「アノマリサ」:人と心が繋がらない苦しみを描きながらもかすかな希望を感じさせる、大人向けのストップモーション・アニメーション映画
「アノマリサ」(原題:Anomalisa)は、2015年公開のアメリカのストップモーション・アニメーションによるコメディ&ドラマ映画です。2005年にフランシス・フレゴリのペンネームで書かれた同名の朗読劇を、チャーリー・カウフマンが脚色、チャーリー・カウフマン/デューク・ジョンソン共同監督、デビッド・シューリス、ジェニファー・ジェイソン・リー、トム・ヌーナン出演で、カスタマーサービス界で名声を築き、本も出版、妻子に囲まれ恵まれた人生を歩んでいるかに見えるものの、実はすべての人間が同じに見え、同じ声に聞こえるという苦難を背負うマイケル・ストーンが、講演の為にシンシナティを訪れ、固有の顔と声を持つ女性リサと出会って共に過ごす特別な夜を描いています。第88回アカデミー賞長編アニメーション部門にR指定映画として初めてノミネートされた作品です。
「アノマリサ」のDVD(Amazon)
目次
スタッフ・キャスト
監督:チャーリー・カウフマン/デューク・ジョンソン
脚本:チャーリー・カウフマン
原作:フランシス・フレゴリ朗読劇「アノマリサ」
出演:デビッド・シューリス(マイケル・ストーン、カスタマー・サービスの大家)
ジェニファー・ジェイソン・リー(リサ・ヘッセルマン、マイケルと同宿)
トム・ヌーナン(その他全員)
あらすじ
- 2005年、カスタマーサービスの専門家、マイケル・ストーン(デビッド・シューリス)は、新刊の著作を講演で宣伝する為にオハイオ州シンシナティのホテルに出かけます。彼には、妻も息子も周囲の誰にでも距離が感じられ、皆、同じ顔に見え、同じ声に聞こえます。到着したホテルで講演の練習をしますが、彼がその昔、捨てた恋人ベラ(トム・ヌーナン)からの怒りの手紙が頭に浮かんで離れません。彼はホテルのバーでベラと会いますが、ホテルの部屋に誘われた彼女は激怒して帰ってしまいます。子供へのおみやげを買う為に散歩に出かけたマイケルは、間違って大人のおもちゃの店に入ってしまいますが、そこで見たアンティークの芸者のからくり人形に魅了されてしまいます。
- シャワーを浴びた後、マイケルの耳に他の人々の声とは違う女性の声が聞こえて来ます。部屋を飛び出したマイケルは、友人とともにマイケルの講演を聴く為にホテルに泊まっていたリサ・ヘッセルマン(ジェニファー・ジェイソン・リー)と出会います。自らの容姿を自信を持てないと言うリサですが、他の人とは違う容姿と声に魅了されたマイケルは、二人をバーに誘います。その後、マイケルはリサを部屋に誘い、驚いたリサは自分は特別な存在ではないと言い張りますが、マイケルは彼女が髪で隠す顔の傷さえ称賛するほど、彼女に魅了されます。好きだというシンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」を歌い、自分自身について語るよう、マイケルはリサを促します。マイケルはリサを「アノーマリー」(普通と違う)と表現し、彼女に「アノマリサ」というニックネームをつけ、親密になった彼らはセックスをします。
- 眠りに落ちたマイケルは、リサと一緒になってはいけない、愛していると、同じ顔をした人々に追いかけられる悪夢を見ます。夢に触発されたマイケルは、一緒に逃げて新しい生活を始めようと、リサにプロポーズします。一瞬、躊躇した彼女はすぐに同意しますが、マイケルは彼女の朝食の食べ方が気になり、やがて彼女の顔や声が他の人々と同じになり始めます・・・。
レビュー・解説
世の中が平板に見え、他人と心が繋がらない苦しみを描きながらも、かすかな希望を感じさせる本作は、チャーリー・カウフマンの確かな才能と、ストップモーション・アニメーションの繊細な表現力に裏打ちされた、大人向け(R指定)のユニークな作品です。
他人と心が繋ぐことができずに苦しむ主人公と、ホテルで出会った女性の一夜を描く
- 15分間だけ俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入り込むことができるという「マルコヴィッチの穴」(1999年)
- 嫌いになった恋人に関する記憶だけを手術で除去してしまうという「エターナル・サンシャイン」(2004年)
など、奇想天外な設定で知られるチャーリー・カウフマンの脚本・監督作品です。本作では、他人が皆、同じ顔に見え、同じ声に聞こえるとという設定で、他人と心が繋ぐことができずに苦しむ主人公のマイケルが、彼にとって特別な女性であるリサと知り合い、心を通い合わせる様を、人間味のある繊細なストップモーション・アニメーションで描いています。感じられることは様々ですが、例えば、
- 例え、どんなに世の中がつまらないものに見えたとしても、たったひとりの女性の存在が人生を輝かせてくれる時があるかもしれない
- それは一時の幻想かもしれないが、その幻想があるからこそ辛い人生を生きることができるのかもしれない
などと感動させる一方で、非常に深みを持った作品でもあります。
穴埋めの為に急遽制作された原作
手間のかかるストップモーション・アニメーションで制作された感動的な作品は、実はカウフマンが穴埋めの為に急遽制作した、同名の朗読劇が原作です。コーエン兄弟の一連の作品や、数々の名作映画の音楽を作曲しているカーター・バーウェルというアメリカの作曲家が、彼の映画音楽をイブニングコンサートで指揮して欲しいと、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールから依頼を受けました。映画なしの映画音楽に魅力を感じていなかった彼は、朗読劇と音楽を組み合わせて上演することを考え、コーエン兄弟とカウフマンに話を持ちかけました。舞台の上にいるのは、朗読する俳優と音楽を指揮するバーウェル、そして音響効果のアーティストです。コーエン兄弟が一作、カウフマンが一作の朗読劇を作り、ニューヨークとロンドンで公演が行われました。しかし、その後のロス・アンジェルス公演でスケジュールの都合によりコーエン兄弟の作品が上演できなくなり、その穴埋めの為に急遽、カウフマンが制作したのが、本作の原作「アノマリサ」です。この頃、フレゴリの錯覚(誰を見ても、それを特定の人物と見なしてしまう現象)の本を読んでいたカウフマンは、少ない人数で演じなければならないこの劇に、フレゴリの錯覚を取り入れました。すべての人間が同じに見え、同じ声に聞こえるという設定の脚本を、彼はフランシス・フレゴリというペンネームで書いたのです。
カーター・バーウェルが音楽を手がけた主な映画
ブラッド・シンプル(1984年) 赤ちゃん泥棒(1987年) ミラーズ・クロッシング (1990年) バートン・フィンク (1991年) ファーゴ (1996年) スパニッシュ・プリズナー(1997年) ゴッド・アンド・モンスター (1998年) ビッグ・リボウスキ(1998年) マルコヴィッチの穴(1999年) スリー・キングス (1999年) バーバー(2001年) アダプテーション(2002年) |
愛についてのキンゼイ・レポート Kinsey (2004年) ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男(2006年) ノーカントリー(2007年) その土曜日、7時58分 (2007年) ヒットマンズ・レクイエム(2008年) キッズ・オールライト(2010年) トゥルー・グリット(2010年) セブン・サイコパス (2012年) キャロル(2015年) ヘイル、シーザー! (2016年) ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(2016年) スリー・ビルボード(2017年) |
一夜限りの上演で終わった「アノマリサ」の原作ですが、カウフマンの友人で、主にテレビで活躍するアメリカの作家・プロデューサー・俳優のディーノ・スタマトプロスが、観客の中にいました。後に彼は、スターバーンズ・インダストリーというストップモーション・アニメーションの制作会社を起こします。朗読劇「アノマリサ」の脚本のコピーを持っていたディーノが、2011年、同社のデューク・ジョンソン監督とともにカウフマンに「アノマリサ」のストップモーション・アニメーション化をもちかけました。オリジナルの朗読劇では、例えば、数メートル離れた男女の俳優が真面目にセックスシーンを朗読するその真中で、音響効果のアーティストがシーツの擦れる音を作っているのが見えるという面白さがあったのですが、ストップモーション・アニメーションとなると、劇は全く別物になります。原作が一夜限りの上演の為の急ごしらえだったこともあり、カウフマンは面食らいましたが、彼が監督した「脳内ニューヨーク」(2008年)が興行的に失敗、その後もリーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発する世界金融危機の影響で思うにように映画を制作できずにいたカウフマンは、「お金が集まればやるよ」とストップモーション・アニメーション化を受けます。かくしてディーノとデュークは kickstarter.com でクラウドファンディングを募り、目標の20万ドルに対して、40万ドルの資金を集め、本作が実現しました(映画製作には、他の資金も合わせ、約800万ドルかかっていると推定されている)。
6ヶ月かけて丁寧に制作されたセックス・シーン
この映画には、マイケルとリサのセックス・シーンがありますが、これがこの映画のひとつの重要な山場となっています。二人が出会い、マイケルの熱心なアプローチに二人は徐々に親密になり、セックスに至るわけですが、その過程が自然であればあるほど、この映画がもたらす感動が大きくなります。人形劇でセックス・シーンを描いたのは「アノマリサ」が初めてではありません。マリオネット(糸操り人形)による映画「チーム・アメリカ ワールドポリス」(2004年)でもセックス・シーンが描かれています。この映画は政治風刺劇で、セックス・シーンも滑稽に描かれていますが、これに比較すると「アノマリサ」のセックス・シーンにどれだけ手間をかけて丁寧に制作されているかがわかります(後掲の動画クリップを参照)。
本作では、しっかりとした脚本に基づいた上で、ベッドの凹み具合や、マイクとリサの体の動き、体の重なり具合、密着感などを、様々な技巧を尽くしながら自然に再現しており、わずか数分のセックス・シーンの撮影に6ヶ月もかけられました。通常はアニメーター自身がモデルになり、アニメーションの動きを研究しますが、さすがにベッドシーンのモデルは誰もやりたがらなかった為、男女のアダルト俳優を雇い、参照用のビデオが撮影されました。アニメーションはこのビデオを参考にしながら、緻密に再現されています。映画の中でリサがベッドに頭をぶつけるシーンがありますが、これはビデオ撮影時にモデルの女優が誤って頭をぶつけたのが面白かったので、そのまま映画に再現されたものです。
衝撃の展開と物語の多層性
他人と心を繋ぐことができずに苦しむマイケルが、特別な女性であるリサと心を通い合わせる夢のような一夜を過ごすのも束の間、マイケルは再び、心が繋がらない世界に引き戻されます。
- マイケルが認識する世界・・・人はみな同じ顔、同じ声をしており、心を通わせることができない
- 一般の人々が認識する世界・・・人はそれぞれの個性を持ち、心を通わせることができる
<ネタバレ>
リサの朝食の食べ方が気になり、彼女の顔や声が他の人々と同じになり始めた後のマイケルの講演は支離滅裂なものになりました。誰も話し相手がいないと告白したり、アメリカ政府の悪態をついたりして、彼は聴衆をドン引きさせます。自宅に帰ったマイケルは、おみやげに買ったアンティークの芸者のからくり人形を当惑する息子に渡します。妻はサプライズ・パーティを企画していましたが、マイケルはパーティに来てくれた人々が誰なのか、全くわからず、妻に当ります。妻は、からくり人形から精液のようなものが流れて出ているのに、気がつきます。マイケルはひとり階段に座り、からくり人形が歌う「桃太郎」を聞きます。その頃、リサは彼に「またいつか、会えるといい」と手紙を書いています。その隣で車を運転する友人は、誰とも同じ顔ではなく、彼女自身の顔をしています。
リサは実在の人物ではなく、からくり人形で、リサとの一夜はマイケルの幻想だったのか?という衝撃の展開ですが、それでは何故、最後にリサが登場してマイケルに手紙を書くのか、その意味が理解できません。実は、リサは実在し、マイケルと心の通う一夜は過ごすのですが、「フレゴリの錯覚」を病むマイケルは彼女を他の人間と同じと錯覚し始め、彼女との思い出をからくり人形との思い出と記憶してしまうのです。つまり、映画のラストシーンは、
- マイケルの錯覚・・・リサも他の人間と同じ顔、声をしており、心が繋がったのはリサではなく、からくり人形だった
- 実在するリサの認識・・・マイケルが出ていったのは残念だけど、彼と過ごせて良かった、いつかまた会えると良い
という、マイケルとリサの意識の二重構造になっているのです。孤独な世界から抜け出ることができないマイケルは絶望的ですが、そんなマイケルを受け入れるリサの存在が見る者にかすかな希望を与える、見事なエンディングです。
因みにアノマリサは日本語で「天国の女神」という意味と説明されていますが、これは天照大神(アマテラスオオミカミ)のことでしょう。マイケルが住む、人と心の繋がらない世界は、まさに天照大神が大岩戸に引きこもった後の闇の世界の様です。悪夢から目覚めたマイケルがアノマリサと二人で迎えた朝、そしてエンディングで手紙を書くアノマリサが光で包まれているのは、太陽神である天照大神の恩恵を連想させます。なお、アノマリサが歌に歌う「桃太郎」も日本神話を起源とする伝説です。
<ネタバレ終わり>
余談になりますが、マイケルの飯のタネであるカスタマー・サービスも、登場するホテルの支配人や従業員も、いわば心が繋がるフリをしてお金を稼ぐ商売です。リサもそんな業界の一員で、また顔に傷があるというハンディ・キャップも負い、少しばかり自信なさげですが、そうした現実を受け入れながらも深刻ではありません。彼女が歌うシンディー・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」(iTunesで聴く*3、Amazon MP3で聴く*4)の様に、いろいろ楽しみたいガーリーな女性としてヴィヴィッドに描かれており、マイケルがつけたアノマリサ(普通と違う)というニックネームとは裏腹の、決して珍しくない女性として演出されています。
本作の脚本はフランシス・フレゴリではなく、チャーリー・カウフマンでクレジットされていますが、カウフマンはフレゴリをホテルの名前として残しています。フレゴリの錯覚は一般的なものではありませんが、世の中が平板に見えたり、人と心が繋がらない苦しみは決して珍しいものではありません。フレゴリの錯覚にヒントを得ながらも、普遍的な含みのある脚本をにわか仕立てで書き上げてしまうカウフマンの天才ぶり、そしてその脚本を繊細で緻密なストップモーション・アニメーションで映画化したデューク・ジョンソンの力量に感服します。
マイケル・ストーン(カスタマー・サービスの大家、声:デビッド・シューリス)
妻も息子も周囲の誰にでも距離が感じられ、何故か他人が、皆、同じ顔に見え、同じ声に聞こえる。デューク・ジョンソン共同監督の元の義兄弟である俳優ヴィクター・ガーバーが、マイケル・ストーンの顔のモデルになっている。
リサ・ヘッセルマン(マイケルと同宿の女性、声:ジェニファー・ジェイソン・リー)
カスタマーサービス業界の一員で、マイケルの講演を聴く為にホテルに宿泊。顔に傷があり、少しばかり自信なさげだが、そうした現実を受け入れながらも深刻になることがなく、いろいろ楽しみたいガーリーな女性。
その他全員(声:トム・ヌーナン)
飛行機で隣席する男、タクシーの運転手、ホテルの受付、ボーイ、ウェイター、支配人マイケルの妻子など、マイケルとリサ以外のすべての登場人物が、同じで顔と声で表現されている。ストップモーション・アニメーション会社で働く人々の顔から、男女共通の顔を合成している。
動画クリップ(YouTube)
- 「アノマリサ」のクラウドファンディングを募るプロモーションビデオ」
kickstarter.com でクラウドファンディングを募集し、目標に20万ドルに対して40万ドルの資金が集まった。 - 制作に6ヶ月かけたというセックス・シーン
この映画の最も重要なシーンのひとつであるセックス・シーンは、6ヶ月もかけて撮影された。男女のアダルト俳優を雇い、参照用のビデオを撮影、それを参考にしながら、ベッドの凹み具合や二人のの体の重なり具合、動き、密着感などを、様々な技巧を尽くし自然に再現している。 - 「チーム・アメリカ ワールドポリス」(2004年)のセックス・シーン
人形劇でセックス・シーンを描いたのは「アノマリサ」が初めてではない。マリオネットで描いた映画「チーム・アメリカ ワールドポリス」(2004年)でもセックス・シーンを描いているが、これと比較すると「アノマリサ」のセックス・シーンにどれだけ手間がかけられているかわかる。
「アノマリサ」のDVD(Amazon)
関連作品
チャーリー・カウフマン監督・脚本作品のDVD(Amazon)
「マルコヴィッチの穴」(1999年)脚本
「アダプテーション」(2002年)脚本
「エターナル・サンシャイン」(2004年)原案・脚本
おすすめストップモーション・アニメーション映画のDVD(Amazon)
「ファンタスティック・プラネット」(1973年)
「The Adventures of Mark Twain」(1985年):輸入版、日本語なし
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」(1993年)
「ジャイアント・ピーチ」(1996年)
「チキンラン」(2000年)
「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(2005年)
「ティム・バートンのコープスブライド」 (2005年)
「A Town Called Panic」(2009年):輸入版、リージョン1,日本語なし
「コララインとボタンの魔女」(2009年)
「ファンタスティック Mr.FOX」 (2009年)
「フランケンウィニー」(2012年)
「パラノーマン ブライス・ホローの謎」(2012年)
「ザ・パイレーツ! バンド・オブ・ミスフィッツ」(2012年)
「LEGO ムービー」(2014年)
「ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム」(2015年)
「リトルプリンス 星の王子さまと私」(2015年)
「KUBO クボ 二本の弦の秘密」(2016年)
「ぼくの名前はズッキーニ」(2017年)
「犬ヶ島」(2018年)
関連記事
*1:本文に戻る
*2:本文に戻る
*3:本文に戻る
Girls Just Want to Have Fun - Cyndi Lauper(iTunes)
*4:本文に戻る
ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン(Amazon MP3)