「サウルの息子」:アウシュヴィッツで遺体を処理するユダヤ人作業員の目を通してこの世の地獄を描いた、史実に基づく生々しいドラマ
「サウルの息子」(原題:Saul fia、英題:Son of Saul)は、2015年のハンガリーのドラマ映画です。ネメシュ・ラースロー監督、ネメシュ・ラースロー/クララ・ロワイエ共同脚本、ブダペスト出身の詩人ルーリグ・ゲーザら出演で、第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドであるハンガリー人の男サウルに起きる一日半の出来事を描いています。第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でグランプリを受賞、第88回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した作品です。
目次
スタッフ・キャスト
監督:ネメシュ・ラースロー
脚本:ネメシュ・ラースロー/クララ・ロワイエ
出演:ルーリグ・ゲーザ(サウル)
モルナール・レヴェンテ(アブラハム)
ユルス・レチン(ビーダーマン)
トッド・シャルモン(顎鬚の男)
ジョテール・シャーンドル(ニスリ医師)
ほか
あらすじ
1944年10月。ユダヤ系ハンガリー人サウル(ルーリグ・ゲーザ)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で同胞であるユダヤ人の屍体を処理する特殊部隊ゾンダーコマンドの一員です。ある日、サウルはガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見しますが、少年はすぐさま殺されてしまい、解剖の対象に指定されます。遺体をユダヤ人の囚人医師ミクローシュ(ジョーテール・シャーンドル)に届けるよう命令されたサウルは、彼に頼み込んで解剖を阻止、ユダヤ教に則って埋葬する為にラビを探して収容所内を奔走します。
同じゾンダーコマンドの隊員アブラハム (モルナール・レヴェンテ)はカポ長のビーデルマン(ウルス・レヒン) に反乱計画に加わるよう打診しますが、ビーデルマンは収容所の惨状を写真に記録し、それを外に持ち出して助けを求める計画を支持します。友人ヤンクル(フリッツ・アッティラ)から別の部隊に「背教者」と呼ばれるラビがいることをサウルは知ります。撮影の援助を申し出たサウルは、別の囚人とともにカメラの隠された小屋に向かい、小屋の錠前を直すふりをしている間に別の囚人が死体焼却の現場を撮影します。
サウルは別のゾンダーコマンド部隊を乗せる為に到着したトラックに紛れ込んで同乗、トラックは付近の川辺に行き、囚人たちはそこで焼却された死体の灰を川に捨てるよう命令されます。川辺でサウルは「背教者」を見つけますが、彼はサウルを助けるのを拒否、サウルが迫ると入水を試みます。サウルは背教者を救い、二人は親衛隊曹長ブッシュ(クリスティアン・ハルティンク)の許に連行されます。尋問の後、サウルは部隊に戻ることを許さますが、背教者は処刑されます。
アブラハムの指示で女性収容所に向かったサウルは、エラ(ヤカブ・ユリ)という女性から火薬を入手します。戻る途中、サウルは収容所に着いたハンガリー系ユダヤ人の大群に巻き込まれます。彼らは歩かされた先の森で射殺・焼却されます。ラビだと名乗る男ブラウン (トッド・チャーモント)に出会ったサウルは、ゾンダーコマンドの服を着せて収容所に連れ込みますが、火薬を紛失してしまいます。その夜、親衛隊曹長ヴォス(ウーヴェ・ラウアー)の部屋でビーデルマンが囚人のリストを出すよう命令されるのを見たサウルは、所属する部隊の死期が近いことを覚ります。ビーデルマンが親衛隊に殺されたことが分かり、アブラハムらは反乱を起こします・・・。
レビュー・解説
ナチスの強制収容所で働くゾンダーコマンドの目を通して、強制収容所での仕事やレジスタンス活動など、絶望の淵での彼らの生活を描いた、史実に基づく生々しいフィクションです。
ゾンダーコマンドは、第二次世界大戦中にナチスが強制収容所の囚人で組織した労務部隊で、多くの場合、収容所に連れて来られた時にその仕事に就くよう強制されたユダヤ人からなります。主な仕事はガス室などで殺されたユダヤ人の死体処理で、囚人の中には作業中に自分の家族の遺体を見つけることもあったといいます。彼らは一般の囚人よりも良い待遇にあり、別のバラックに住み、ガス室に送られた囚人から回収した煙草や薬、食べ物を入手できました。ゾンダーコマンドはナチスが秘密裏に行う大量虐殺を知る為、一般の囚人から隔離され、外部への情報漏えいを防ぐ為に3か月から1年ほどで殺され、新しいゾンダーコマンドと入れ替えられました。収容所ではこのサイクルが繰り返されており終戦まで生き残ったゾンダーコマンドはごくわずかです。
女性囚人たちが数か月に渡り、収容所内の軍需工場から火薬を少しずつ盗み出し、小さな布や紙に包んで体に隠しては衣類格納庫で働くレジスタンスに渡し、ゾンダーコマンドに届けるなど、レジスタンス活動が行わることもありました。収容所のレジスタンスから自分たちが処刑されると知らされたゾンダーコマンドが、反乱を起こしたこともあります。
ゾンダーコマンドが筆記用具やカメラなどを手に入れ、収容所内の様子を記録することもあり、これらの情報は収容所内の火葬場近くなどの地面に埋められ、戦後に掘り起こされました。記録の一部は「Des Voix Sous La Cendre」(「灰の下からの声」、別題「アウシュビッツの巻物」)というタイトルで出版されました。この本には、ゾンダーコマンドの日常の作業、どのように仕事が組織され、どのようなルールで収容所が運営され、ユダヤ人が虐殺されていったか、彼らがどのようにしてレジスタンス活動を行ったかが記述されています。
この本に触発されて「サウルの息子」を制作したネメシュ・ラースロー監督は、
・ガス室で死なずに生き残った囚人
・ゾンダーコマンドが自分の家族の遺体を処理
・レジスタンスの組織化
・外部に知らせるための写真撮影
・自分たちが処刑されることを知ったゾンダーコマンドの反乱
など実際にあった話を折り込みながら、アウシュビッツで反乱が起きた1944年の10月6日から7日の一日半を描いていおり、実在した人物も登場しています。
ラースロー監督はこれらの話をヒロイックに描くことはせず、ゾンダーコマンドがさまよう絶望の淵を描いています。彼らは一般囚人とは別のバラックに住み、ガス室に送られた囚人から回収した煙草や薬、食べ物を入手できるとはいえ、大量虐殺に強制的に組み込まれ、死体処理という悪夢のような仕事をしながら、何ヶ月か命が延びるだけに過ぎません。レジスタンス活動も行われますが、ガス室の犠牲者の中から息子と思しき遺体を見つけだした主人公のサウルは、ユダヤ教のタブーである火葬から遺体を救い出し、ラビにカディッシュを唱えてもらって埋葬しようとします。強制収容所という地獄では無意味に思える彼の行動を軸に、収容所内の非人間的な所業やレジスタンス活動が描かれています。
収容所を描いた映画にいつも失望していたからです。それらの映画はサバイバルやヒーローのストーリーを作ろうとしているのですが、それは過去を神話的概念で再構築することだと私は思うのです。ゾンダーコマンドの記録は逆に、具体的で現実的で確実です。彼らは、死の工場の“正常な”働きについて、その組織、ルール、作業のリズム、シフト、偶然、最大の生産力について、詳細に記述しています。実際に親衛隊は、死体を指すときは「シュトゥック」(部品、パーツ)という言葉を使っています。死体がこの工場の生産品なのです。これらの記録によって、私は虐殺収容所の亡者の目ですべてを見られるようになりました。
私はこの題材を物語るにあたり、文明社会が自身を破壊に導いてしまうそのプロセスを描きたいと思いました。人間性を失った危うい社会システムの案内役、それがゾンダーコマンドなのです。彼らはいわば、地獄の淵で生存することを許された特殊な人々。すぐに死にゆく収容者たちとは違い、肉体的でなく、精神が破壊されていく極限状態に見舞われた人々ともいえるでしょう。そんな彼らが一体どう生きていたかを克明に描くことで本作の存在意義が際立つと思ったのです。(ネメシュ・ラースロー監督)
「ショア」(1985年)で、同じくゾンダーコマンドを描いたクロード・ランズマン監督は、「サウルの息子」を評して、次のように語っています。
ゾンダーコマンドであるということはどういうことなのか、強い現実感を与える映画です。メロドラマではありません。ゾンダーコマンドに対して非常に謙虚な気持ちで描かれています。(クロード・ランズマン監督)
<ネタバレ>
最初の脚本では、サウルの息子は疑いなくサウルの息子でしたが、ルーリグ・ゲーザがそうとは信じず、次第にあいまいになったと言います。それでは何故、サウルは息子ではないかもしれない子供の埋葬に躍起になったのでしょうか?
ユダヤ教には地獄に落ちるという概念がないと言います。サタンが支配する現世、あるいは他民族や異教徒が理想のエルサレムの実現を妨害する現世が地獄なのかもしれません。ユダヤ教では「最後の審判」によってサタンの支配に終末が訪れ、異教徒や他民族が滅んだ楽園エルサレムが実現します。人々はよみがえり、裁きによってある者は永遠の命を受け、ある者は限りなき恥辱を受けますが、いずれにせよ、死者は生前の姿で復活するのでユダヤ教の埋葬は火葬ではなく土葬です。
息子ではないかもしれない子供の埋葬にサウルがこだわったのは、最後の審判でナチスが滅んだ後、子供たちが復活することを願ったのかもしれません。ラストシーンで見知らぬ子供と目が会いサウルが微笑むのも、そんなサウルの気持ちを象徴しているとも言えます。
ラースロー監督が描いたのは、まさにこの世の地獄でした。サウルの息子ではないかもしれない子供の土葬は、ゾンダーコマンドとして現世の地獄を生きたサウルが子どもたちの復活を託す、唯一の夢だったのかもしれません。
<ネタバレ終わり>
ルーリグ・ゲーザ(サウル)
ネメシュ・ラースロー監督は思い立って、ブルックリンに住む、ハンガリー人の友人で詩人のルーリグ・ゲーザを脇役のオーディションに招待した。サウルには別の俳優がキャストされるところであったが、ルーリグが主役として完璧であることに気づいた。ルーリグに演技経験はあったが、1980年代以降、まったく演技しておらず、これが長編デビュー作となった。
モルナール・レヴェンテ(中央、アブラハム)
ユルス・レチン(左、ビーダーマン)
トッド・シャルモン(顎鬚の男)
ジョテール・シャーンドル(左、ニスリ医師)
関連動画(YouTube)
同様なスタイルで制作されたネメシュ・ラースロー監督の短編「Türelem」(忍耐)
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「ニーチェの馬」(2011年)
「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」(2014年)