夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「未来よ こんにちは」:後戻りできない時間の中で数々の人生の困難に直面する一人の女性の姿を、日常を通して深く洞察する人間ドラマ

「未来よ こんにちは」(原題:L'Avenir、英題:Things to Come)は、2016年公開のフランス・ドイツ合作のヒューマン・ドラマ映画です。ミア・ハンセン=ラブ監督・脚本、イザベル・ユペールら出演で、パリの高校で哲学を教える50代後半の女性教師が、突然、夫から離婚を告げられ、母を亡くし、仕事も停滞、可愛がっていたかつての教え子に生き方を批判されるなど、踏んだり蹴ったりの中で、強くしなやかに生きる姿をリアルに描いています。第66回ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞した作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ミア・ハンセン=ラブ
脚本:ミア・ハンセン=ラブ
出演:イザベル・ユペール(ナタリー)
   アンドレ・マルコン(ハインツ)
   ロマン・コリンカ(ファビアン)
   エディット・スコブ(イヴェット)
   サラ・ル・ピカール(クロエ)
   ソラル・フォルト(ヨアン)
   エリーズ・ロモー(エルザ)
   リオネル・ドレー(ユゴー
   グレゴワール・モンタナ=アロシュ(シモン)
   リナ・ベンゼルティ(アントニア)
   ほか

あらすじ

  • パリの高校で哲学を教える50代後半の教師、ナタリー(イザベル・ユペール)には、同じ哲学教師の夫ハインツ(アンドレ・マルコン)と、既に独立している二人の子供がいます。パリ市内に一人で暮らす母イヴェット(エディット・スコブ)の介護に追われながらも、ナタリーは充実した毎日を過ごしています。
  • ある日、ナタリーは才能あるかつての教え子、ファビアン(ロマン・コリンカ)と久しぶりに会います。彼は、ナタリーの授業で哲学の面白さを知り教師になりましたが、後に教師を辞め、執筆しながらアナーキスト仲間と暮しています。そんな中、夫のハインツが結婚25年目にして「好きな人ができた」と唐突に告白、家を出て行ってしまいます。さらに認知症が悪化した母が施設に入り、猫アレルギーのナタリーが母が溺愛していた猫のパンドラを飼う破目になります。
  • ナタリーは生徒たちを家に招き、映画に行き、日常を楽しむべく日々を過ごしますが、突然、母が亡くなってしまいます。バカンスを前にナタリーはひとりぼっちになった上に、売上が少なく経費が高いことを理由に長い付き合いの出版社から著作の契約を打ち切られます。孤独と引き換えに得られた自由を確認するかのように、ナタリーは猫のパンドラを連れてファビアンが暮らすアルプスの麓のヴェルコール山地へと向かいますが、ここでも彼女はその生き方をファビアンに厳しく批判されてしまいます・・・。

レビュー・解説

繊細な感受性を持つ映画監督・脚本家ミア・ハンセン=ラブとパワー全開で輝き続ける女優イザベル・ユペールが、後戻りすることのできない時間の中で数々の人生や愛の困難に直面する一人の女性の姿を、日常の断片をリアルに紡ぎながら深く洞察する、穏やかながらもしなやかで力強いヒューマン・ドラマです。

 

干潟をぬかるみながら歩く姿が主人公の直面する困難を暗示する

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ウィットの効いたオープニング

冒頭、ナタリーとその家族はグラン・ペ島​を訪れます。誰かが難解な音楽を奏でていたのでしょうか、ナタリーは夫に「とっつきにくい音楽よね、聞き流せない」と訴えます。夫は「理解すべきだ、音楽とは聴くだけでなく、理解するものだ」と答えます。続いて「ある偉大なフランス人作家が海と風の音だけを聴くためこの場所に墓を望んだ、彼の遺志に敬意を」というシャトーブリアンの墓銘碑を見上げるナタリーが映し出されます。次いでじっと海を眺め続けるナタリーと夫に、子供たちが「行こうよ、満潮になったら歩けない」、「シャトーブリアンと朝までいる気?」と言い、タイトルの「L'avenir」の文字が浮かび上がります。知的でウィットの効いたオープニングです。因みに原題の L'avenir は未来という意味ですが、Futurよりはオープンな語感がある為、固いFutureではなく「Things to Come」(これから起こること) という英題がつけられています。邦題の「未来よ こんにちは」は、本作がフランスの作品であることから、有名なフランスワーズ・サガンの小説「悲しみよこんにちは」にかけながら、親しみのある表現にしたものと思われます。

ナタリーに訪れる人生の危機 

オープンニングの後、数年後のナタリーが夜に認知症の母からの電話で起こされるシーンや、学生たちがストを打つ高校での授業のシーンなど、日常のシーンが続くうちにナタリーは突然、夫に離婚を言い渡されます。「40を過ぎた女は生ゴミ」、「今更、別の老人相手に新たな人生を始めるのはごめん」、「若い男と暮らすなんて論外」と気丈なナタリーですが、携帯電話を片手に干潟のぬかるみ歩く姿は、ナタリーが次々と直面する困難を暗示するかのようです。さらに母を亡くし、長い付き合いの出版社からは著作の契約打ち切りを言い渡されるなど、ナタリーは踏んだり蹴ったりですが、哲学を教えることが生きがいの彼女は、なんとか気丈に振る舞い続けます。しかしながら、孤独と引き換えに得た自由を満喫するかのようにアルプス山麓のヴェルコール山地を訪ねたナタリーは、「価値観を変えるほどの行動はせず、生き方を変えるほどの思想も持たない、デモや請願をして政治参加した気になり、良心を傷めずに暮している」とかつての教え子に批判され、彼の仲間の若くはつらつとした女性たちを尻目に、ひとり密かに涙します。果たして、彼女はこの人生の危機を乗り越えられるのでしょうか?

孤独に老いることへの恐怖

本作は、ミア・ハンセン=ラブ監督の実母ローレンスをモデルにしています。映画同様、ローレンスもその夫も哲学の教授で、ローレンスが50代、ハンセン=ラブ監督が20代の時に離婚しています。そんな母を見ていて映画にしようと思い立ったわけですが、ハンセン=ラブ監督にとっても女性の老いや孤独は恐怖だったと言います。

老いを描くに当たって、私は若さと繋がっている必要がありました。私は自身を強いと感じる必要があったのです。自分自身を再生するには遅い時期に困難な出来事に直面するというこの映画の主題は、私にはとても恐ろしいものでした。本当に恐いのです。私はコンピューターやロボットではありません。どんなテーマであれ、映画を作るとその影響を受けます。映画が悲しければ、自分も悲しくなります。私はその点、子供のように影響を受けやすく、また、多くの芸術家はそうなのではないかと思います。映画を制作する二年間、それについて話さねばならず、生活の一部になり、最もリアルな形で存在するのです。ですから、どんな映画であれ、その制作を始める時には、私は十分に強いと確信しなければなりません。

先のどの作品よりも、この映画は私を恐怖に陥れました。(中略)50過ぎの女性が一人で生きる残酷さを描く、手強い映画でした。私は今35歳で、この映画の脚本を書いたのは30〜32歳でした。まだ老いは関係ないと思うかもしれませんが、そうではないのです。私は17歳の時に、既に老いを恐れていました。私は母の恐怖を感じるとともに、一人の女性として老いに恐怖を感じていたのです。この恐怖は女性に限ったものではありませんが、女性に顕著です。だから私は、メランコリックながらも、若さ、ドラッグ、音楽、パーティ、目の前のことすべてが正しいかのように思える20代を描いた「EDEN/エデン」(2015年)を制作しながら、この作品を書いたのです。「EDEN/エデン」があったから、この映画を並行して書くことができました。恐いことを成し遂げる為に、ちょっとしたトリックを使ったのです。(ミア・ハンセン=ラブ監督)
https://www.filmcomment.com/blog/interview-mia-hansen-love-things-to-come/

映画を支えたイザベル・ユペールの存在

50過ぎの女性の老いや孤独を描くとなると映画はどうしても暗くなりがちですが、本作にはしなやかさ、秘められた強さ、一種の爽やかささえ感じられます。これは、主人公ナタリーを演じたイザベル・ユペールなくして語ることができません。

イザベル・ユペールは共感できる女優だと、母はいつも言っていました。イザベルには「賢い女性らしさが」あります。彼女は美しく、女性らしく、そしてとても知的なのです。だから母のような知識人にとっての理想なのではないかと思います。同時に彼女は現代的でもあります。母はそんないくつかの理由から、彼女に共感していたと思います。

私はこの脚本をどう書いていくか、アテのないままに書き始めました。自身を再構築し、新たな人生を始めるのが難しい50代の孤独な女性という、厳しい題材です。イザベラ・ユベールは、そこに可能性をもたらしてくれました。心の中に彼女がいたからこそ、映画の主題とその暗さに怖じずに脚本を書くことができました。ですから、彼女が主人公を演じることは、私にとって当然のことでした。

イザベルにはキャラクタの些細な部分を自分のものする、並外れたスキルがあります。主人公のナタリーの多くは母に基づていますが、イザベルは母の皮肉や激しさ、ユーモアといったものを取り込み、最後には私の母ではない、知らない女性に作り上げてしまいます。おかげで私は恐怖から開放され、映画を作ることができました。(ミア・ハンセン=ラブ監督)
https://thefilmstage.com/features/mia-hansen-love-on-abbas-kiarostami-her-obsession-with-heat-and-the-meaning-of-things-to-come/
http://filmmakermagazine.com/97549-things-to-come-writerdirector-mia-hansen-love-on-pain-acting-and-embracing-complexity/#.WoFoXZPFLMU

孤独や喪失を受け入れること学ぶ

この映画の制作を通して、ハンセン=ラブ監督は孤独や喪失の虚しさを受け入れることを学んだと言います。

私にとって映画を作るということは特別な体験です。登場人物の言動を追体験する私自身が、何故、映画を作るのか分かっているかということが、その際の大きな問題です。(中略)喪失や孤独の虚しさにどう対峙するかということです。私は、主人公が直面する喪失や孤独の虚しさに私自身が直面することを恐れていました。どう書いていくのか、脚本が何を意味することになるのか、私はアテのないまま書き始めましたが、最後には主人公同様、喪失や孤独の虚しさをもはや恐れていないことに気づきました。映画が描いている、そして私が映画の制作中に直面した虚しさをです。あたかも、主人公のナタリーが私の手をとり、乗り越えるのを手伝ったくれたかのようでした。誰かが私の手をとり、恐い森を通り抜けさせるかのようにです。ある意味、私は自身の映画を体験したのです。もちろん、喪失や孤独といった虚しさ自体が無くなる訳ではありません。それを受け入れることです。私が取り憑かれた映画があります。ストーリーはよく覚えていませんが、最後のシーンを覚えています。うまく言葉にできないのですが、そのシーンに強い共感を覚えました。ヴィクトル・シェストレム監督の「風」(1928年)という映画です。(中略)砂漠の中の家で、ただ一人、砂嵐に苛まれる女性が、最後に窓を開けて風に身を晒すのです。彼女が死ぬのか、勝利するのか、覚えていませんが、この窓を開けて風に身を晒す女性のイメージが、開放と諦めに重なり、強い共感を覚えました。それは両面性を持つ人生のメタファーでもあります。(ミア・ハンセン=ラブ監督)
https://www.filmcomment.com/blog/interview-mia-hansen-love-things-to-come/

人生と映画の間に潜むハンセン=ラブの魅力

制作の舞台裏にはこの様なハンセン=ラブ監督の切羽詰まった恐怖や、主人公ののっぴきならぬ危機感があるわけですが、ナタリーの日常の断片をつなぎ合わせるように紡がれた本作には、そうしたハンセン=ラブ監督や主人公の内面は必ずしも明示的には描かれていません。それが逆に映画の背後にある何かを感じさせ、不思議な魅力を醸し出しています。

私たちは、常に人生、時、感覚や人を追いかけています。私たちが何かが起こると認識する前に、何かが起こるのです。こうした人生の感覚を、できるだけ予見できない形で伝えたいというのが、私の映画のスタイルや雰囲気、リズムを決めている要因です。

私と編集者は、新たなシーンが始める時は既にそのシーンが始まっているかのように、あるシーンを終える時はそのシーンが続いていくかのように編集しました。映画はこのようにシーンに飛び込まなければなりません。フランソワ・トリュフォーは、映画について「prendre un train en marche」と語っています。「動いている列車に乗る」という意味です。それが私の脚本の書き方であり、編集の仕方です。いつでも既に動いている列車に飛び乗るのです。(中略)ナタリーも同じです。ナタリーも行き先がわからないまま動き続けているのです。

セリフは、ナタリーが言うべきことの一部、彼女が考えたり、感じたことの一部に過ぎません。心にあることの90%はセリフになりません。逆に、登場人物は心にもないことを言うことができます。(中略)彼らが何を話そうとも、彼らが口にしないことが何百もあるのです。それらは、仕草や声の調子、沈黙といったもので表現され、私たちはそれに気づかなければなりません。

情報の隠し方にはふたつの方法があります。ひとつは、サスペンスを作り出し、最後にタネ明かしする方法です。これは単なる情報隠しにすぎません。もう一つは、人生を映画より大きく描く方法で、それが本来のあるべき姿です。物語とは語らない部分を隠すことに他なりませんが、それは全く逆の意味を持ち、推察をもたらすのです。(ミア・ハンセン=ラブ監督)
https://www.filmcomment.com/blog/interview-mia-hansen-love-things-to-come/ 

ナタリーに訪れる未来とは?

それでは、50歳を過ぎてたて続けに喪失感や孤独感に襲われたナタリーに訪れる未来とは、どのようなものなのでしょうか?

<ネタバレ>

終盤、映画はヴェルコール山地でかつての教え子の一言に傷つき、涙してから一年後にジャンプし、

  • ナタリーが初孫を抱く
  • 「人は欲望があれば幸福でなくても期待で生きられます。幸福が来なければ、希望は伸び、幻想の魅力が限りなく続くのです。かくて、その状態で充足し、不安感が一種の歓びとなり、現実を補い、現実以上の価値となります。何も望まぬ人は不幸です。所有する一切を失うと同じ。幸福を手に入れる前こそが幸せなのです。」と、ジャン=ジャック・ルソーの小説「ジュリーあるいは新エロイーズ」の一節を高校の授業で講義する
  • 再び、ヴェルコール山地にかつての教え子を訪れ、亡き母が残した猫を託す(猫の名は当初、デズデモーナといい、ハンセン=ラブ監督の母が飼っていた猫の名だったが、「猫のプラバシー保護」の為に、パンドラという名に変更された。ハンセンラブ監督は、後日、パンドラが肉体、性、欲望といったナタリーの意志に反するものの復活を暗示していることに気づいたと言う。)
  • 元夫から家の鍵を返してもらい、孫に渡すクリスマス・プレントを託される
  • 元夫から託されたクリスマス・プレゼントを渡し、むずかる孫をあやす

といったシーンがテンポよく続き、エンディングとなります。ハンセン=ラブ監督はナタリーの内面変化やその要因を必ずしも明示していません。この点について、彼女は次のように語っています。

映画には加齢や時の経過に伴う諦めの感覚がありますが、これは表向きだけです。もちろん、ナタリーの理想は20代から変わっていますが、彼女は理想を明け渡したわけでもなければ、彼女の期待が消えた去ったわけでもありません。彼女は世の中の複雑さに気づき、万物を簡単な物差しで見ることや、理念のみを通して見ることを拒否しているのです。私はこれを彼女の思想家精神におけるポジティブな変化と見ています。世の中の全ての機微を受け入れて進化する、思想を変えていける人をより身近に感じます。

ナタリーに訪れる未来は、叡智への愛、思想への愛よりシンプルな、人生への愛であることを映画は示しています。究極のところで、それがナタリーを救うのです。(中略)彼女を究極のところで救う、或いは彼女が意味を見出すのを助け、動き続ける欲望を失わせないのは、人生への愛です。それは掴みどころのなく、定義づけることが難しい、神秘的なことかもしれませんが、とても重要なもので、とても深いところで我々を自由に結びつけているものです。それが、本作が真に探求しているものだと思っています。それはキャリアのみならず、人生からどれだけ多くのものを手に入れるかといった成功に依存するものではありません。多くのものを失い、大きな空虚さを味わえば、もはや虚しさは怖くなく、それを受け入れ、ともに暮らすことができるのです。もし、あまりに抽象的で、神秘的なら、ごめんなさい。でも私はそこにとても実存的な問題あると思っています。(ミア・ハンセン=ラブ監督)
http://filmmakermagazine.com/97549-things-to-come-writerdirector-mia-hansen-love-on-pain-acting-and-embracing-complexity/#.WoFoXZPFLMU
https://thefilmstage.com/features/mia-hansen-love-on-abbas-kiarostami-her-obsession-with-heat-and-the-meaning-of-things-to-come/

<ネタバレ終わり>

哲学者である母がモデルで、哲学に関する部分は母の監修であるとは言え、30代前半の女性監督が老いに関してここまでしっかりとした骨格を持った作品をつくってしまうことに舌を巻きます。女性が主人公であり、また女性監督らしい繊細な表現が特徴的ですが、描いているテーマは男性にも共通するものであり、含蓄の深いものです。

 

イザベル・ユペール(ナタリー、高校の哲学教師)

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イザベル・ユペール(1953年〜)は、パリ出身のフランスの女優です。フランス国立高等演劇学校で演技を学び、舞台やテレビを経て1972年に映画デビュー。1978年の「Violette Nozière」(1978年)、「ピアニスト」(2001年)でカンヌ国際映画祭女優賞を、「主婦マリーがしたこと」(1988年)、「沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇」(1995年)でヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞している。これまでセザール賞主演女優賞に史上最多の14回ノミネートされており、「沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇」、「エル ELLE」(2016年)で主演女優賞を受賞している。「エル ELLE」では第89回アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされている。

 

アンドレ・マルコン(ハインツ、ナタリーの夫、哲学教師)

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アンドレ・マルコン(1948年〜)はフランスの俳優。「あの夏の子供たち」(2009年)、「カルロス」(2012年)、「偉大なるマルグリット」(2015年)などに出演している。

 

ロマン・コリンカ(ファビアン、ナタリーのかつての教え子)

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ロマン・コリンカ(1986年〜)は、 パリ出身のフランスの俳優、助監督。「EDEN エデン」(2014年)などに出演している。

 

エディット・スコブ(右、イヴェット、ナタリーの母)

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エディット・スコブ(1937年〜)は、パリ出身のフランスの女優。「顔のない眼」(1960年)、「列車に乗った男」(2002年)、「夏時間の庭」(2008年)、「ホーリー・モーターズ」(2012年)などに出演している。「夏時間の庭」、「ホーリー・モーターズ」で、セザール賞助演女優賞にノミネートされている。

サウンドトラック

残念ながらサウンドトラック・アルバムは発売されていないようですが、物語の展開に合わせて巧みに挿入される様々な曲に、ハンセン=ラブ監督の選曲のセンスの良さが感じられます。

 ドノヴァン「深い平和」(Amazon) 

 ザ・フリートウッズ「アンチェインド・メロディ」(Amazon MP3)

 シューベルト「水の上で歌う」(Amazon MP3) 

 ウディ・ガスリー「シップ・イン・ザ・スカイ」(Amazon MP3) 

 ジョナサン・リッチマン「エジプシャン・レゲエ」(Amazon MP3)

 ジョン・レイトン「ジョニー・リメンバー・ミー」(Amazon MP3)

 リー・ヘイゼルウッド「ガール・イン・パリ」(Amazon

 ドリス・デイ「ケ・セラ・セラ」(Amazon MP3)

撮影地(グーグル・マップ)

 

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関連作品

ミア・ハンセン=ラブ監督作品のDVD(Amazon

  「あの夏の子供たち」(2009年)・・・監督・脚本

  「グッバイ・ファーストラブ」(2011年) ・・・監督・脚本

  「EDEN エデン」(2014年)・・・ 監督・脚本

 

イザベル・ユペール出演作品のDVD(Amazon

  「甘い罠」(2000年)

  「8人の女たち」(2002年)

  「ガブリエル」(2005年)

  「愛、アムール」(2012年)

  「エル ELLE」(2016年)

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