ウディ・アレン監督作品〜ニューヨーク等大都市を舞台に驚異的ペースで制作し続け、スター俳優が出演を熱望する天才的不条理コメディ作家
ウディ・アレン(1935年-)は、アメリカの映画監督、脚本家、俳優、小説家、クラリネット奏者です。高校時代に新聞等にギャグの投稿を始めてから60年以上に渡り創作活動を続け、さらに1960年代半ばに映画の脚本を書き、監督を始めてから40年以上、一年に約一本という驚異的なペースで映画製作を続けながら、しかも第一人者であり続ける類まれなる映画製作者です。アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされており、監督賞を1度、脚本賞を3度受賞しています。また、マーティン・スコセッシ監督と並んで、アカデミー俳優賞を数多くもたらす監督して知られています。*1
目次
略歴と作風
- ニューヨークのユダヤ人家庭に生まれたウディ・アレンは、高校時代から「ニューヨーク・デイリー・ミラー」、「ニューヨーク・ポスト」などにギャグを送り始め、コラムニストによって紙上で紹介され人気を博します。 これが芸能エージェントの目にとまり、臨時雇いのギャグ・ライターになります。さらに有力なマネージャーの契約し、放送作家になった彼はエミー賞にノミネートされるようになり、確固とした地位を得るとともに、スタンダップ・コメディアンとして活動を始めます。
- 舞台を重ねるうちに腕を上げ、「ニューズウィーク」や「ニューヨーク・タイムズ」が高く評価するようになります。女優シャリー・マクレーンと共に彼の舞台を見に来た映画プロデューサーから脚本執筆の依頼があり、「なにか良いことないか子猫チャン」(1965年)の脚本を書き、俳優としても出演します。この作品でスタジオの干渉を嫌った彼は、すべてをコントロールできるようにと、監督も兼ねるようになります。
- 当初は、いわゆるお馬鹿コメディを制作していましたが、ダイアン・キートンとの出会いを元に描いた半自伝的ロマンティック・コメディ「アニー・ホール」(1977年)で大きな転機を迎えます。作品にまじめさが加わり、また、長い会話や、長回し、陽気さと傷心にテーマをおくなどの、現在に至るアレン映画のスタイルを確立した作品となります。さらに、アメリカ最高と言われた撮影監督ゴードン・ウィリスに美しいモノクロームのニューヨークの映像に、ジャズ・クラッシックの大家、ジョージ・ガーシュウィンのサウンドトラックを完全にマッチさせた、ウディ・アレンの最高傑作の呼び声高い「マンハッタン」(1977年)で、一流の映画作家としての地位を不動のものにします。
- 生まれ育ったニューヨークをこよなく愛する彼は、作品もニューヨークを舞台にしたものが多かったのですが、「世界中がアイ・ラヴ・ユー」(1996年)で海外ロケを行い、以降、ロンドン、バルセロナ、パリなど海外の大都市を舞台にした作品も手がけるようになり、「ミッドナイト・イン・パリ」(2011年)では、彼の作品で最大の興行収入を記録します。
ニューヨークや世界の大都市の文化や暮らし、人々のメンタリティや自意識を織り込んだコメディ作品を数多く手がける彼は、不条理をコメディで描く稀有な映画作家とも言われ、欧州など、アメリカ以外で評価される作品も少なくありません。
驚異的な制作ペース
監督を始めてから40年以上、年約一本という驚異的なペースで映画製作を続け、しかも第一人者であり続ける彼の秘密は、
- アイディアが豊富で速筆
高校時代から一日50話のジョークを書いていたが全く苦にならず、映画のアイディアも無数にあるという。豊富なアイディアの中から方向性を決めると、すぐに脚本を書き始め、一気に仕上げる。 - 興味あるものだけを撮り、進化する
スタジオの干渉を嫌い、自ら資金を集めて興味があるものだけを撮る一方で、コメディに女性視点のロマンスを取り入れたり、舞台をニューヨークから世界の大都市に広げたりと、作品が進化する。 - 頭の切り替えが早い
作品のレビューは読まず、編集を終えるとすぐに次作の脚本を書き始める。また、プライベートで大きな揉め事があってストレスがかかっても、頭を切り替えて脚本を書き続ける。
オスカー俳優を生み出す制作スタイル
自ら資金を集めるウディ・アレンは俳優組合の最低賃金相当のギャラしか払わないにもかかわらず、スター俳優がこぞって出演を熱望します。その制作スタイルは、
- 「映画作りで重要なのは脚本と俳優」と認識するも、演技指導することはほとんどない。また、まれにキャスティングを変えたり、ダブルキャストで撮影することがあるものの、それは俳優ではなく脚本の問題と考える。
- 役柄の分析や議論をしない。いい役者を選んで任せれば、名優と呼ばれる根拠を見せてくれると考える(出演する俳優は奮起し、全力投球する)。わかりやすく明確に指示するが、演技にはコメントしない。質問されれば、「最高だ」、「今のでいい」、「順調だ」と答える。
- 早撮りのリハーサル嫌いで、一度満足したら取り直しはしない。効率良く仕事を進め、スタッフも勤勉だが、長時間働くことはない。ひとつのシーンを数テイクしか撮らず、4〜5ページを長回しで撮る。「好きに演じてくれ」、「セリフを変えても構わない」、「さっさと撮ろう」が撮影現場での口癖。
主な監督・脚本作品
ウィディ・アレン脚本・監督の作品のDVD(Amazon)
「ウディ・アレンのバナナ」(1971年)
「アニー・ホール」(1977年)
「カイロの紫のバラ」(1985年)
「ハンナとその姉妹」(1986年)
「ラジオ・デイズ」(1987年)
「ウディ・アレンの重罪と軽罪」(1989年)
「それでも恋するバルセロナ」(2008年)
「ミッドナイト・イン・パリ」(2011年)
「ブルー・ジャスミン」(2013年)
関連作品
ウディ・アレンの作品、人物像を描いたドキュメンタリーのDVD(Amazon)
「映画と恋とウディ・アレン」(2011年)
関連記事
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ウディ・アレン作品のアカデミー賞監督賞、脚本賞及び俳優4賞の受賞歴
作品名 | 公開年 | アカデミー賞受賞歴 | ||
監督賞 | 脚本賞 | 俳優賞(俳優) | ||
アニー・ホール | 1977年 | 受賞 | 受賞 | 主演女優賞受賞 (ダイアン・キートン ) 主演男優賞候補 (ウディ・アレン) |
インテリア | 1978年 | 候補 | 候補 | 主演女優賞候補 (ジェラルディン・ペイジ) 助演女優賞候補 (モーリン・ステイプルトン) |
マンハッタン | 1979年 | 候補 | 助演女優賞候補 (マリエル・ヘミングウェイ) |
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ブロードウェイの ダニー・ローズ |
1984年 | 候補 | 候補 | |
カイロの紫のバラ | 1985年 | 候補 | ||
ハンナとその姉妹 | 1986年 | 候補 | 受賞 | 助演男優賞受賞 (マイケル・ケイン) 助演女優賞受賞 (ダイアン・ウィースト) |
ラジオ・デイズ | 1987年 | 候補 | ||
ウディ・アレンの重罪と軽罪 | 1989年 | 候補 | 候補 | 助演男優賞候補 (マーティン・ランドー) |
アリス | 1990年 | 候補 | ||
夫たち、妻たち | 1992年 | 候補 | 助演女優賞候補 (ジュディ・デイヴィス) |
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ブロードウェイと銃弾 | 1994年 | 候補 | 候補 | 助演女優賞受賞 (ダイアン・ウィースト) 助演女優賞候補 (ジェニファー・ティリー) 助演男優賞候補 (チャズ・パルミンテリ) |
魅惑のアフロディーテ | 1996年 | 候補 | 助演女優賞受賞 (ミラ・ソルヴィーノ) |
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地球は女で回っている | 1997年 | 候補 | ||
ギター弾きの恋 | 1999年 | 主演男優賞候補 (ショーン・ペン) 助演女優賞候補 (サマンサ・モートン) |
||
マッチポイント | 2005年 | 候補 | ||
それでも恋するバルセロナ | 2009年 | 助演女優賞受賞 (ペネロペ・クルス) |
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ミッドナイト・イン・パリ | 2011年 | 候補 | 受賞 | |
ブルー・ジャスミン | 2013年 | 候補 | 主演女優賞受賞 (ケイト・ブランシェット) 助演女優賞候補 (サリー・ホーキンス) |