夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「トスカーナの贋作」:ふとしたことから夫婦を演じる男女の虚実の交錯を、イタリアの小さな街を舞台にスリリングに描くヒューマンドラマ

トスカーナの贋作」(原題:Copie conforme)は、2010年公開のフランス、イタリア合作のドラマ映画です。イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督・脚本、ジュリエット・ビノシュら出演で、ふとしたことから夫婦を演じることになった男女の虚実交錯する恋愛模様が描かれています。同年のカンヌ国際映画祭ジュリエット・ビノシュが主演女優賞を獲得した作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:アッバス・キアロスタミ
脚本:アッバス・キアロスタミ/マスメ・ラヒジ(脚色)
出演:ジュリエット・ビノシュ(彼女)
   ウィリアム・シメル(ジェームズ)
   ジャン=クロード・カリエール(広場の男)
   アガット・ナタンソン(広場の女)
   ジャンナ・ジャンケッティ(カフェの主人)
   アドリアン・モア(息子)
   アンジェロ・バルバガッロ(通訳)
   アンドレア・ラウレンツィ(ガイド)
   フィリッポ・トロジャーノ(花婿)
   マニュエラ・バルシメッリ(花嫁)
   ほか

あらすじ

イタリア、南トスカーナ地方の小さな村で、「Certified Copy」という本のイタリア語版を発表したジェームズ(ウィリアム・シメル)の講演が行われます。この本は、「芸術において作品の真正さを問題にするのは意味がない、何故ならどんな複製もそれ自体はオリジナルであり、どんなオリジナルもそれ自体は別の形の複製だから」と論ずるものでした。この講演を、1人の女(ジュリエット・ビノシュ)が息子を連れて聞きに来ます。公演の後、女が経営するギャラリーをジェームズが訪れ、「面白い場所へ連れ行ってあげる」という女の誘いに「列車に遅れぬ様、9時までに戻るなら」という条件でつきあいます。女は「トスカーナモナリザ」という贋作を見せますが、「モナリザだってジョコンダ夫人の贋作にすぎない」とジェームズ。2人が立ち寄ったカフェの女主人に夫婦と間違われたことをきっかけに、二人は、長年連れ添った夫婦を演じ始めます。初めは順調でしたが、些細なことをきっかけに、2人の間に微妙なずれが生じていきます。互いに苛立ちを感じ始めた頃、2人を夫婦と誤解した老夫婦が「君の奥さんが求めているのは、そっと肩を抱かれて歩くことだ」とジェームズにアドバイスを送ります。空腹の2人は食事のためにレストランに入り、微妙なずれを埋めるため、魅力的な「妻」になろうと女は化粧直します。しかし、いくつかの出来事が重なり、会話が噛みあわないまま、苛立ちが最高潮に達したジェームズは店を出ていってしまいます。彼を追う様に外に出た女は、一人で教会に向かい、二人はやや距離を置いて歩きます。教会から出てきた女が階段に腰掛けると、ジェームズは本当の妻を労わるように静かに謝ります。穏やかに夫婦の関係を築き直そうと、2人はお互いを許し、寄り添います。すると突然、女は「15年前の結婚式の夜に泊まった」と言って、近くの安ホテルを訪れます・・・。

レビュー・解説

ふとしたことから夫婦を演じることになった二人の男女を通し、男と女の関係を実存的に鋭く描くこの映画は、主演の二人の完璧なパフォーマンスと虚実が交錯するスリリングな展開に、思わず惹きつけられてしまうヒューマン・ドラマです。

 

夫婦を演じているうちにお互いその気になってしまい・・・という話は、ハリウッド映画にありそうですが、この映画を面白くしているのは、二人の偽夫婦が男と女のすれ違いを、ある意味、本物以上に本物らしく演じていることです。「全ての台詞は、僕が現実の人生で見聞きしたことに影響を受けている」(アッバス・キアロスタミ監督)という会話はリアルで含蓄が深く、思わず聞き入ってしまうものも少なくありません。男女関係と子供を描くことは、キアロスタミ監督にとって終生のテーマでしたが、本作について次のように語っています。

男女関係を語るっていうのは最もありきたりなのです。あらゆる事が語られてきているし、新しいものが何一つない、どの話をしても新しくない。だからそれを違うやり方で見せようとして、そういう複雑な道に導いたのだけれども、さもなければ、とても普通なものにしかならなかったでしょう。(アッバス・キアロスタミ監督)

 

主人公の女性には名前がありませんが、「彼女」は良き伴侶と共に過ごしたいと願う多くの女性の象徴するような存在で、終始、物語をリードしていきます。やや斜に構え、防御的ながらも「彼女」に付き合う相手の男性ジェームズは理屈っぽい作家で、女性を見守る語り部的立場ですが、これは映画を通して女性を語ってきたキアロスタミ監督の分身とも言える存在です。感情表現豊かな「彼女」役のフランス人(ジュリエット・ビノシュ)に対して、やや斜に構え防御的で理屈っぽいジェームズにイギリス人のウィリアム・シメルを起用したのも、絶妙なキャスティングです。さらにオペラ歌手の彼は演技に関して素人で、ジュリエットは素人の俳優から感情を引き出すキアロスタミ監督と同じ立場に立たねばなりませんでした。これは映画全体をまとめていく上で良い方向に働いたのではないかと思います。結果、ウィリアム・シメルはとても初めてとは思えぬ、完璧なパフォーマンスを発揮しています。

 

キアロスタミ監督は、俳優に素人を起用、彼らが抱く自然な感情を大切にすることで知られていますが、本作でフランスの大女優ジュリエット・ビノシュを起用した理由について、次のように語っています。

実は僕が決めたわけじゃなくて、ジュリエットが僕の映画に出ると言い張ったんだよ(笑)。普通は監督が俳優を選んでカメラの前に立たせるけど、彼女が「俳優がカメラの後ろにいる監督を選ぶのはおかしい?」と僕のカメラの前に出てきたんだ。それで、もともとあった小さなアイデアを実際に脚本に落とし込むとき、ジュリエットを想定して彼女のために書いたんだ。(アッバス・キアロスタミ監督)

 「彼女」は3ヶ国語を操ります。ヨーロッパではバイリンガルトリリンガルはさして珍しくないものの、映画にできるほど堪能に話す女優はジュリエット以外にはそうそういません。

 

また、素人の俳優が抱く感情を本物とするキアロスタミ監督にとって、「本物とコピー」という題材はプロの女優を起用するのにうってつけだったと思われます。その一方で、彼は少しでも自然なジュリエットの感情を引き出そうと努めています。ジュリエット・ビノシュは1993年に長男を、1999年に長女を設けていますが、どちらのパートナーとも破局しています。キアロスタミ監督は、「彼女」を10歳くらいの息子がいるシングルマザーで、仕事と子育てに悩まされ、良きパートナーを必要としているという設定にし、ジュリエット・ビノシュの実体験に重ねています。脚本をもらた時、主人公の行動が理解できなかったジュリエットが「こんな人に会ったことがない」とキアロスタミ監督に伝えたところ、「何を言ってるんだ。ノイローゼになった自分を演じればいいんだ。」という答えが返ってきたそうです。

 

また、二人の間では、

映画で俳優が経験する感情は本物ではない。映画で泣いている時、俳優に痛みはない。(キアロスタミ監督)

なら、いったいどうやって泣くの?単なる技術的な道具じゃないよ。そうじゃないの、役に心を込めるの、想像力や記憶、持てるもの全て、そして体に心を込めるのよ。(ジュリエット・ビノシュ

といった議論もあったそうです。また、ジュリエットは若い頃、演技しようとする意識があまりに強く、演技の先生に「演技しないのが最高の演技」と叩き込まれたとも語っています。そうした目で見ると、本作もジュリエット・ビノシュの「アクトレス〜女たちの舞台~」(2014年)の様に、多層構造となっていることがわかります。

  • 映画製作者(監督、俳優)としての芸術表現における本物/複製観
  • 美術品に携わる「彼女」とジェームズの本物/複製観
  • 二人が演ずる偽夫婦に去来する感情の本物/複製観

劇中、「良いコピーというものをもっと愛するべきだ」という意味の表現が出てきます。本物と複製という問題はいろいろな捉え方ができ、この映画も見る者に白か黒かという解釈を強いるものではありません。むしろ、グレイな領域だからこそ、スリリングで余韻が残る映画になっているのではないかと思います。

 

原題の「Copie conforme」は、ジェームズが発表した著作のタイトルに由来します。これは「真正な複製」といった意味で、法律用語では「認証謄本」(原本の内容を複製したもので,原本の内容を証明するためにつくられる書面)とも訳されます。しかし、彼の主張である「芸術において作品の真正さを問題にするのは意味がない、何故ならどんな複製もそれ自体はオリジナルであり、どんなオリジナルもそれ自体は別の形の複製だから」を踏まえれば、矛盾を内包した風刺的表現と捉えた方が良さそうです。邦題には「贋」しか言及されていませんが、妻を演じる「彼女」のジェームズへの気持ちが本物だとしたら、ちょっとニュアンスが違うかなという気がします。もちろん「真正な複製」はレトリックで実質的意味は掴みがたいのですが、少なくとも複製とオリジナルは思ったほど明確には分けられないことをこの映画は示しています。

 

<オチバレ>

「15年前の結婚式の夜に泊まった」ホテルの部屋で、「彼女」はジェームズに行かないでと懇願します。ジェームズは「9時まで戻ると言ったろ」と言い洗面所に向います。彼は鏡に向かって、夢か現か確かめる様に「2日に一度しか剃らないヒゲ」を撫でます。ここに至るまでの二人の表情、特にジュリエット・ビノシュの表情の微妙な変化が圧巻です。

教会の鐘がジェームズが帰るべき時を告げ、続いて乱打されます。鐘の音が、

  • 夫婦を演じ切った二人を祝福するものなのか
  • 満たされぬ彼女の想いを弔うものなのか

は、見る者の解釈に委ねられます。成就するにせよ、そうでないにせよ、男女の関係は美しいという、キアロスタミ監督の美意識が伺われるようなエンディングです。

<オチバレ終わり>

 

ジュリエット・ビノシュ(彼女)

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ウィリアム・シメル(ジェームズ)

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「彼女」とジェームズは夫婦を演じることになる

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イタリアの美しい小さな街ルチニャーノが舞台

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ストーリーの転回点となるカフェでの会話

有無を言わせぬストーリー展開はやや強引ですが、冒頭から本物とコピーについて伏線を張りながら、中盤に二人を偽夫婦に落とし込んでいく手腕は見事です。ジェームズが電話でカフェの席を外した際に、二人を夫婦と勘違いしたカフェの女主人に「彼女」は付き合いますが、女主人のとの会話は含蓄が深いものになります。そして、ジェームズが戻ってきた時、彼が「彼女」が話していた架空の夫像にずばりとはまるのは、二人が偽夫婦を演じ始める転回点となっています。

(会話はイタリア語)
女主人:(男が頼んだ)コーヒー、冷めちまったね。
彼女:そういう人なの。
女主人:でもいい旦那だわ。
彼女:何て?
女主人:いい旦那さんよ。
彼女:どうして?
女主人:分かるわ。あなた出身は。
彼女:私?フランスよ。
女主人:イタリア語はどこで?
彼女:イタリアに住んで5年なの。
女主人:どこに?
彼女:最初はフィレンツェ、今はアレッツォよ。
女主人:なぜ英語で話しているの?
彼女:彼はイギリス人よ。
女主人:彼、フランス語は?
彼女:話せないわ。
女主人:イタリア語は?
彼女:話せないわ。
女主人:英語だけ?
彼女:そう。
女主人:あなたが話せるから、平気ね。
彼女:ええ。彼は言葉に興味ないの。興味があるのは自分と仕事だけ。
女主人:いいじゃない。男は仕事よ。
彼女:女は?
女主人:男が忙しくしている間、好きに生きる。
彼女:結婚したのに独りだなんて。夫と一緒に好きに生きたいわ。「よき夫」を望むのは贅沢?
女主人:女の人生はマシよ、もし唯一の不満が夫の働きすぎならね。いい?男は浮気をするか、働きすぎるかの、どっちかよ。
彼女:女も働くけど、節度ってものを知っている。
女主人:節度なんて女だけ。やりすぎるのが男なの。仕事を辞めたら窒息する。辞めるなんて無理。
彼女:夫に辞めろとは言っていない。
女主人:そりゃそうよ。死んじまう。だから女がブレーキをかけりゃいい。
彼女:私の妹は、怠け者の夫のお尻を懸命に叩いている。
女主人:そりゃ、例外もあるわ。
彼女:ちょうどいいバランスってないのかしら。
女主人:理想ね。現実には無理よ。
(客:ワインを)
女主人:理想を追うなんて馬鹿よ。せっかくの女の人生、惨めになることはない。
(客にワインを注いだ女主人が彼女に近付き、何事か囁く)
女主人:ここだけの秘密よ。男は知らなくていいの。
彼女:でも留守ばかりの夫にどう耐えろというの?
女主人:家に寄りつかないわけじゃないし、夫がいるから女は妻でいられる。大事なのはそこよ。私ぐらいの年になればわかるわ。結婚して何年。
彼女:15年よ。
女主人:子供はいるの?
彼女:息子がひとり。先週お誕生日だったのに、電話もしてあげなかったのよ。
女主人:ひどい。
彼女:頭にあるのは自分と仕事のことだけ。
女主人:友達とね。
彼女:そう、友達よ。
女主人:それと愛人。
彼女:それはどうかしら。
女主人:だから怪しんでいるのね。日曜なのに誰から電話?って。
彼女:いいえ、様子を見てるだけ。
女主人:疑いの目でね。私はいい夫だと思うけど。
彼女:その理由は何かしら?
女主人:だって、日曜の朝に男がすることといったら何?ぐうたら寝てるだけ。でも彼はあなたをコーヒーに連れ出し、楽しいことをたくさん話して聞かせる。まるで口説いているみたいだよ。
彼女:ご冗談を。
女主人:これでヒゲさえ剃れば、完璧なのに。
彼女:一日置きにしか剃らないの。剃らない日だからと結婚式にもヒゲ面できたのよ。
女主人:じゃあ、慣れっこね。
彼女:式でおじが聞いたの、「なぜ花婿はヒゲを剃らないんだ?」って。私は「さあね」と。おじは本人に言ったの、「式の時ぐらい、剃ったらどうだ?」って。何て答えたと?」とヒゲを撫でながら、「それもそうですが、ヒゲ剃りは一日置きなもので」ですって。
ジェイムズ:(電話を終えて戻って来て)すまない。
女主人:コーヒー、入れ直す?
ジェイムズ:(彼女の通訳に英語で)ありがたい。
女主人:不思議ね、5年も住んでいてイタリア語がダメなんて。
彼女:(英語で)夫婦と誤解しているの、訂正してないわ。
ジェイムズ:(英語で)ほう?お似合いなんだね。どうだね?彼女はどう思っている?
彼女:(あわてて英語に訳す)彼女はあなたがイタリア語を話せなくて驚いているの、妻子がイタリアにいるのに。
ジェイムズ:(英語で)仕方ないよ、学校ではフランス語を。後はなんて言う?
彼女:(英語で)聞かれたのはあなたよ。
ジェイムズ:(英語で)家族には家族の生活と言葉、僕には僕の生活と言葉がある。これで納得?
彼女:(英語で)納得よ、とってもね。

撮影地(グーグルマップ)

アッバス・キアロスタミ監督が初めて母国イランを離れて作り上げたこの作品は、主としてイタリアのトスカーナ州アレッツォのルチニャーノ 、人口3,000人余りのかつての都市国家の旧跡で撮影されています。実際に地図で見てみると、非常に近い場所で撮影していることがわかります。

 

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関連作品

アッバス・キアロスタミ監督作品のDVD(Amazon

  「友だちのうちはどこ? 」(1987年)

  「クローズ・アップ」(1990年)

  「そして人生はつづく」(1992年)

  「オリーブの林をぬけて」(1994年)

  「桜桃の味 」(1997年)

  「風が吹くまま」(1999年)・・・北米版、リージョン1、日本語なし

  「10話」(2002年)・・・北米版、リージョン1、日本語なし

  「シーリーン」(2008年)

  「ライク・サムワン・イン・ラブ

       ・・・北米版、リージョン1、日本語なし(2012年)

 

ジュリエット・ビノシュ出演作品のDVD(Amazon

  「トリコロール/青の愛」(1993年)

  「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年)

  「サン・ピエールの命」(2000年)

  「隠された記憶」(2005年)

  「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」(2007年)

  「夏時間の庭」(2008年)

  「トスカーナの贋作」(2010年)

   「カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」(2013年)

       ・・・北米版、リージョン1、日本語なし

  「アクトレス〜女たちの舞台〜」(2014年)

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