夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ジュリアン」:DVの本質である怒りの暴走をスリリングに描き、配偶者のみならず子供にも与える心の傷を強く訴えるサスペンス&ドラマ

「ジュリアン」(原題:Jusqu'à la garde)は、2017年公開のフランスのサスペンス&ドラマ映画です。 グザヴィエ・ルグラン監督、トマ・ジオリア、ドゥニ・メノーシェら出演で、11歳の息子の親権を妻と争う夫が、息子と面会する度に妻の電話番号や住所を聞き出し、やがて妻の家に乗り込む様を描いています。第86回アカデミー賞短編映画賞にノミネートされた「すべてを失う前に」(2013年)の長編版で、第74回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:グザヴィエ・ルグラン
脚本:グザヴィエ・ルグラン
出演:ドゥニ・メノーシェ(アントワーヌ・ベッソン、ジュリアンの父)
   レア・ドリュッケール(ミリアム・ベッソン、ジュリアンの母)
   トマ・ジオリア(ジュリアン・ベッソン、11歳の少年)
   ジョゼフィーヌベッソン(マティルド・オネヴ、ジュリアンの姉、18歳)
   マチュー・サイカリ(サミュエル、ジョゼフィーヌの恋人、ミュージシャン)
   フロランス・ジャナス(シルヴィア、ミリアムの妹)
   マルティーヌ・ヴァンドヴィル(マドレーヌ、アントワーヌの母)
   ジャン=マリー・ヴァンラン(ジョエル、アントワーヌの父)
   マルティーヌ・シャンバッハー(ナニー、ミリアムの母)
   ジャン=クロード・ルゲー(アンドレ、ミリアムの父)
   サディア・ベンタイエブ(裁判官)
   ソフィー・パンスマイユ(ミリアムの弁護士)
   エミリー・アンセルティ=フォルメンティニ(アントワーヌの弁護士)
   ほか

あらすじ

  • 夫アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)と別居、離婚調停中のミリアム(レア・ドリュッケール)は、ジョゼフィーヌジョゼフィーヌベッソン)とジュリアン(トマ・ジオリア)の二人の子供を引き取っています。ミリアムは夫を子供たちに近づけたくありませんでしたが、夫アントワーヌの弁護士はアントワーヌと息子ジュリアンの関係をミリアムが断ち切ろうとしていると離婚調停で主張します。結局、アントワーヌはジュリアンの共同親権を得て、隔週の週末ごとにジュリアンと過ごすことになります。
  • 一方、アントワーヌのDV癖を恐れるミリアムは、決してアントワーヌに会おうとせず、電話番号を頻繁に変えて新居の住所も教えません。ジュリアンに面会する度にアントワーヌはミリアムの居場所を聞き出そうとしますが、ジュリアンは母親を守るため必死に嘘をつき続けます。アントワーヌの不満は徐々に膨らみ、ジュリアンの嘘で怒りに火が点き、燃えさかる怒りとともにミリアムの家に乗り込みます・・・。

レビュー・解説

DVの本質である怒りの暴走を徹底した調査と選りすぐりの俳優による迫真の演技でスリリングに描き、配偶者のみならず子供にも悪影響を与えるDVの恐怖を観る者の感性に強く訴えるサスペンス&ドラマ映画です。

DVの本質をスリリングに描く

冒頭、裁判所での息子の親権をめぐる夫婦の離婚調停のシーンから始まります。双方の弁護人が陳述しますが、この段階でどちらに非があるのかわかりません。ドメスティック・バイオレンス(DV)と言っても夫婦関係ではどちらかが一方的に悪いということはないだろう、果たしてこの先、どのように描いていくのだろうかと、少々、意地の悪い視点で見始めたのですが、物語が進行するに従って、完全に意表を突かれました。夫が妻にDVを振るうようになった経緯をドラマ形式で描くのではなく、日常的な状況の中で夫の怒りが徐々にエスカレートしていく様がスリリングに描かれています。余計な要素を削ぎ落とし、DVの本質的な原因である怒りの暴走に絞り込んいるので、突っ込みようがありません。さらに、妻や子供を肉体的に傷つけることになしに、DVの恐怖を描いているのも見事です。

 

因みに、DVはプライベートな世界で繰り広げられる大変な悲劇ですが、外からはほとんど見えません。本作は裁判所という社会的な視点から始まり、プライベートの世界に入ってDVを描き、最後に再び社会的な視点に戻って終わるという構成で、こうしたDVの構図を印象づけています。

徹底した調査に裏打ちされた説得力

スリラーと言うと一般に娯楽映画の要素が強いのですが、本作は冒頭の離婚調停のシーンからリアルで無駄のない展開を見せます。グザヴィエ・ルグランは、物語を作り込んでいく前に長い時間をかけて様々な人々から話を聞くなど、綿密に現場調査をしています。彼はDVについて書かれた数多くの著作、体験談や各種資料、フィクションを読むだけではなく、実際にDVの被害者となった女性たち、そうした家庭で育った子どもたち、家庭裁判所の裁判官、判事などに聞き取りをしています。また、警察にも行き、実際にどのような状況が緊急事態が発生しているかについても様々な事例を取材しています。こうした本作の緻密な裏付けが、一般的なスリラーにはないリアリティを醸し出し、同種の作品には類を見ない説得力を生み出しています。

 

長女のジョゼフィーヌはあまり物語にかかわらないのですが、本作には彼女が妊娠検査をする場面が挿入されています。実は、これも調査に基づいたエピソードです。

ジョゼフィーヌは成人に達しており、年の離れたジュリアンとは異なって彼女に親権が及ぼす影響は大きくありません。しかし、両親の関係や家庭環境は彼女にも同様に深く影を落とす。彼女のその後の人生に大きな影響を与えるのです。私が取材したところ、こうした環境で育った子どもたちはしばしばいくつかの選択肢を押しつけられることになる。男子の場合、自分もまた父親と同じように暴力的な夫になるか、あるいは暴力に過敏に反応することで、注意深く慎重な性格が醸成されていきます。女子の場合は、様々な手段を使ってできるだけ早く家庭から出ていこうとする。自分自身の家庭を築いたり、自立を急いだりするわけですね。この作品でも、彼女が自ら妻となり母親となることで、なんとか早く家庭から出ていこうとする姿が描かれています。(グザヴィエ・ルグラン監督)

https://i-d.vice.com/jp/article/wjm8m9/interview-xavier-legrand-julien

DVの本質は原因ではなく怒りの暴走

結局のところ、夫婦関係ではどちらかが一方的に悪いということはないのでは?という意地の悪い視点は、見事に肩透かしを食いました。DVにおいて重要なのはどちらが原因を作ったかではなく、怒りの暴走による過剰な反応であると、素直に納得せざるを得ませんでした。また、過去の肉体的危害を暗示するシーンはあるものの、本作は肉体を傷つけることになしにDVの恐怖を描いており、心理的な暴力もDVであることを実感できます。ともすれば、肉体的な危害がなければDVではないと短絡的に考えがちですが、心理的な暴力もDVであることは強く認識しておいた方が良いと思われます。

迫真の演技を見せる俳優陣

レア・ドリュッケールとともに本作の短編版の「すべてを失う前に」(2013年)に出演しているドゥニ・メノーシェの演技が白眉です。本作は彼の行動を中心に展開しますが、冒頭の離婚調停のシーンでの夫、妻、どちらに非があるのかわからない抑えた演技から、クライマックスの感情の爆発まで、徐々に怒りが昂じていく様を正確に演じています。一見、強面の彼ですが、撮影の合間にはお笑い系の冗談ばかり飛ばす、とても面白い俳優です。彼は、「イングロリアス・バスターズ」(2007年)、「危険なプロット」(2012年)などの著名な作品にもちょっとした役で出演していますが、ジャン・ギャバン(1904年~1976年)、リノ・ヴァンチュラ(1919年~1987年)、ジャン=ポール・ベルモンド(1933年~)、ジャン・レノ(1948年~)、ティエリー・トグルドー(1959年~)、マチュー・アマルリック(1965年~)、ヴァンサン・カッセル(1966年~)といったフランスの個性派俳優の後を追える人材ではないかと期待しています。

 

息子ジュリアンを演じたトマ・ジオリアも、父の怒りに涙ながらに耐えるなど迫真の演技を見せています。内気な性格の彼ですが、二人の兄に刺激されて演劇を始め、先生に勧められるままにオーディションを受けて、本作に抜擢されました。子役専門の演技コーチが撮影に同行し、最大のパフォーマンスが得られるよう子どもの立場に立って助言していはいますが、やはり、彼自身の資質が大きいようです。オーディションで彼を発掘したグザヴィエ・ルグラン監督は、彼には聴く力と俳優としてやっていきたいという成熟した感性があり、非常に珍しい才能の持つ逸材だと直感したと、絶賛しています。

余談:DVの加害者にならない為に

DVは怒りの暴走であるというシンプルなメッセージに、いろいろと考えさせられました。以前、米国のDVやストーカーの加害者に対する更生プログラムに関するテレビ番組を見たことがありますが、

  • 相手の間違いは正さなくてもいい
  • 相手に固執しなくていい
  • 怒りをコントロールすることが大切

などといったセラピーをやっていました。恐らく、DVやストーカーには、

  • 自分が正しいと盲信し、
  • 相手を支配しようとする傾向が強く、
  • 粘着質で怒りのスイッチが入りやすい

といった傾向があるという、心理学的なプロファイリングに基づくものだと思います。もちろん、自分が正しいと信じること、自分の意にかなう行動を相手に期待すること、一貫性をもって物事に臨むこと、むやみに感情を抑圧しないなどといったことは、一概に間違いとは言えませんが、オール・オア・ナッシングの二元論ではなく、TPOやバランスの問題と言えます。DV傾向があるかもしれないと思う人は、このような視点で自制してみるのも良いかも知れません。

余談:ハラスメントの拡大解釈と冤罪

もともと、自分は女性の権利拡大には好意的だと思っていましたが、#MeToo運動の過熱やセクハラ、パワハラモラハラという各種ハラスメントの拡大解釈に直面して、少し懐疑的になってきています(冒頭の夫婦関係ではどちらかが一方的に悪いということはないのでは?という意地の悪い視点も、そうした心境の変化の影響)。受けた側がハラスメントだと感じれば、それはハラスメントだと信じて疑わない女性がいます。確かにハラスメントは受け取る側の問題ではありますが、受け取る側がハラスメントだと感じればすべてハラスメントと認定されるわけではありません。むしろ、認定されないケースの方が圧倒的に多いのです。しかし、痴漢の冤罪と同様、女性がハラスメントと思い込んで騒ぎ立てるだけで、男性は社会的信用などにダメージを受けるという、男性にとっては非常に迷惑千万な話です。DVやハラスメントの加害者にならないのはもちろんのこと、冤罪を被せられないよう男性は言動に注意を払う必要があります。

余談:男と女の交戦規定

男性と女性、いつでも、誰とでも信頼しあって生きていければ良いと思うのですが、信じられる時もあれば裏切られる時もある、信頼できる人もいれば裏切る人もいるというのが現実でしょう。裏切られても信じ続けるのが美徳かも知れませんが、これは必ずしも現実的ではないでしょう。ゲーム理論によると、信頼には信頼を、裏切りには裏切りをという、しっぺ返しの戦略を採った際に得られる利得が最大になるそうです。止むえずしっぺ返しをしなければならない時もあるでしょう。しかし、裏切りの行動をとる女性に対してしっぺ返しをする際には、細心の注意が必要です。例えば、

  • 女性に殴られたかと言って、男性が女性を殴り返すのは得策ではない。社会的な心証を損なう。
  • 女性に傷つくことを言われたからと言って、女性を傷つけることをストレートに言い返すのは得策ではない。倍返しなど論外。PTSDの口実になりかねない。
  • 非論理的な主張を繰返す女性を睨みつけたり、強い口調で反論するのは、賢くない。恫喝、脅迫、パワハラといった冤罪の口実にされかねない。
  • 女性の非倫理的な言動に対して、倫理を諭したり、気づきを促すのは必ずしも賢くない。モラハラという冤罪の口実にされかねない。

このように、些細な問題に対するしっぺ返しの失敗で問題が深刻化するケースも少なくないと思っています。じゃあ、どうすれば良いのかと言えば、ケース・バイ・ケースだとは思いますが、例えば殴られたら殴り返さずに傷害だと警告する、非論理的な主張には同意できないと穏やかに伝えるなどの対応があるかと思います。いずれにせよ、怒りにまかせて反射的に行動するのは禁物です。深刻な攻撃でない限り体よくかわすのが基本かと思いますが、しつこいようであるならば、冤罪の口実を与えないような対応を熟慮するのが良いでしょう。

 

因みに本作の場合、裏切りの発端は描かれていませんが、子供を連れて逃げた妻とよりを戻したい一心で、夫が怒りを爆発させ、過大なしっぺ返しとなっているのが最大の失策です(妻の裏切りに対して、力ずくで妻を服従させようとした)。頭を冷やし、妻とよりを戻すことにこだわらず、どのような条件で別れるのが得かなど、幅広い選択肢の中で最大の利得が得られる様に行動すべきです。

 

ドゥニ・メノーシェ(アントワーヌ・ベッソン、ジュリアンの父)

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ドゥニ・メノーシェ(1976年〜)は、フランスの俳優。2003年にテレビ・ドラマでデビュー。その後、長編映画に出演するようになり、「La Moustache」(2005年)、「イングロリアス・バスターズ」(2007年)、「危険なプロット」(2012年)、「Grâce à Dieu」(2019年)などに出演している。レア・ドリュッケールとともに本作の短編版の「すべてを失う前に」(2013年)にも出演している。

 

レア・ドリュッケール(ミリアム・ベッソン、ジュリアンの母)

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レア・ドリュッケール(1972年〜)はフランスの女優。舞台からキャリアを始め、1991年に映画デビュー。「女はみんな生きている」(2001年)、「青の寝室」(2014年)などに出演している。ドゥニ・メノーシェとともに本作の短編版の「すべてを失う前に」(2013年)にも出演している。

 

トマ・ジオリア(11歳の少年、ジュリアン・ベッソン

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トマ・ジオリア(2003年〜)は、フランスの子役俳優。内気な性格だが、二人の兄に刺激されて演劇を始め、先生に勧められるままにオーディションを受けて本作に抜擢された。オーディションで彼を発掘したグザヴィエ・ルグラン監督は、彼には聴く力と俳優としてやっていきたいという成熟した感性があり、非常に珍しい才能の持つ逸材と直感したとと絶賛。

 

ジョゼフィーヌベッソン(左、マティルド・オネヴ、ジュリアンの姉、18歳)

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ジョゼフィーヌベッソン(1995年〜)は、フランスの女優。幼い頃から演技に親しみ、高校卒業後は演劇学校で学ぶ。女優を続けながらソルボンヌ大学に通い、現代文学の学士号を取得した才媛。16歳の時にグザヴィエ・ルグラン監督に出会い、本作の短編版「すべてを失う前に」(2012年)のジョゼフィーヌ役をオファーされた。その後、映画やテレビシリーズでいくつもの役を獲得している。

撮影地(グーグルマップ)

 

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関連作品

ドゥニ・メノーシェ出演作品のDVD(Amazon) 

  「La Moustache」(2005年)輸入盤、日本語なし

  「イングロリアス・バスターズ」(2007年)

「危険なプロット」(2012年)

  「Grâce à Dieu」(2019年)輸入盤、日本語なし

 

レア・ドリュッケール出演作品のDVD(Amazon) 

  「女はみんな生きている」(2001年)

  「青の寝室」(2014年)

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