夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ミス・シェパードをお手本に」:敷地内で車上生活する老女と劇作家の奇妙な関係を、深く洞察しつつコミカルに描く英国風味の傑作会話劇

「ミス・シェパードをお手本に」(原題:The Lady in the Van)は、2015年公開のイギリスのコメディ&ドラマ映画です。劇作家アラン・ベネットが彼の自宅前のバンで15年間暮らしていたミス・シェパードを回想した「The Lady in the Van」を原作に、ニコラス・ヒンター監督、アラン・ベネット脚本、マギー・スミス、アレックス・ジェニングスら出演で、風変わりなミス・シェパードとベネットとの長きにわたる奇妙な関係を描いています。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ニコラス・ハイトナー
脚本:アラン・ベネット
原作:アラン・ベネット
出演:マギー・スミス(ミス・シェパード、ベネットの家の前のバンに住む女性)
   アレックス・ジェニングス(アラン・ベネットとその分身、劇作家)
   ジム・ブロードベント(アンダーウッド、元警官)
   フランシス・デ・ラ・トゥーアヴォーン・ウィリアムズ夫人、近隣の住人)
   ロジャー・アラム(ルーファス、近隣の住人)
   ほか

あらすじ

ロンドン北部の町カムデンに引っ越してきた劇作家ベネット(アレックス・ジェニングス)は、通りに停められたおんぼろ車の中でミス・シェパードという女性(マギー・スミス)が生活していることを知ります。彼女はここで気ままに暮らしており、近所の住人たちから食事を差し入れをもらってもお礼を言うどころか悪態をつく始末です。ある日、ミス・シェパードは路上駐車を咎められ、見かねたベネットはしばらく自宅の敷地に車を置くことを提案します。ベネットは一時的なつもりでしたが、ミス・シェパードは敷地に居座り続け、彼女との共同生活は15年も続きます。エキセントリックな言動に悩まされつつも、フランス語が堪能で音楽にも精通している彼女との間に、いつしか不思議な関係が芽生えていきます・・・。

レビュー・解説

車上生活するホームレスの老女をマギー・スミスが好演、優れた人物描写を軸に、作家や近隣の人々との不思議な関係を深く洞察しつつコミカルに描く、ウィットとアイロニーの効いた英国風味の傑作会話劇です。

 

1974年から自宅敷地内に住み着いたミス・シェパードとの15年間に渡る奇妙な関係が、その後のアラン・ベネットのライフワークとなりました。彼の回想録は日記、朗読、舞台、ラジオドラマと展開し、長くコラボしてきたニコラス・ヒンター監督、マギー・スミスとともに映画化を実現したの本作です。

 1974年 ミス・シェパードがアラン・ベネットの自宅敷地内で暮らし始める
 1989年 ミス・シェパード逝去
 1989年 日記版「The Lady in The Van」出版
 1990年 ラジオ版「The Lady in the Van」放送(アラン・ベネット朗読)
 1999年 舞台「The Lady in the Van」上演
     (ニコラス・ヒンター監督、アラン・ベネット脚本、マギー・スミス主演)
 2009年 ラジオドラマ「The Lady in the Van」放送(マギー・スミス主演)
 2015年 映画「The Lady in the Van」公開
     (ニコラス・ヒンター監督、アラン・ベネット脚本、マギー・スミス主演)

 

 敷地内で車上生活を始めたミス・シェパードと劇作家のアラン・ベネット

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ドラマ仕立てに脚色されていますが、核となるのはミス・シェパードの人物像と、それに対峙する作家との奇妙な関係です。アラン・ベネット曰く、ミス・シェパードは「偏屈で、偏狭で、怒りっぽく、常軌を逸しており、人に厳しく、利己的で、悪臭を放ち、無礼な、カーキチの雌牛」と辛辣ですが、「さすらい人の高潔さ」があったと言います。マギー・スミスはそんな、ミス・シェパードをリアルにかつ、ユーモラスに演じています。

彼女は最も偉大な俳優の一人だと思う。彼女は海のように深い後悔を表現できる。それはヤワなものでもなければ、感傷的なものでもない。そのずっと先にあるものだ。映画を見ているうちに、ミス・シェパードが持っていた可能性と現実のギャップが見えてくる。ところが、彼女は底抜けに可笑しい。鎧を纏った、気性の激しい、無礼で攻撃的な老女が、気後れするロンドン北部の知的リベラルたちを打ちのめす様は、信じられなくらい可笑しい。善意のささやかな喜びさえ彼らに与えないんだ。(ニコラス・ハイトナー監督)

時々、近所の人がディナー・パーティで残ったクリーム・ブリュレなどを持っていくことがあった。クリスマス・プレゼントなんかもね。でも困ったことに、彼女は何も欲しくなかったんだ。クリスマス・プレゼントはバンの中に放り投げられ、決して開かれることはなかった。彼女は誰の恩義も感じたくなく、誰にも感謝したくなかったんだ。とても独立した精神の持ち主だった。(アラン・ベネット)

 

ミス・シェパードは生前、決して身の上を語ることがありませんでしたが、没後にその半生が明らかになりました。

  • 実名がマーガレット・フェアチャイルドで、実の兄弟がいること
  • 将来を嘱望されたピアニストだったこと
  • 修道女を志したが、ピアノの演奏を禁じられ、精神的に破綻したこと
  • 施設にいたこともあるが、逃げたこと
  • 死亡事故に巻き込まれたが、現場を立ち去り、警察から逃亡する形になったこと

これらの話は映画にも織り込まれています。

 

映画には作家のベネットとその分身が登場します。一人は作家としてミス・シェパードを観察するベネットで、もう一人は人間としてミス・シェパードに対峙するベネットです。この二人のベネットが対話する中で、

  • 何故、ミス・シェパードを自宅の敷地に招き入れたのか
  • 親切心からなのか、自らの弱さからなのか、
  • 実母と一緒に過ごす時間が少ないのが後ろめたいからか、
  • ミス・シェパードをネタにした作品で一儲けしたいからか

といった葛藤が浮かび上がります。そんな悩ましいベネットとは裏腹に、ミス・シェパードは不幸な人生を嘆くこともなく、人々に嫌われても臆するこなく、堂々としています。そんなミス・シェパードを見て、ベネットは、

アラン・ベネット:私が学んだのは、そして恐らく彼女が私に教えてくれたのは、自分が書く物語に自分自身を入れ込む必要はない、そこに自分自身を見出すことだ。

と語り、エンディングで自らの人生を生きること、自身がゲイであることを示唆します。邦題の「ミス・シェパードをお手本に」は、この展開に因んだものと思われます。しかし、この展開はドラマ仕立てにする為の演出のひとつに過ぎず、本作の真骨頂はあくまでもミス・シェパードの個性的なキャラクターと二面性を持つベネットの描写と、ホームレスとリベラルの滑稽な関係が示唆する様々な含みにあります。そういう意味では、教条的ニュアンスのある「お手本」という邦題は、ミスリーディングのように思われます。

 

映画の公開に際し、ベネットはミス・シェパードとの関係について、次のように語っています。

心からの親切ではない。私の仕事場から人々が彼女のバンを叩くのが見えるんだ、私が仕事ができないくらいね。それで、しばらく敷地の中に車を入れるように言ったんだ。3ヶ月ほどのつもりが、15年になってしまった。今は10分ほど離れた別の場所に住んでいるので、当時のプレッシャーを忘れていたが、私の仕事部屋の窓は彼女の車まで数フィートだったんだ。何もかもはっきりと思い出す。バンの横の狭い空間を身を捩るようにして通り抜け、家に出入りしたんだ。言い争いなんかできない。今朝、聖母マリアに会ったなんて言うんだ。馬鹿げてるなんて言えなかった。

映画の中で私は切羽詰まり、誰もが決して言わないことを言うんだ、「ケアとは下の世話だ」ってね。実際、それは人々の後始末をすることだし、ミス・シェパードの後始末はたくさんあった。でも、それが人生の真実だと思うんだ。彼女だけではなく、彼女のように気難しく、腹立たしい人の面倒を見る人々にとってね。彼らはそれを当然の事と思い、決して口に出すことはないんだ。

この映画の話は40年以上前に起こったことで、ミス・シェパードはとうの昔に亡くなった。彼女は気難しく、エキセントリックで、そして何よりも貧しかった。最近は貧しい人々を気にかける人が特に少ない。貧困は今日、テューダー王朝時代のように悪徳になってしまった(筆者注:テューダー王朝時代、プロテスタンティズム流入し、貧困は怠惰の結果と見做された)。もしこの映画に要点があるとしたら、それは公正さと寛容さ、そしていやいやながらではあるが、嫌われる貧しい人々を助けることだ。こうしたことは、今後、ますます少なくなりそうだ。(アラン・ベネット)

ホームレスという社会問題を背景に、ミス・シェパードと作家として人間としてのベネットとの関わり、ホームレスとリベラルの滑稽な関係が示唆する様々な含みは、彼女とのベネットの出会いから40年以上経った今もなお、新鮮です。

 

余談になりますが、2007年に Pew Internatinal という調査会社が面白い調査結果を発表しています。 

  行政はとても貧しい人々の面倒を見るべきである(抜粋)
      そう思う そう思う+ほぼそう思う
 イギリス  53%      91%
 ドイツ   52%      92%
 フランス  49%      83%
 アメリカ  28%      70%
 日本    15%      59%(47ヶ国中最下位)

 World Publics Welcome Global Trade (Chapter 1. Views of Global Change)

 

意外な結果ですが、貧困が原因で騒ぎが起こることのない日本では、「何故、税金で弱者救済しなければならないのか」という議論や意識が希薄なような気がします。社会民主主義的なヨーロッパは元より、拝金主義で税金が大嫌いなアメリカでも、「収入は努力だけではなく運の結果でもある。従って、収入の一部と税金として納め、不運な人々に富の再分配をすべきである。」という議論があり、彼らが渋々税金を納める理由のひとつになっています。英語では貧しい人々を「unfotunate」(不運な)と婉曲表現しますが、多くの日本人の貧しい人々への意識はせいぜいで「可哀想」であり、自分が厳しいと「他人を可哀想と思う余裕がない」となる傾向があるような気がします。もし、自分がアラン・ベネットの立場ならどうするのか、考えてみると面白いかもしれません。

  1. 見て見ぬふりをする、何もせず放っておく
  2. 行政に通報し、対応を要求する
  3. 本人と対峙し、ギリギリ妥協できる線で共存する

 

マギー・スミス(ミス・シェパード、ベネットの家の前のバンに住む女性)

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マギー・スミス(1934年〜 )は映画、テレビ、舞台で活躍するイギリスの女優。オックスフォード大学演劇科で学び、1956年に映画デビュー、「ミス・ブロディの青春」(1969年)でアカデミー主演女優賞を、「カリフォルニア・スイート」(1978年)で同助演女優賞を受賞。「天使にラブ・ソングを…」シリーズでの修道院長役や「ハリー・ポッター」シリーズでのミネルバ・マクゴナガル役で広く知られる。イギリス王室より大英帝国勲章を叙勲されている。テレビドラマ「ダウントン・アビー」では正装することが多かったので、本作のミス・シェパードの装いでリラックスできた、この装いでバンの中に入るとメソッド演技なんて不要という気分になると、冗談を飛ばしている。舞台劇初演時からミス・シェパードを演じ続けており、撮影時80歳にもかかわらず、メリハリの効いたパワフルな演技に驚かされる。

 

アレックス・ジェニングス(アラン・ベネットとその分身、劇作家)

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アレックス・ジェニングス(1957〜)はイギリスの俳優。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとナショナル・シアターの舞台で活躍、数多くの賞を受賞している。「鳩の翼」(1997年)、「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(1999年)、「クィーン」(2006年)、「ベル〜ある伯爵令嬢の恋〜」(2013年)などに出演している。本作では、アラン・ベネットを知的に、コミカルに、人間的に演じている。

 

ジム・ブロードベント(アンダーウッド、元警官)

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ジム・ブロードベント(1949年〜 )は、イギリスの俳優。舞台俳優としてキャリアをスタートし、ロイヤル・ナショナル・シアターやロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台に立つ。1978年に映画デビュー、「ライフ・イズ・スウィート」(1991年)で注目を集め、「アイリス」(2001年)でアカデミー助演男優賞を受賞している。本作では、出番が少ないのが残念。

 

フランシス・デ・ラ・トゥーアヴォーン・ウィリアムズ夫人、近所の住人)

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フランシス・デ・ラ・トゥーア(1944年〜)は、イギリスの女優。舞台、テレビ、映画で活躍、ブロードウェイの舞台にも立ち、トニー賞を受賞している。本作では、出演時間は限られるものの、人の良いリベラルな老婦人を品よく演じ、しっかりと好印象を残している。

 

ロジャー・アラム(ルーファス、近所の住人)

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ロジャー・アラム(1953年〜) はイギリスの俳優。舞台俳優として知られているが、テレビや映画にも出演している。

サウンドトラック

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1. Miss Shepherd's Waltz2. Moving In
3. Two Women - Tango<
4. Re-parking
5. In Care
6. The Neighbours
7. Special Paint
8. Collision and Confession
9. Piano Concerto No. 1 in E Minor, Op.11 (Excerpt)
10. The New Van
11. Broadstairs
12. Impromptu No. 3 in G-Flat Major,
    Op. 90, D 899 (Excerpt)
13. Curtain Down
14. Alive and Well
15. Freewheeling
16. The Day Centre
17. A Sepulchre
18. Remembering Miss Shepherd
19. Walk Through the Cemetery
20. The Ascension (Miss Shepherd's Waltz)
21. Impromptu No. 3 in G-Flat Major,
    Op.90, D 899

22. Piano Concerto No. 1 in E Minor,
    Op.11: II. Romanze - Larghetto

23. Piano Concerto No. 1 in E Minor,
    Op.11: III. Rondo - Vivace (Excerpt)

撮影地(グーグルマップ)

 

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関連作品

「ミス・シェパードをお手本に」の原作Amazon

    Alan Bennett "The Lady in The Van" (日記版)

 Alan Bennett "The Lady in The Van" (ラジオドラマ版CD)

  Alan Bennett "The Lady in The Van" (映画版脚本)

 

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マギー・スミス出演作品Amazon

  「秘密の花園」(1993年)

  「リチャード三世」(1995年)

  「ゴスフォード・パーク」(2001年)

ハリー・ポッター」シリーズ(2001年〜2011年)

  「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(2012年)

  「カルテット! 人生のオペラハウス」(2012年)

 

おすすめ会話劇、密室劇のDVD(Amazon

  「十二人の怒れる男」(1957年)

  「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」(1995年)

  「8人の女たち」(2002年)

  「ビフォア・サンセット」(2004年)

  「パニック・フライト」(2005年)

  「パリ、恋人たちの2日間」(2007年)

  「月に囚われた男」(2009年)

  「おとなのけんか」(2011年)

  「MI5:消された機密ファイル」(2011年)

  「ビフォア・ミッドナイト」(2013年)

  「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」(2013年)

  「エクス・マキナ」(2015年)

  「スティーブ・ジョブズ」(2015年)

  「10 クローバーフィールド・レーン」(2016年)

  「おとなの事情」(2016年)

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