夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ヒマラヤ 運命の山」:想像を絶する山の美しさと厳しさ。人の諍い。

「ヒマラヤ 運命の山」(原題:Nanga Parbat)は、2010年公開のドイツのヒューマン・ドラマ映画です。ラインホルト・メスナーの手記「裸の山 ナンガ・パルバート 」を原作に、ヨゼフ・フィルスマイアー監督、フロリアン・シュテッタら出演で、兄弟でヒマラヤの超難関ルパール壁の初登攀に挑戦するも、弟が謎の遭難死を遂げた為に様々な憶測を呼び、世間を震撼させた実話を、当事者にしかわからない極限下での肉体的・精神的葛藤を生々しく再現しながら、見応えのある人間ドラマを描いています。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ヨゼフ・フィルスマイアー
脚本:ラインハルト・クロス/ スフェン・ゼフェリン
原作:ラインホルト・メスナー「裸の山 ナンガ・パルバート 」
出演:ラインホルト・メスナー(フロリアン・シュテッター)
   ギュンター・メスナー(アンドレアス・トビアス
   カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士(カール・マルコヴィクス)
   フェリックス・クーエン(シュテフェン・シュローダー)
   アリス・フォン・ホーベ(ユール・ロンステット)
   メスナーの母(レーナ・シュトルツェ)
   ペーター・シュルツ(セバスティアン・ベッツェル)
   ゲルド・バウル(フォルカー・ブルフ)
   ハンス・ザーラー(ミヒャエル・クランツ)
   子供時代のラインホルト・メスナーマルクス・クローエル)
   子供時代のギュンター・メスナー( ロレンツォ・ヴァルヒャー)
   メスナーの父(ホルスト・クメス)
   司祭(マティアス・ハビック)
   ブルダ議員(アレクサンダー・ヘルド)
   外交官の妻(ズニー・メルレス)
   外交官(ミゲル・ヘルツ=ケストラネク)
   ほか

あらすじ

  • ラインホルト(フロリアン・シュテッター)とギュンター(アンドレアス・トビアス)のメスナー兄弟は、幼い頃からヒマラヤ山脈にある標高8,125mのナンガ・パルバート登攀を夢見ていました。1970年、成長してドイツの登山界で名を知られるようになった二人に、ナンガ・パルバートにあるルパール壁登攀のチャンスが訪れます。ラインホルトが遠征隊に招待され、兄の影に隠れることに苛立ちを覚えたギュンターも、兄の推薦を受けて欠員の生じた遠征隊に参加が決まります。
  • カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士(マール・マルコヴィス)の指揮のもと、遠征隊はパキスタンへと向かいます。何度もルパール壁に挑戦、失敗を経験していたヘルリヒコッファーは、エリート登山家たちを集結させた今回こそ絶好の機会と、難壁の制覇に燃えていました。ヘルリヒコッファーは、ラインホルトのチームと、彼に対抗心を燃やすオーストリア軍隊出身のフェリックス・クーエン(シュテファン・シュローダー)の二チームを競うかのように登頂させます。
  • 苦難の連続の登頂にチームが分裂していく中、ラインホルトとギュンターは苦難を乗り越え、ルパール壁初登攀に成功しますが、その喜びもつかの間、ギュンターが高山病にかかります。ラインホルトは、予定の下山ルートを辿ることができなくなってしまった弟の姿を見失ってしまいます。最後の連絡から8日後、メスナー兄弟の帰還を断念し、フェリックスたちの成功を持って帰国途中だった遠征隊は、運よくボロボロになったラインホルトと遭遇しますが、そこに弟の姿はありませんでした。
  • 帰国したラインホルトを待っていたのは、「ヘルリヒコッファー遠征隊の初登攀の成功」を賛辞し、「ギュンターの死はラインホルトの責任」と糾弾する新聞記事でした。下山途中のメスナー兄弟に起こった悲劇が、ドイツの国中を騒がすスキャンダルへと発展していきます。身も心も深く傷ついた彼は、退院後故郷に戻り、遺体のない葬式を執り行い、そして8年後、彼は装備もなく、酸素もなく、弟の姿もないまま、たったひとりで、二度目の登攀に挑戦します・・・。

レビュー・解説 

2005年にギュンターの遺体が発見され、ナンガ・パルバート初登頂者をめぐる裁判のため語られていなかった事実が、ラインホルト・メスナー本人の協力により映画化されました。「スターリングラード」のヨゼフ・フィルスマイアー監督がメガホンをとり、ナンガ・パルバートなど高所での撮影を敢行しあものです。音楽を担当したのは、「ブロークバック・マウンテン」、「バベル」で二度のアカデミー作曲賞を受賞したグスタボ・サンタオラヤです。

 

「ヒマラヤ 運命の山」の撮影は、2008年8月に開始されました。52日間に及ぶ撮影期間は、ヨゼフ・フィルスマイアー監督率いる制作チームにとって、さながら登頂を目指す冒険のようなものでした。制作チームは、撮影のためにナンガ・パルバートを3度訪れました。撮影に使用したカメラは35mmが2台、70mmが1台。ラインホルト・メスナーの当時のメモをもとに、テント、衣装は忠実に再現され、氷を割る音、打ち込まれるアイゼンの音をナンガ・パルバートの撮影現場で録音するなど、当時を再現するための努力が成されています。

 

オープニング・クレジットで映し出させる空撮のナンガ・パルバートがとても美しく、最初から圧倒されます。それは急峻で、険しく、ほぼ垂直です。崇高で、人を寄せ付けぬ神のようです。一目で恋に落ち、その頂に立ちたいと思う人がいても不思議ではありません。ただ、それには想像を絶する困難が伴うでしょう。彼らは情熱的であると同時に、禁欲的でなければなりません。さもなくば罰せられて命を落とすか、一生、その十字架を背負うことになります。敗訴したラインホルト・メスナーは、その後、ギュンターの遺体が発見され名誉を回復することになりますが、山の美しさと厳しさの下、下界の諍いはとるに足りないように思えてきます。「ヒマラヤ 運命の山」は登山家の物語ではなく、神である山の物語なのかもしれません。

 

「ヒマラヤ 運命の山」のオープニング・クレジット

 

ラインホルト・メスナーについて

ラインホルト・メスナーは、1944 年南チロルのフィルネスに生まれ、5歳の時に初めて三千メートル級の山に登りました。十代の頃から東アルプスで五百回を超える登攀をこなし、1966年、22歳の時にグランド・ジョラス北壁を攻略、1969年に三大北壁で最も難易度が高いアイガー北壁を当時の世界最短記録で攻略しました。1974年にも再びアイガーを攻略し、自身が持つ世界最短登頂記録を更新しています。ラインホルト・メスナーは、世界の山脈と砂漠への旅を100回以上企て、「七大陸最高峰」を含む8,000メートル峰14座すべての登頂に世界で初めて成功したほか、グリーン ランド、南極大陸ゴビ砂漠タクラマカン砂漠も横断しています。世界で最も成功を収めた登山家である彼にはもはや記録は問題ではなく、手つかずの自然のままの大地を最小限の装備で訪れることが意味ある事です。彼は徒歩で旅をし、ボルト、酸素マスク、衛星電話などの装備は使いません。旅をしない時、彼は家族と南チロル、メランに自身が所有するユーバル城で暮らしています。*3

 

ナンガ・パルバートについて

原題の「Nanga Parbat」(ナンガ・パルバート)はウルドゥー語で「裸の山」の意味で、その周囲に高い山が無いことに由来します。南側のルパール壁は標高差4,800 mと世界最大の標高差を誇り、屈指の登攀難壁です。「ヒマラヤ 運命の山」が描くようにルパール壁の初登攀はラインホルト・メスナーとギュンターの兄弟によってなされました。西側のディアミール壁も困難な壁で、南西稜は「マゼノリッジ」と呼ばれ、13kmの間に7000m峰を6つ、6000m峰を2つ含むヒマラヤでも最大級の稜線となっています。ヘルマン・ブールが1953年7月3日に初登頂するまでにドイツ隊が何度も挑み、多くの遭難者を出したことから「人喰い山」と恐れられました。1990年以前のこの山の登山における死亡率は77%と14座中最も登頂の困難な山で、現在、冬季登頂に成功していない8000m峰はナンガ・パルバートとK2のみとなっています。*4

 

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