達にとって親の離婚は悲劇ですが、コミカルな描写もあり、子供の成長をも予感させる作品に仕上がっています。
なかなか良く出来た脚本ですが、実はノア・バームバック監督自身の両親も離婚しており、その経験が色濃く反映しています。ノアは当初、ウェス・アンダーソンによる監督を希望しましたが、脚本があまりにも個人的な内容なので、逆に自分自身で監督をやるように説得されました。自叙伝的な内容ではありますが、歌をパクった話はノアの高校時代の友人の似た体験を借用するなど、全て事実というわけではなく、また脚本に書くにあたっては悲劇にならない様に注意したそうです。
タイトルの「イカとクジラ」(原題:The Squid and the Whale)は、深海で死闘を繰り広げるマッコウクジラと大王イカに由来し、離婚を巡って争う男と女の暗喩となっています。ウォルトは6歳の頃、自然史博物館の闘うイカとクジラの展示を怖くて正視できませんでしたが、同様、親の愛を一身に受けて育つ子供にとって両親の争いや離婚は耐え難いものでしょう。
両親が離婚に至る直接の契機は妻の浮気ですが、ジョーンは浮気の理由を「辛かったから」とは言うだけで、浮気の理由は必ずしも明確に示されていません。ウォルトは父親の感化されており、母親に批判的ですが、父親も高校生の息子と彼女をR指定の映画に連れて行ったり、一緒に食事してもお金を払ってあげないなど、あまり良い父ではありません。父も母も相当身勝手ですが、この映画はその辺りを飾る事なく描いています。
子供にとって耐え難い両親の争いや離婚ですが、それが自然の摂理のようなものであるならば、傷つきながらも子供は学んでいくしかありません。自然史博物館の闘うイカとクジラの展示を怖くて正視できなかったウォルターですが、母親はおもしろおかしく話してくれました。父のバーナードはウォルーターに自分の経験を踏まえて、恋人とのつきあい方を執拗にアドバイスし、ウォルターは父の相手のリリーにも惹かれます。不幸にも離婚に発展してしまった両親ですが、子供は傷つきながらも、そんな親を直視し、男と女の関係を直視し、学んでいくしかないのです。
脚本のみならず演技も素晴しく、ジェフ・ダニエルズとローラ・リニーが演ずる夫婦に男と女の本音、本質が見えるようです。ジェシー・アイゼンバーグは撮影時21歳、「ソーシャル・ネットワーク」でブレイクする6年前ですが、とてもフレッシュで、大人になりかける高校生を好演しています。彼の恋人役を演じたハーレイ・フェイファーがちょっと気になりましたが、舞台メインで活躍する女優で脚本家でもあるようです。
余談になりますが、人間の恋愛の賞味期間は数年という話を聞いたことがあります。幸福を感じる脳内物質が分泌されなくなるため、愛し合って結婚しても、数年もすれば醒めてしまうというものです。これは、昔、二足歩行を始めたばかりの人類は、子供が二歳ほどになると、
- 女性は男性の助けを必要としなくなった
- 多種多様の子孫を残すために、新たな相手を見つけた
ことに符合し、他の動物にも同様のパターンが多いと言われています。
多くの場合、子供の為、経済的理由、世間体などで、子供が2歳になったらすぐに離婚とは進みませんが、元より離婚の多いアメリカでは世間体の障壁が低く、女性に経済力があれば、離婚は時間の問題になります。落ち目の作家である夫バーナードに対して、新進作家として成功している妻のジョーンが浮気を始める辺りは、まさにこの自然の摂理に符合するようで興味深いです。
倒れて救急車に運び込まれるバーナードは、ジョーンに「dégolas」(最低な女)と言います。これはフランス映画「勝手のしやがれ」のラストで、撃たれて息絶えるジャン=ポール・ベルモンドが死に際に残した「お前は本当に最低だ」というセリフからの引用なのですが、「勝手のしやがれ」ではそれを受けたジーン・セバーグが自分の唇に指を触れ「最低って何?」とつぶやきます。実は「イカとクジラ」の序盤で、ジョーンが鏡に向かってジーン・セバーグのような仕草をするシーンがありますが、これはジョーンが自分を「最低な女」と思っていない事を暗示しているようでもあります。浮気が自然の摂理のようなものであれば、無理からぬこともかもしれません。
私は離婚や浮気を肯定するわけではありませんが、人類の歴史に比べれば婚姻制度の歴史は非常に浅く、我々はその短い期間の倫理に縛られているとも言えます。アメリカでは離婚が日常茶飯事であり、個人主義の浸透や女性の権利拡大により日本でも増えていくでしょう。私の知人の女性の一人は、「結婚が『して当然』から『メリットをあまり感じられない』風潮になってきている。人生のパートナーを結婚相手以外に見つけることもあるし、子供だって望むなら結婚しないでも産むことができる。」と言っています。今後が興味深いところですが、例え経済的な問題が解決できたとしても、最低限、子供の成長に悪影響を与えない配慮は必要でしょう。
闘うイカとクジラの展示
ジェフ・ダニエルズ(バーナード・バークマン、左)と
ローラ・リニー(ジョーン・バークマン、右)
ジェシー・アイゼンバーグ(ウォルト・バークマン、左)と
オーウェン・クライン(フランク・バークマン、右)
ウィリアム・ボールドウィン(アイヴァン)
アンナ・パキン(リリー、右)
ハーレイ・フェイファー(ソフィー)
動画クリップ(YouTube)
両親が息子達に別居を伝えるシーン〜「イカとクジラ」
「勝手にしやがれ」のエンディング
撮影地(グーグル・マップ)
バークマン一家が住んでいた家
関連作品
ジェシー・アイゼンバーグ出演作品のDVD(Amazon)
「アドベンチャーランドへようこそ」(2009年)
「ゾンビランド」(2009年)
「ソリタリー・マン」(2009年)
「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)
「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」(2013年)
「人生はローリングストーン」(2015年)
「愛と追憶の日々」(1983年)
「スピード」(1994年)
「消されたヘッドライン」(2009年)
「トゥルーマン・ショー」(1998年)
「ミスティック・リバー」(2003年)
「愛についてのキンゼイ・レポート」(2004年)
「アメリカを売った男」(2007年)
「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」(2015年)
「ハドソン川の奇跡」(2016年)