「映画と恋とウディ・アレン」(原題:Woody Allen: A Documentary)は、2011年公開のアメリカのドキュメンタリー映画です。映画監督、脚本家、俳優、コメディアン、ミュージシャンなど様々な顔を持ち、数多くの名作を手がけてきたウディ・アレンについて、ロバート・B・ウィード監督、ウディ・アレン本人、ダイアン・キートンら彼の作品に出演した俳優、歴代のミューズや恋人、家族ら、マーティン・スコセッシ監督ら映画人などの出演で、アーカイブ映像を織り交ぜながら年代順に彼のキャリアを追い、その経歴と作品、創作への姿勢、俳優との関係などの人物像を描き出しています。
目次
スタッフ・キャスト
監督:ロバート・B・ウィード
脚本:ロバート・B・ウィード
出演:ウディ・アレン
ペネロペ・クルス
スカーレット・ヨハンソン
ダイアン・キートン
ショーン・ペン
クリス・ロック
ミラ・ソルヴィーノ
ナオミ・ワッツ
ダイアン・ウィースト
オーウェン・ウィルソン
マーティン・スコセッシ
ほか
あらすじ
新聞やラジオ番組にジョークを提供するギャグ・ライターとしてデビューした10代から、スタンダップ・コメディアンとして活躍した1960年代、その後40年以上に亘って毎年およそ1本という驚異的な創作ペースを保つ現在まで、ウディ・アレンの長く輝かしいキャリアを年代順にたどります。
- スカーレット・ヨハンソン、ダイアン・ウィースト、ダイアン・キートン、ペネロペ・クルス、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツら、彼の作品に出演した俳優、歴代のミューズ、恋人や家族、マーティン・スコセッシら映画人など、数十人へのインタビュー
- 「アニー・ホール」や「ミッドナイト・イン・パリ」など、名作の撮影エピソード
- ブルックリンの生家と母校、アレン自身が撮影した実母から息子へのコメント
- 今でも愛用している16歳の時に購入したタイプライター、引き出しに溜め込んだ映画のアイデアを記したメモなど
- 作品映像やアーカイブ映像など
を織り込みながら、ショー・ビジネスへのデビューの経緯、執筆スタイル・演出法、創作プロセス、俳優との関係、創作への意欲などを追います。
レビュー・解説
幼少の頃から2011年まで、ウディ・アレンの経歴と作品、創作への姿勢、俳優との関係などを二部構成で追う195分の大作ですが、テンポが良くすんなりと観ることが出来、豪華で幅広い出演者と豊富な内容とあいまって、何度も繰り返して観たくなる優れたドキュメンタリーです。
数十人にも及ぶ関係者のインタビューを行い、彼の全作品のほぼ半数(*3)を取り上げ、様々なアーカイブ映像などを折り込みながら構成される本作は、内容が豊富でカバレッジが広く、様々な見方をすることができます。例えば、
- 書くことがウディ・アレンの天職
- 女優ダイアン・キートンとの出会いが彼の映画人生を大きく変えた
- アイディアが豊富で速筆、頭の切り替えが早い
- 即決の直感的キャスティング
- オスカー俳優を生み出す独特な制作スタイル
- 不条理をコメディで描く、稀有な映画作家
などウディ・アレンの人間像がよく分かる一方で、数多い彼の作品へのガイドにしたり、女性にもてる理由、チャンスを掴む方法、苦境の脱し方など、様々な視点で観ることもできそうです。
書くことがウディ・アレンの天職
1965年に「何かいいことないか子猫チャン」で映画デビューして以来、一流の映画作家として不動の地位を保っているウディ・アレンは、書くことが天職です。
- 我々がずっとウディ・アレンに興味を持ち続けているだけではない、彼はものを語ることにずっと興味を持ち続けているんだ。(ショーン・ペン)
- 高校時代に雇われ、放課後に毎日、1日50話のジョークを書いていたけど、苦にならなかったよ。(ウディ・アレン)
- ものを書く生活は最高だ。朝起きて、部屋の中でただ書けばいいんだ。「市民ケーン」のような傑作を書いている気分になれる。それを部屋の外に持ち出し、映画にするとなると現実が割り込んでくる。傑作を作ろうとする計画はしぼみ、この大惨事を逃れる為なら身売りしたっていいと思う。(ウディ・アレン)
高校卒業後、放送作家になった彼は、ただ書くだけではマネジメントしてもらえませんでした。内気で人前に立つのが苦手なのにもかかわらず、一流のマネージャーにつく為にコメディアンになった彼は、才能を見出され、徐々に有名になります。女優のシャリー・マクレーンがプロデューサーを連れて彼のトークショーを訪れ、彼は映画の脚本を依頼されます。彼が端役で出演するこの映画「何かいいことないか子猫チャン」は興行的には成功しますが、彼の脚本はスタジオの圧力で書き換えられてしまいます。
映画人生を大きく変えたダイアン・キートンとの出会い
脚本を書き、自ら監督したコメディを何本か制作するうちに、彼は女優ダイアン・キートンとの出会い、彼の映画人生が大きく変わります。
- ウディに愛されたくて、一生懸命だったわ。それは叶わなかったけど、いい仲間だった。(ダイアン・キートン)
- 彼女はいつも美しくて、才能に溢れていた。一緒に出かけ、しばらく一緒に住んだ。今でもいい友達だよ。彼女に出会い、彼女の目を通して様々な発見をした。女性のために書き始め、女性ならではの視点を学ぶことができた。やがてそのほうが面白いと感じるようになった。男性の視点よりね。ダイアンのおかげさ。(ウディ・アレン)
彼女との経験を基に脚本を書き、二人が主演した「アニー・ホール」(1979年)は空前の大ヒットとなり、アカデミー賞でダイアン・キートンが主演女優賞を受賞、ウディ・アレンは監督賞、脚本賞を受賞し、主演男優賞にもノミネートされます。この作品は、それまでのコメディ一辺倒の作品とは一線を画するものでした。
- 「アニー・ホール」で、彼はジョークに頼らないと決めた。面白いジョークが盛り沢山だけどね。心の機微を描いた彼の始めての映画だ。「人と感情」をウディは主題にし、ジョークはそこから生まれてくるとね。特筆すべき点だ。(ダグラス・マクグラス、脚本家/映画監督)
- ウディは自分の道を進んだけだろう。だが業界にとっては革命的だった。コメディが見直されたんだ。(F.X.フィーニー、脚本家/映画評論家)
この作品に大きく影響を受けたハリウッドは、1980年代にロマンティック・コメディを量産する様になります。
アイディアが豊富で速筆、頭の切り替えが早い
ウディ・アレンはアイディアが豊富で書くの早い、また、頭の切り替えも素早く、トラブルがあっても淡々と仕事を続けることができます。これが、40年以上に渡って一年に約一本のハイペースで映画を制作し続けている秘密です。
- 彼は「映画のアイディアなら無限にある」と言ったんだ。大ショックだったよ。僕は1年にひとつのアイディアがいいところなのに、彼はいくつも考えつくのかってね。そうは簡単じゃないって、彼もいずれ気づくさと思ったよ。(ディック・カヴェット、テレビ・パーソナリティ)
- 豊富な案の中から方向性を決めると、すぐに書き出し、順調に進むみたい。脚本は早くできるのよ。(レッティ・アロンソン、実妹/プロデューサー)
- 彼ほど速筆の脚本家を知らない。だから、あれほど多くの映画を撮れるのかも。(ロバート・グリーンハット、プロデューサー)
- 仕事の速さでのライバルは、1930年代まで遡らないとアメリカにはいない。ジョン・フォードやハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュは1年に1作以上撮った。だが、彼らがやったのは監督業だけだ。ウディは脚本も書いて40年間、1年1本ペースだ。ありえないよ。ベルイマンに並ぶね。(F.X.フィーニー、脚本家/映画評論家)
- 映画の編集を終えた日が、次の脚本のタイプを始める日なの。彼は休まないわ。(ミラ・ソルヴィーノ、女優)
- 頭の切り替えは得意なんだ、良くも悪くもね。(ウディ・アレン)
- 彼の頭の切り替えのうまさをどれだけ羨んだことか。彼はどんな時だって、仕事を続けることができるんだ。(マーシャル・ブリックマン、映画監督)
- (ミア・ファローとの)親権裁判の直前、「ブローウェイの銃弾」の脚本を彼と書いていた。だから、仕事中に邪魔が入ることが多々あった。シーンについて話し合っていると、電話が鳴り、彼は「悪いが出るよ」と小さな声で話していた。「探偵をつけろ」、「サンプルを採れ」などと、怖い言葉が聞こえてくるが、戻ってくると「続けよう」と言う。ある日は三回、邪魔が入った。三回目のゾットする会話が終わると、彼は僕を見て、「よし、チープなコメディに戻るぞ」と言ってのけた。(ダグラス・マクグラス、脚本家/映画監督)
即決の直感的キャスティング
制作資金を自ら集めるウディ・アレン監督は、俳優にスクリーン・アクターズ・ギルド(俳優組合)の定める最低賃金しか支払いませんが、それでも多くのハリウッドスターが出演を熱望するといいます。彼が出演を依頼する際は、手紙を添えた脚本をエージェントを通さずに手渡します。
- 監督を始めた頃は、役者と直接話さず、すべて助監督に任せていた。僕は部屋の隅からずっと見ていたんだ。少しずつ話すようになったが、今でも話題に困っている。気まずいし、特に言いたいこともないし・・・、じろじろと見ると、太っている?と気にするかも。とにかく最悪だよ。(ウディ・アレン)
- 5分に3人のペースで俳優と面接していたわ。彼が話さないからよ。面接が苦手だったの。ウディは「彼らも忙しいんだ」、「きっと早く帰りたいさ」、私は「あなたと話したいはずよ」と。(ジュリエット・テイラー、キャスティング・ディレクター)
- 彼の映画のファンとして思うのは、どの映画も配役が完璧ということ。それを5秒で決めるの。「よろしく」の5秒だけで役に合うかどうか分かるのよ。(ペネロペ・クルス)
- 彼から役者を指名することもあるわ、大俳優をね。(ジェーン・マーティン、元アシスタント)
- 脚本はエージェントを通さないシステムよ。俳優に直接届けるの。建物のすぐ外で読み終わるのを待つの。一晩貸すのはまれよ。いつも本人手書きの手紙をつけるの。(ジュリエット・テイラー、キャスティング・ディレクター)
- ものすごく秘密めいていた。スタッフが飛行機と車を乗り継いで脚本を持ってきた。(ショーン・ペン)
オスカー俳優を生み出す制作スタイル
マーティン・スコセッシ監督と並んで俳優に多くのオスカーをもたらすウディ・アレンは、「映画作りで重要なのは脚本と俳優」と認識していますが、俳優に演技指導することはほとんどありません。極めてまれにキャスティングを変えたり、ダブルキャストで撮影することがありますが、それは俳優ではなく脚本の問題と考えます。
- 映画作りの秘訣はいい役者を選ぶことだ。そして役柄の分析や議論で役者を混乱させないこと。ただ彼らに任せて黙っていれば、彼らが名優と呼ばれるに至った根拠を見せてくれる。(ウディ・アレン)
- ウディの映画に出演した俳優はしばしば賞を手にするが、撮影現場での彼は演技にほとんど口を出さない。(エリック・ラックス、伝記作家)
- 俳優が好演するのは、彼の映画への出演がかなって奮起するからだろう。彼らは全力投球する、ウディを落胆させないようにね。(レオナード・マルティン、映画評論家/歴史家)
- 彼のやり方が大好き。役者を信じてくれて、力でねじ伏せようとしないの。自ら開花させて責任をもたせるのよ。「君に任せる」と言われるといい演技を見せたくなるでしょ。リハーサルは好きじゃないって言うの。私の意見も聞かれたから、「同じよ」と答えた。「セリフは自由に変えてくれ」という彼の言葉は、衝撃的だったわ。だって世界一のコメディ作家よ。「最高のセリフなのに」と言うと、「これは青写真に過ぎない、自由に面白くして欲しい」、「何か案があれば試して欲しい」と言われたわ。(ミラ・ソルヴィーノ)
- 現場でウディがよく言ってたのは、「好きに演じてくれ」、「セリフを変えても構わない」、「さっさと撮ろう」とか。(ダイアン・キートン)
- これまでに組んだ監督の中でも最高だわ。たくさんの名監督と仕事をしたけどね。自由にやらせてくれる一方で細かい指示もある。いろいろ提案してくれるの。「しっくりこないなら、無理しなくてもいい」とも言うわ。だから自然に演じられる。(ナオミ・ワッツ)
- 撮影の半年前から、ギター講師を雇い、ショーンに教え込んでもらった。だから別人の映像と合成する必要がなかった。本人の演奏なんだ。(ウディ・アレン)
- 撮影の本番で初めて彼の前で弾いた。「映画の出来は役者の感性次第」、彼はそう信じている。配役の成否が撮影初日にわかるのさ。「カット」の声がかかった時、彼に聞きたかった。「帰りの飛行機を手配すべきか、ここに残って良いか?」とね。でも、彼はすぐに次の準備に入り、コメントは何もなかった。今でも僕の演技についてのコメントを聞いたことは一度もない。演技指導という点では、余計なことは一切言わないし、指示が明確でわかりやすい。(ショーン・ペン)
- ものすごく緊張している。10日前にここに来たが、最高に苦しい10日間だった。ウディを喜ばせたいと強く思うからだ。演技学校に戻った気分だよ。ただ、彼に褒められたいんだ。たくさん質問すると、「心配しないで寝なさい」と言われる。「僕が指示するから大丈夫」とね。(ジョシュ・ブローリン)
- 「この演技でいいか」など役者に質問されたら、じっと顔を見ていないで、答えてやらなきゃならない。フィードバックを求められた時は、端的に答えるようにしている。「最高だ」などと褒めるんだ。「今のでいい」、「順調だ」とかね。(ウディ・アレン)
- 役者任せの監督と言われているが、彼は望みの演技を必ず引き出すよ。(ラリー・デイヴィッド、俳優/脚本家/映画監督)
- 何事に対しても辛抱強い方じゃないから、一度満足したら取り直しはしない。早く家に帰りたいんだ。偉大な芸術家に求められるような、集中力や熱意は持ち合わせていない。自宅でスポーツを見ている方がいい。(ウディ・アレン)
- とても効率良く仕事を進める人だ。スタッフも勤勉だが、長時間働き詰めということはない。ひとつのシーンを数テイクしか撮らないし、4〜5ページを長回しで撮る。(セス・グリーン、俳優/脚本家/プロデューサー)
- 「セプテンバー」は役者を変えて二度撮っている。彼は脚本の問題だと言うでしょう、「うまく書けなかった」とね。(ジュリエット・テイラー、キャスティング・ディレクター)
不条理をコメディで描く、稀有な映画作家
ウディ・アレンの作品には彼の分身が登場することが多く、その多くは悲観的であったり、厭世的であったりします。彼は、子供の頃は良い子だったようですが、5歳の頃を境に性格が変わったといいます。
- 僕はとても可愛くていい子だったが、5歳の頃から気難しくて不機嫌になったと、母がよく言ってた。人は必ず死ぬということを知り、それが気に入らなかったんだ。どういう意味?それで終わり?ずっと続くんじゃないの?いや、終わってしまう、消えてしまうんだ。そんな人生は嫌だ・・・。それから、僕は変ってしまったんだ。(ウディ・アレン)
死の捉え方は彼の大きなテーマのひとつとなっており、2010年のカンヌ映画祭で記者に「死との関係」を問われた彼は、「私と死の関係は以前から変っていない。私は強硬に抵抗している。」と答えています。
- すごく繊細な人だから、いつか必ず終わる人生の意味について深く考えているの。きついでしょうね。常に頭にあるそんな問題が、自然に映画のテーマになるんだと思うわ。(ダイアン・キートン)
- 神や死後の世界について考えさせる、近代では珍しい映画監督だ。アメリカ映画史でも珍しいね。神と死を常に意識している。(ロバート・ラウダー、牧師/哲学者)
- なぜ、人は存在し、苦しみながら生きるのか。人間は自分の存在や孤独とどう向き合っていくのか、答えの出ない問題をいつも考えている。だから僕の映画にはそのテーマがよく忍び込むけど、僕には道化師の呪いがかけられていて、コメディでしかアプローチできないんだ。(ウディ・アレン)
- 喜劇界のカミュと彼を称したことがある。カミュは「私は死にたくない、愛する人に死んでほしくない、でも私も愛する人も必ず死ぬ。だから人生は不条理だ」と言う。ウディは同じことをユーモアを交えて表現している。(ロバート・ラウダー、牧師/哲学者)
これ以外にも様々な見方ができるし、また、見る度に新しい発見がありそうな、すばらしい作品です。12年間もウディ・アレンの良きパートナーだったにもかかわらず、養女のヌード写真が原因で彼はミア・ファローと決別、親権を巡って法廷闘争にまでなった事件についても、それなりの時間をかけて触れてられています。ミア・ファローへのインタビューは含まれていませんが、本作で取り上げられている彼女の出演作の数々を見ていると、ウディ・アレンが彼女の多彩な魅力を巧みに引き出していたことがわかります。実は、これまで彼女の出演作はノーマークだったのですが、この機会に少し観てみようかと思っています。
ラリー・デヴィッド
サウンドトラック
- If I Had a Hammer by Peter Paul & Mary iTunesで聴く*4
- As Time Goes By by Dooley Wilson*5
- Moonlight Serenade by Genn Miller and Orchestra*6
- In the Mood by Glenn Miller and Orchestra*7
- Sentimental Journey by Doris Day and Les Brown Orchestra*8
- Paper Doll by the The Mills Brothers*9
- Rhapsody in Blue by George Gershwin*10
- What's New, Pussycat? by Tom Jones*11
撮影地(グーグルマップ)
- ウディ・アレンの生家
最上階に親戚とともに大家族で暮らしていた。 - ウディ・アレンが通ったパブリック・スクール
彼は学校があまり好きではなかった。 - ウディ・アレンが出演していたクラブ「ブルー・エンジェル」があった場所
ここでスタンダップを演じていたウッディ・アレンは、女優シャリー・マクレーンが連れてきたプロデューサーの目にとまり、映画「何かいいことないか子猫チャン」の脚本を書くことになった。当時のクラブは閉鎖されている。 - 有名な「マンハッタン」の59丁目橋が見えるシーンが撮影された場所
ベンチは設置されておらず、持ち込んで撮影された。風景の美しい場所だったが、これほど有名になるとは思わなかったという。ウディ・アレンと言えばニューヨークというほど、ニューヨークを愛した彼だが、撮影コストの高騰もあり、ロンドン、パリ、バルセロナ、ローマなど、海外で撮るようになった。メトロポリタン(大都会派)から、コスモポリタン(国際派)な映画監督になったと言う人もいる。「ミッドナイト・イン・パリ」は彼の最も興行収入の大きな作品となった。 - ウディ・アレンのタウンハウス
ここで執筆している。
関連作品
ウィディ・アレン監督作品
おすすめアート系ドキュメンタリー映画
関連記事
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本作で引用されている主なウディ・アレン作品とアカデミー賞受賞歴
作品名 | 公開年 | アカデミー賞受賞歴 | ||
監督賞 | 脚本賞 | 俳優賞(俳優) | ||
何かいいことないか子猫チャン | 1965年 | |||
泥棒野郎 | 1969年 | |||
ウディ・アレンのバナナ | 1971年 | |||
スリーパー | 1973年 | |||
アニー・ホール | 1977年 | 受賞 | 受賞 | 主演女優賞受賞 (ダイアン・キートン ) 主演男優賞候補 (ウディ・アレン) |
インテリア | 1978年 | 候補 | 候補 | 主演女優賞候補 (ジェラルディン・ペイジ) 助演女優賞候補 (モーリン・ステイプルトン) |
マンハッタン | 1979年 | 候補 | 助演女優賞候補 (マリエル・ヘミングウェイ) |
|
カメレオンマン | 1983年 | |||
ブロードウェイの ダニー・ローズ |
1984年 | 候補 | 候補 | |
カイロの紫のバラ | 1985年 | 候補 | ||
ハンナとその姉妹 | 1986年 | 候補 | 受賞 | 助演男優賞受賞 (マイケル・ケイン) 助演女優賞受賞 (ダイアン・ウィースト) |
ラジオ・デイズ | 1987年 | 候補 | ||
ウディ・アレンの重罪と軽罪 | 1989年 | 候補 | 候補 | 助演男優賞候補 (マーティン・ランドー) |
*アリス | 1990年 | 候補 | ||
ウディ・アレンの影と霧 | 1991年 | |||
夫たち、妻たち | 1992年 | 候補 | 助演女優賞候補 (ジュディ・デイヴィス) |
|
ブロードウェイと銃弾 | 1994年 | 候補 | 候補 | 助演女優賞受賞 (ダイアン・ウィースト) 助演男優賞候補 (チャズ・パルミンテリ) |
世界中がアイ・ラヴ・ユー | 1996年 | |||
魅惑のアフロディーテ | 1996年 | 候補 | 助演女優賞受賞 (ミラ・ソルヴィーノ) |
|
地球は女で回っている | 1997年 | 候補 | ||
ギター弾きの恋 | 1999年 | 主演男優賞候補 (ショーン・ペン) 助演女優賞候補 (サマンサ・モートン) |
||
マッチポイント | 2005年 | 候補 | ||
それでも恋するバルセロナ | 2009年 | 助演女優賞受賞 (ペネロペ・クルス) |
||
恋のロンドン狂騒曲 | 2010年 | |||
ミッドナイト・イン・パリ | 2011年 | 候補 | 受賞 | |
*ブルー・ジャスミン | 2013年 | 候補 | 主演女優賞受賞 (ケイト・ブランシェット) 助演女優賞候補 (サリー・ホーキンス) |
*本作では引用されていない
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If I Had a Hammer - Peter, Paul & Mary(iTunes)
*5:本文に戻る
As Time Goes By - Dooley WilsonAs Time Goes By - Dooley Wilson(iTunes)
*6:本文に戻る
Moonlight Serenade - Glenn Miller and His Orchestra(iTunes)
*7:本文に戻る
In the Mood - Glenn Miller and His Orchestra(iTunes)
*8:本文に戻る
Sentimental Journey - Les Brown and His Orchestra & ドリス・デイ(iTunes)
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Paper doll - ミルス・ブラザーズ(iTunes)
*10:本文に戻る
ラプソディー・イン・ブルー - George Gershwin(iTunes)
*11:本文に戻る
What's New Pussycat? (Main Title) - トム・ジョーンズ(iTunes)