夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「迫り来る嵐」:劇的な経済成長を遂げた中国の変遷を背景に、高い映像クォリティで描かれた、中国では珍しい社会派クライム・サスペンス

「迫り来る嵐」(原題:暴雪将至、英題:The Looming Storm)は、2017年公開の中国の社会派クライム・サスペンス映画です。本作で長編デビューを果たしたドン・ユエ監督・脚本、ドアン・イーホン(段奕宏)、ジャン・イーイェン(江一燕)ら出演で、1990年代後半から2000年代後半にかけて社会・経済が急成長、激変する中国を背景に、連続殺人事件の捜査に心を奪われる国営製鋼所の警備課職員の運命と愛の行方を描いています。2017年の東京国際映画祭で最優秀男優賞(ドアン・イーホン)と芸術貢献賞をダブル受賞、翌2018年のアジア・フィルム・アワードで新人監督賞を受賞した作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ドン・ユエ(董越)
脚本:ドン・ユエ(董越)
出演:ドアン・イーホン(段奕宏)/ユィ・グオウェイ
   ジャン・イーイェン(江一燕)/イェンズ
   トゥ・ユアン(杜源)/ジャン警部
   チェン・チュウイー(鄭楚一)/リー警官
   ほか

あらすじ

1997年。中国の小さな町の古い国営製鋼所の保安部で警備員をしているユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン/段奕宏)は、泥棒の検挙で実績を上げています。そんな中、ユィは近所で起きている若い女性の連続殺人事件の捜査に刑事気取りで首を突っ込み始めます。ジャン警部(トゥ・ユアン/杜源)から捜査情報を手にいれたユィは、自ら犯人を捕まえようと奔走、死体が発見される度に事件に執着していきます。 ある日、恋人のイェンズ(ジャン・イーイェン/江一燕)が犠牲者のひとりに似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向に展開していきます・・・。

レビュー・解説

劇的な経済成長を遂げた中国の現代史と思想の変遷を背景に、高い映像クォリティで描かれた中国では珍しい社会派クライム・サスペンスです。

 

高い映像クォリティで描かれた、中国では珍しい社会派クライム・サスペンス

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意外に観ることがない中国映画

中国はここ二十年〜三十年で、他に類を見ないほど大きく変化しました。貧しい社会主義国家がGDP世界第二位、トップのアメリカに急追する経済大国となりました。このように社会が激変すると様々な社会的な歪が出てくるので、映画の背景として格好の題材となります。しかし、中国の映画市場は米国に次ぐ世界第二位の規模を誇り、米国を追い抜くのも時間の問題と言われているのにもかかわらず、私が中国映画を観る機会はとても少ないです。当ブログで書いた中国映画のレビューは「人魚姫」(2016年)ただ一本のみ、それも香港と中国の合作で、どちらかというと香港色が濃い作品です。決して、中国映画を毛嫌いしているわけではなく、むしろ、インド映画のように面白い作品がたくさんあるはずだと思っているのですが、どうも網に引っかかって来ません。「アイ・ウェイウェイは謝らない」(2012年)などたまに興味を惹くものがあっても、中国を題材にしたアメリカのドキュメンタリー映画だったりします。

 

こうした背景には、

  • 最近の中国映画には私の興味をあまりそそらない時代劇や任侠ものが多い
  • 軽めのコメディを好む中国の観客には、社会問題を扱う作品があまりウケない
  • 天安門事件が歴史から消えてしまうなど、中国には検閲があり、社会背景を絡めたドラマを作りにくい

といった事情があるのではないかと思います。因みに、イランでも検閲がある為、直接的な社会批判ができませんが、それが逆に比喩的な芸術表現を発展させたと言います。検閲がなく、ダイレクトに社会背景が楽しめるのがベストですが、中国の映画人にも、是非、比喩的な表現で頑張ってほしいと思います。

クライム・サスペンスの顔をした社会派ドラマ

本作はクライム・サスペンスを体裁を採っており、最初の脚本では犯人が捕まり、犯行動機も描かれていました。しかし、中国西北地方の小さな炭鉱町が荒廃し、廃れていく姿に触発されて本作の制作を思い立ったというドン・ユエ監督は、ありきたりのサスペンスでは満足できず、むしろ悲劇を生んだ社会環境に注目、終いには犯人はどうでも良くなってしまったと言います。

 

因みに、本作のタイトル、「迫り来る嵐」(原題:暴雪将至)には、

  • 本作の終盤の舞台である2008年に暴雪(ブリザード)が多かったこと
  • 急激な中国社会の変化が、ブリザードのような波乱をもたらすこと

という二つの意味が重ね合わされており、社会の変化がもたらす漠然とした不安感が象徴的に表現されています。本作が長編映画デビューのドン・ユエ監督は、これまでに撮影監督やCFの監督として経験を積んでおり、本作では雨のシーンを多用し、高い映像クォリティで時代の不安感を象徴的に表現することに成功しています。

さり気なく描かれる中国の現代史と思想の変遷

本作の主人公、ユィ・グオウェイは国営の製鋼工場の警備課の職員です。仕事がら、工場の近くで起きた殺人事件に興味を持ちやすい立場にありますが、ごく普通の中国人です。序盤、彼は模範工員として表彰されますが、当時の中国人なら誰もがこうした表彰に憧れたものでした。当時の社会主義下の中国では、人々は豊かさよりも「特権」に憧れました。彼の表彰を祝う飲み会で彼は公安局(民事警察)への昇職を勧められますが、警備課長になって警棒を持つ特権を得たばかりの彼は現状に満足しており、工場の近くで起きた殺人事件にもそのままの立場で関与したいと考えていました。因みに、彼が「素晴らしい人生を送り、熱い情熱で新世紀を堂々と迎えます」と受賞のスピーチをする際に機械の故障で天井から雪のようなものが舞い降りてくるのは、やがて彼に降りかかる嵐を暗示する、手の込んだ演出です。

 

「香港に簡単に行けるようになると思う?」という主人公の恋人、イェンズの台詞が劇中にありますが、本作の最初の舞台の1997年は香港が中国に返還された年です。当時の社会主義下の中国人にとって香港は遥か遠い場所で、高度な資本主義と物質主義に満たされた別世界でした。そんな別世界が中国に返還されることは彼らの大きな関心事で、「いつか香港に遊びに行く」というのが当時の中国人の夢でした。

 

そんなユィとイェンズの前に、不穏な出来事が次々と起こります。容疑者を捕まえる寸前に取り逃がし、追跡中の事故で部下の命を落とすなど、ユィはどんどん深みに嵌っていきます。本作の連続殺人とは無関係ですが、数年前の工場が倒産、夫に収入が無い為に夫婦仲が悪化、罵る妻を刺殺してしまった夫のエピソードも挿入されています。効率の良い者が勝ち、古い者は淘汰される時代になり、やがてユィも工場をリストラされてしまいます。90年代は現在の中国の富裕層が台頭してきた時代ですが、見方を変えれば負け組が出始めた時代でもあります。十年後の2008年にはユィの輝かしい過去はすっかり忘れ去られ、彼が勤めた古い工場も時代にそぐわぬものとして爆破されます。メディアでは裕福になった中国ばかりが強調されますが、この激変の時代に不安に感じた中国人は少なくなかったと思われます。

余談:香港を襲った嵐

本作が描いているのは2008年までですが、1997年の中国への返還から20年以上経った香港に、今、大きな嵐が吹き荒れています。2019年の逃亡犯条例改正案に反対するデモが発端となり、「五大要求」(改正案の完全撤廃、市民活動を「暴動」とする見解の撤回、デモ参加者の逮捕・起訴の中止、警察による暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施、民主的選挙の実施)の実現を要求する反政府デモに発展、最大で二百万人が参加していると言われています。

 

かつて、中国人にとって別世界であった香港ですが、1997年に18.4%だった中国のGDPに占める香港の割合が、2018年には2.7%まで下がり、3%を占める深センの後塵を拝しています。香港が衰退したと言うよりは、中国本土が劇的な発展を遂げたわけですが、中国が一国二制度で香港を特別扱いする意味が薄れているの間違いないでしょう。恐らくドン・ユエ監督も予想しなかったであろう大規模な香港民主化デモですが、これをもたらしたものが中国本土の急成長だとしたら、中国本土にも同じような歪み、痛みがあるのではないかと思います。そうした歪、痛みが様々な理由で映画化されないのは、とても残念です。

 

中国と香港のGDP比率推移

f:id:DaysLikeMosaic:20191121060805p:plain出典:Wikipedia

余談:激変を遂げた中国

現在の中国(中華人民共和国)を建国した毛沢東の死後、中国の最高指導者となった鄧小平(任期:1978年〜1989年)は、毛沢東時代の政策を転換、「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を試みました。農村部では人民公社を解体、経営自主権を保障し、生産意欲を喚起しました。都市部には経済特区や経済技術開発区を設置、華僑や先進国の資本を積極的に導入し、資本を確保し技術移転を得ながら、企業の経営自主権を拡大しました。この時期の市場経済への移行は、主に価格の自由化を目的にしたものだと言われています。こうした開放政策は、農村部と都市部、沿岸部と内陸部の経済格差を拡大し、また官僚の汚職や腐敗を深刻なものにしました。インフレや失業など、政府に対する不満は高まり、1989年には天安門事件が発生、改革開放は一時中断します。

 

1992年になると、再び改革開放が推し進められ、経済成長は一気に加速します。社会主義市場経済体制のもと、最高指導者の江沢民格差是正と一層の経済改革に取り組みます。格差是正のための西部大開発国営企業改革に伴う失業者の増大といった問題が発生します。本作の主な舞台である1997年はこの時代で、香港が中国に返還された年でもあります。新しい自由な時代への期待と、本作にも描かれている大量解雇などのスクラップ&ビルドが入り混じった時代です。

 

2002年には、胡錦涛党総書記を最高指導者とする政権が発足、

などが施行されます。本作のもう一つの舞台である2008年はこの時代で、北京オリンピックが開催された年でもあります。因みに、1997年の中国のGDPは8兆人民元、2008年は32兆人民元と、10年余りにGDPが4倍という高成長を見せます。この間、ライフスタイルや人々の考え方も大きく変わり、10年前のことはすっかり忘れられているという、象徴的なシーンが本作に織り込まれています。

 

急成長した中国経済データ:The World Bank 

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中国経済が急成長を続けた1990年代から2000年代が映画の舞台となっている。

 

ドアン・イーホン(段奕宏)/ユィ・グオウェイ

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ドアン・イーホン(段奕宏、1973年〜)は、新疆ウイグル自治区出身の中国の俳優。1998年に中央戯劇学院を卒業、ドラマ、舞台を中心に活躍する。2002年に映画デビュー、近年は映画を中心に活躍している。潜入捜査/ミッション:アンダーカバー(2017年)などに出演、本作で東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞している。妻のワン・ジン(王瑾)は、中村幸子という日本名と日本国籍をもつ中国の女優。

 

ジャン・イーイェン(江一燕)/イェンズ

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ジャン・イーイェン(江一燕、1983年〜)浙江省出身の中国の女優、歌手、作家。1999年、アイドルグループのメンバーとして歌手活動を開始、その後、ソロ活動を始め、2006年に初シングルをリリース、翌2007年に初アルバムを発表。2002年にテレビ・ドラマ、2005年に映画デビュー。「南京!南京!」(2009年)、「バレット・ヒート 消えた銃弾」(2012年)などに出演している。「バレット・ヒート 消えた銃弾」では第32回香港映画祭で最優秀助演女優賞にノミネートされている。

 

トゥ・ユアン(杜源)/ジャン警部

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トゥ・ユアン(杜源、1957年〜)は、黒竜江省ハルビン出身の中国の俳優。82年、中央学術院演劇部を卒業、俳優として活躍する。映画「野山」(1986年)で第6回中国・金鷄賞を、「草ぶきの学校」(1998年)で第19回中国映画金鷄賞で最優秀助演俳優を受賞している。

 

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