夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「運命を分けたザイル」:厳美のアンデス山中で相方にザイルを切られ墜落するも、奇跡的に生還する登山家の凄絶なサバイバルと感情の交錯

運命を分けたザイル」(原題:Touching the Void)は、2003年公開のイギリスのドキュメンタリー&実録ドラマ映画です。ジョー ・シンプソンの自伝「死のクレバス―アンデス氷壁の遭難」を原作に、ケヴィン・マクドナルド監督、ジョー・シンプソン本人、サイモン・イェーツ本人ら出演で、当事者たちのインタビューと実際の現場で撮影した再現映像等を交えながら、1985年にアンデス山脈で2人の登山家を襲った遭難事故の顛末を描いています。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ケヴィン・マクドナルド
脚本:ジョー・シンプソン
原作:ジョー ・シンプソン著「死のクレバス―アンデス氷壁の遭難」
出演:<インタビュー映像>
   ジョー・シンプソン(本人)
   サイモン・イェーツ(本人)
   リチャード・ホーキング(本人)
   <再現映像>
   ブレンダン・マッキー(ジョー・シンプソン)
   ニコラス・アーロン(サイモン・イェーツ)
   オーリー・ライアル(リチャード・ホーキング)
   ほか

あらすじ

アンデス山脈の雪山で遭難し、生還を果たしたエピソードを、本人へのインタビューと俳優による再現映像により描き出しています。

  • 1985年、野心あふれる英国の若きクライマーのジョー・シンプソン(ブレンダン・マッキー)とサイモン・イェーツ(ニコラス・アーロン)は、ペルーのアンデス山脈、標高6600mの難関シウラ・グランデ峰に挑みます。前人未到の西壁はほぼ垂直に立ち上がり、目指す頂上は雲に隠れて姿が見えません。氷壁にアックスを打ち込み、アイゼンの蹴爪を壁に噛ませ、ひとつひとつの動作を確かめながら、ふたりは刻むように頂上を目指し登っていきます。ベースキャンプを持たずに登頂するアルパイン・スタイルは食料も装備も最小限である為、限られた時間で登頂を成功させる必要があります。
  • 三日目、幾多の困難を乗り越えて二人はなんとか頂上を極めますが、下山は思うようにはなりませんでした。突然、降りていた壁が崩れ、シンプソンは数十メートルほど落下します。骨が折れ、太もものあたりから鋭い痛みが湧き上がり、痛みと寒さで身体が思い通りになりません。山の怖さを知り尽くすシンプソンは、それが「死」を意味することを直感します。体感温度マイナス60度、食料も底を尽き、猛吹雪で視界もゼロに等しく、救助など望みようがない絶望的な状況です。苦渋に満ちたシンプソンの表情を見たイェーツも事の重大さを察しますが、彼はシンプソンを生還させたいと、自とシンプソンの体をザイルで結び、シンプソンを急斜面から滑り落とします。何回か繰り返し、急斜面の終わりまでもう少しという時に、シンプソンの体は突き出た岩の庇で宙吊りになってしまいます。
  • シンプソンが助かるにはザイルを登るしかありませんが、彼の手は凍え、ザイルを登るためのスリングも落としてしまいます。一方、シンプソンを支えるイェーツも、徐々に引きずられ、掘った窪みの中に自身の体を確保するのが難しくなります。このままでは二人とも滑落して、死んでしまいます。それを避けるためにはザイルを切るしかありませんが、それはシンプソンを見捨てて彼を死に追いやることを意味します。イェーツは迷いを断つようにザイルを切り、宙に投げ出されたシンプソンは下方で口を開けているクレバスの中へ墜落していきます・・・。

レビュー・解説

厳美なアンデス山脈の未踏ルートで、骨折したパートナーを繋ぎ止めるザイルをやむを得ず切った登山家と、墜落後の絶望的な状況から独力で奇跡的に生還、パートナーに再会する登山家の凄絶なサバイバルと感情の交錯を描いた、問題提起とテーマ性に富む、見応えあるドキュメンタリー&実録ドラマです。

厳美な山岳での凄絶な生存劇

実話に基づいた本作は、

  • 人を寄せ付けない、美しくも厳しいシウラ・グランデ峰
  • 文字通り、地を這うシンプソンの凄絶なサバイバル
  • ザイルを切ったイェーツと奇跡的に生還するシンプソンの感情の交錯

など、スリリングで中身の濃いドキュメンタリー&実録ドラマです。

 

厳美な山岳での凄絶な生存劇

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地方で生まれ育った私には都会の人工美を極めた建築物よりも、美しくも厳しい自然の方が好ましく感じられる時があります。北海道の森林限界を超える山中でスキー中に一寸先が見えない猛吹雪にあい遭難の危険性を実感したり、北極圏の丘陵でスノーモービル中に強風に体温を奪われ低体温症や凍死の危険性を実感するなど、ささやかながらも怖い体験をしていますが、それで自然が嫌いになるとというよりは、人間は生来、そうした自然の懐の中で生きてきたように感じられ、逆に都会での生活の方に違和感を感じる時があるのです。数多い映画の中から本作を見て観る気になったのひとつは理由は、そんな美しくも厳しい自然の雰囲気を味わいたくなったからですが、シウラ・グランデ峰の厳しい美しさのみならず、文字通り地を這うシンプソンの凄絶なサバイバルに目を奪われるとともに、ザイルを切ったイェーツと奇跡的に生還するシンプソンが再会する時に二人の間にどんな感情が交錯するのだろうかと、終始、ハラハラしながら観ることになりました。

リアルに凝縮された問題提起とテーマ性

邦題にも使われているザイルはドイツ語で綱という意味で、日本で使われる場合は特に登山用のロープを意味します。この登山用のロープは、岩壁や氷雪上の登降,その他墜落や滑落の危険のある危険な場所で,パーティの安全を確保する為に互いの体を結び合うものに使われます。文字通り、一蓮托生になるわけですので、パートナーの墜落に引きずられて墜落しないよう自分自身をしっかりと確保をした上で,肩や腰に回したザイルを使ってパートナーを制動するのが基本です。生死が関わる危険の中で安全を確保する為の命綱とも言えるザイルは、パートナーとの信頼の絆の象徴であり、時に母と子を繋ぐ臍の緒にも例えられます。

 

過酷な状況下でイェーツはこのザイルを自ら切ってしまうわけですが、本作は、

  • イェーツがザイルを切ったのは正しい判断か?
  • イェーツは何故、崖の下に降りてシンプソンの死を確認しなかったのか?
  • シンプソンと同じようにザイルを切られたら、自分は生き帰ることができるか?

といった道徳的な難問や、自分ならどうするという自問を突きつけるだけではなく、

  • 許しの意味
  • 神も仏もない冷酷な状況での絶対的な孤独
  • 人間の不完全さと仲間を持つことの重要性
  • 人間の精神の勝利

といった深遠なテーマも包含しています。リアルに凝縮された問題提起とテーマ性は、そのままで道徳のケース・スタディの理想的な教材になりそうです。

メイキング:18年の歳月を経て蘇る恐怖体験

1985年に事故から奇跡的に生還したシンプソンは、1987年に自伝を発表、たちまちベストセラーになります。トム・クルーズBBCなどの、様々なプロデューサーが権利を買いましたが、本作は長く映画化されませんでした。原作のほとんどが独白で構成されており、離れ離れのシンプソンとイェーツには会話がなく、映画にするのが極めて難しかったのです。ドキュメンタリーとドラマの両方を得意とするケヴィン・マクドナルド監督が、これを解決しました。シンプソンとイェーツへのインタビューを作品の心臓と骨組みにし、再現ドラマで血と肉を作り上げたのです。事故から15年以上の歳月が流れていましたが、その後のシンプソンとイェーツの人生を形作った事故の原体験は色褪せておらず、生々しいインタビューを撮ることができました。再現ドラマというと安っぽいイメージありますが、マクドナルド監督は率直なインタビューと可能な限り真実味を出した再現ドラマを組み合わせることにより、極めて質の高い作品を実現しています。

 

すべてのワイドショットはペルーの事故現場で、俳優を使ったアップのショットはアルプスで撮影されており、ペルーでの撮影にはシンプソンとイェーツが同行、どこでどう起こったか案内するとともに、遠景で俳優の代役を務めています。

1985年の雪の夜にイェーツがシンプソンを発見した場所を見た時のシンプソンの表情を、決して忘れることはありません。彼は、あたかも自分自身の亡霊を見たかようなような表情をしていました。その瞬間からシンプソンは内なる悪夢に囚われ、フラッシュバックとパニック発作に襲われるのが傍目にもわかるようになります。さらに悪いことに、私はドラマを組み立てる為に彼に質問し続け、彼の恐怖体験を再現させてしまったのです。(ケヴィン・マクドナルド監督)
https://www.theguardian.com/film/2003/nov/21/sportandleisure

 

私は18年間、ほぼ毎日のように事故の話をし続けていますが、たいていは表面的なことしか話しません。私は7週間かけて自伝を書きましたが、自浄作用など全く無く、とても悲惨なものでした。読み返すこともありません。こうして話ができるようにするために、すべての体験をしっかりとした箱に入れ、蓋に封をしました。しかし、再びシウラ・グランデを訪れた時、すべてが5分前に起こったことのように思い出されました。振り向いてもそこには撮影隊がいないのではないか、この18年間は幻想だったのではないか、という思いに駆られ続けました。(ジョー・シンプソン)
https://www.stephenphelan.co.uk/articles/touching-the-void/

メイキング:当事者たちに残る葛藤

心理的な変化をきたしたのは、シンプソンだけではありませんでした。

標高5500メートル、氷河の上の我々の最も上のキャンプまでの長く厳しい旅をした時、状況は本当に悪くなりました。シウラ・グランデの急斜面に登らせ、私が撮影クルーの命を危険に晒そうとしていると、シンプソンとイェーツが心配し始めました。標高が高まり、疲労が蓄積するに従い緊張が高まり、現場で心理的に影響を受けることはないと何度も断言していたイェーツまでも、理性を欠いた行動をとるようになりました。ある日の午後、彼はひどく攻撃的になり、脅迫的になりました。イェーツが話すと決めていた以上のものが彼の心の中にあると最初のインタビューから感じてはいましたが、現場に戻って爆発した彼の感情に驚きました。彼は罪の意識を感じたのだろうか?「ザイルを切った男」として知られることによって、罠に嵌ったように感じたのだろうか?

この映画では1985年に起きたことだけを描き、2002年にサイモンとイェーツがその地に戻ったことは最後に触れるだけにしようと思っていましたが、私は果たしてそれが正しいのかどうか、迷い始めました。今、自分の身の回りに起きていることにカメラを向けるべきではないか?(中略)私は作ろうとしていた映画、即ち、1985年に何が起こったか?に集中することにしました。再び訪れたシウラ・グランデでの出来事が例え素晴らしいものだとしても、それは別の話だと考えたのです。(ケヴィン・マクドナルド監督)
https://www.theguardian.com/film/2003/nov/21/sportandleisure

メイキング:興味深い当事者の見解

一方、当事者でもあるシンプソンの見解にも興味深いものがあります。

自伝の成功は、(豊かな生活という)実際の事故よりも大きな影響を私達にもたらしました。これは、ケヴィンが決して理解しなかったことです。

(中略)

サイモンは罪の意識を背負っていると、ケヴィンは示唆し続けました。また、それが二人に起こった最も重要な出来事であると暗に言い続けました。でも、我々はその後も世界中の山に登り、数多くの友人を、おそらく毎年ひとりの割合で失っています。シウラ・グランデの事故は、我々が思い出したくない特別な事故のひとつに過ぎないのです。ケヴィンはとても良い映画を作りましたが、我々の苛立ちを全く解決できていません。

(中略)

(事故に遭った時、)私は自分自身を、自分が常に存在するという感覚を失っていました。そうした感覚を失い、無くしたことに気づくと、ひどく心をかき乱されます。それまでの自分には決して戻ることができません。

(中略)

我々は皆、そこにたどり着きます。そこは楽園でも何でもありません。私はクレバスの中でそれを知りました。我々は皆、死にますし、それは孤独な体験です。あなたにその順番が回ってきた時、あなたは私と同じ感覚を味わうでしょう。自分自身でもうまく言い表すことができないその感覚を、私もいつか再び味わうことになります。」(ジョー・シンプソン)

https://www.stephenphelan.co.uk/articles/touching-the-void/

 

事故の自伝を書いたおかげで、裕福な暮らしができるようになったというのは、とても面白い視点です。事故そのものにフォーカスしようとするマクドナルド監督と、その後の人生の投影を期待する当事者たちの視点の相異が興味深いです。マクドナルド監督の判断は正しいと思いますし、出来た映画も素晴らしく、シンプソンも気に入っていますが、さらにこうした後日談も含蓄が深いということは、やはり稀有な人々が稀有な体験をしたということではないかと思います。

 

ジョー・シンプソン(本人)

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ジョー・シンプソン(1960年〜)はイギリスの登山家、作家、講演家。1985年、25歳の時に本作に描かれている凄絶な事故に遭遇する。山岳小説を読むのが好きだったという彼には優れた文才があり、本作の原作にも ice weeps(氷が泣く), snow flutings(雪に彫られた文様) 、spindrift avalanches(波しぶきのような雪崩) など、不思議な美しさを持った表現が散見され、本作の原題「Touching Void」も比喩的な表現となっている。Voidは空っぽと言う意味で、これは彼自身が述べている「自分自身を失う」、「自分が常に存在するという感覚を喪失する」という、彼がアンデスの山中の臨死体験で味わった感覚を例えたものと思われる。本作の後も彼は数多くの作品を書き続け、そのすべてに非常に高い評価を得ており、高山への登山を引退した2001年以降も執筆活動を続けている。

 

サイモン・イェーツ(本人)

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サイモン・イェーツ(1963年〜)は、イギリスの登山家。1985年、21歳の時に本作に描かれている事故に遭遇する。骨折したシンプソンを助けようとしたが、シンプソンが崖に宙吊りになった為、二人とも墜落するのを防ぐ為、二人を繋ぐザイルの切断を余儀なくされた。

 

リチャード・ホーキング(本人)

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リチャード・ホーキングは、シンプソンとイェーツがシウラ・グランデの西壁にアタックする期間、ベースキャンプの留守番を頼まれた。登山は素人だが、シンプソンの生還とイェーツとの再会の生き証人となった。

撮影地(グーグル・マップ)

 

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関連作品

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