「しあわせな孤独」:コペンハーゲンの街を背景に、事故で揺れ動く人間の感情を女性監督ならでは感性で描く、現実感溢れる叙情的恋愛映画
「しあわせな孤独」(原題:Elsker dig for evigt、英題:Open Hearts)は2002年公開のデンマークのドラマ映画です。デンマークの映画運動ドグマ95のルールに従い、スサンネ・ビア監督、ソニア・リクター、マッツ・ミケルセンら出演で、突然の不幸に見舞われた2組のカップルを主人公に、せつなくもひたむきな愛の形をじっくりと描いた恋愛映画です。
目次
スタッフ・キャスト
監督:スサンネ・ビア
脚本:アナス・トーマス・イェンセン
出演:ソニア・リクター(セシリ)
マッツ・ミケルセン(ニルス)
ニコライ・リー・カース(ヨアヒム)
パプリカ・スティーン(マリー)
ほか
あらすじ
23歳の女性コックであるセシリ(ソニア・リクター)は、大学のドクターコースで地理を専攻、卒業間近なヨアヒム(ニコライ・リー・カース)と、結婚を控えて幸せな日々を送っています。ある日、助手席の娘スティーネ(スティーネ・ビェルレガード)と口論していて前方をよく見ていなかったマリー(パプリカ・スティーン)が、彼を車で轢いてしまい、ヨアヒムは、首から下が麻痺して全く動かなくなってしまいます。ヨアヒムは絶望し、献身的に介護しようとするセシリに辛く当たります。ヨアヒムの入院する病院の医師であり、マリーの夫であるニルス(マッツ・ミケルセン)はセシリを励まします。セシリはヨアヒムを愛していましたが、拒絶されて傷ついた彼女はニルスに慰めを求めます。二人の間柄は、いつしか本気の恋へと変わっていき、娘スティーネがニルスの様子の変化に気づきます。彼女はセシリの部屋を訪ね、二人の関係を知り、次いで妻マリーの怒りが爆発します・・・。
レビュー・解説
交通事故の加害者の夫に癒やしを求めた被害者の婚約者、加害者の婚約者を愛した加害者の夫、揺れ動く人間の感情を女性監督ならではの感性で描く「しあわせな孤独」は、思わずコペンーハーゲンの街角に行き交うであろう様々なドラマに思いを馳せずにはいられない、現実感溢れる叙情的恋愛映画です。
この映画は、
- 原題は「Elsker dig for evigt」(永遠に愛して)、
- 英題は「Open Hearts」(心を開いて)、
- 邦題は「しあわせな孤独」
と、上映地でタイトルが大きく異なります。原題を直訳することが多い英題が異なった意味のタイトルになるのは珍しいのですが、叙情的なこの作品に描かれている感情は様々な角度から捉える余地があります。
社会の決まりごとや様々な制約の中で、人々は大なり小なり、感情を押さえて生きています。しかし、大きな交通事故に遭うなど人生を左右するような出来事があると、人は時に感情を抑えることができなくなります。この映画は、そんな感情の発露を肯定的に描いています。想像を超える困難が待ち構えていても、沸き起こる「永遠に愛して」という感情は美しく、尊いものです。日本におけるキャッチコピーは「もしもあなたが孤独を感じているなら、すでにしあわせを知っているはず」ですが、しあわせの絶頂にいればいるほど、悲しみや辛さは大きくなります。そして辛くて耐えられないような時に、誰かに慰めを求めるのは自然な振る舞いです。頑なに心を閉ざし、いびつに固まるよりは、「心を開いて」癒される方が大切な時もあります。社会的制約から逃れ続けることはできませんし、時には社会的な代償を伴うかもしれません。だからこそ、感情の発露は美しく、価値あるものと感じさせる作品です。
「しあわせな孤独」は、加害者の夫に癒やしを求める被害者の婚約者、加害者の婚約者を愛した加害者の夫というセンセーショナルな設定の下、低予算で制作された映画で、いかにもB級恋愛映画っぽい出自ですが、
- スリリングな設定対する有無を言わせぬストーリー展開と、生々しい映像表現
- 急展開するストーリーに追従する俳優たちの目を見張るパフォーマンス、特にマッツ・ミケルセンは後に007シリーズに出演するなど、国際的俳優に成長
- 抑圧された感情を現実と並行して素粒子表現するなど、斬新な手法を用いながら、徹底して感情にフォーカスした主題性
など、芸術的性の高い作品に仕上がっており、デンマーク映画の底力が感じられます。
デンマークは人口500万ほどの小国ですが、以前、同じ監督の「アフター・ウェディング」(2008年)を観た際に、他の国の映画では得られない、強いインパクトを感じました。監督の個性もあると思いますが、この背後にはドグマ95という映画運動があります。ドグマ95は、
- デンマーク出身の4人を監督を中心とし、世界的に波及した、
- CGなど、過度な特殊効果や先端テクノロジーに依存した映画制作を拒否し、
- 物語性や俳優の演技、そして主題といった映画本来の伝統的価値へと立ち返り、
- 「純潔の誓い」に定めるルールの下に映画製作を行う
運動です。「純潔の誓い」とは、
- 撮影はすべてロケーション撮影による。スタジオのセット撮影を禁じる。
- 映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
- カメラは必ず手持ちによること。
- 映画はカラーであること。照明効果は禁止。
- 光学合成やフィルターを禁止する。
- 表面的なアクションは許されない(殺人、武器の使用などは起きてはならない)。
- 時間的、地理的な乖離は許されない(今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。回想シーンなどを禁止)。
- ジャンル映画を禁止する。
- 最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
- 監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
という10個のルールで、これまでに270本の映画がこのルールに従い制作されています。ルール遵守は自己宣誓制で、すべて守られなければドグマ映画として認定されないという訳ではなく、また先端技術を拒否すること自体に永続的な意味がある訳ではないのですが、厳しい制約を設けることにより、映画本来の価値を高めるのに大きく貢献した運動と言えます。
2008年にサイトが閉鎖され活動は実質的に終了していますが、ドグマ95は逆説的に新しいテクノロジーの大胆な導入を可能にしたと言われています。即ち、デジタル技術のごてごてした虚飾を否定し、映画の本質を追求することにより、デジタル技術によるコスト削減と、省力化によるDIYスピリッツという実利を得る地盤を作ったということです。また、ルールを明確化し、実力で勝負できる土俵を作ったことにより、本作や「ある愛の風景」(2006年)、「アフター・ウェディング」(2008年)などを監督、「未来を生きる君たちへ」(2010年)でアカデミー外国語映画賞を受賞したスサンネ・ビアや、「17歳の肖像」(2009年)のロネ・シェルフィグなど、優れた女性監督を輩出したこともドグマ95の功績と言えます。
技術が変わっても、映画には変わらない基本がありますが、ドグマ95はその後のドキュメンタリーなどにも影響していると思われます。例えば、
- 「ビルマVJ 消された革命」(2008年)
- 「100,000年後の安全」(2010年)
- 「アクト・オブ・キリング」(2012年)
- 「ルック・オブ・サイレンス」(2014年)
- 「アルマジロ」(2015年)
といった優れたドキュメンタリー映画が、何故、小国デンマークから続出するのか不思議だったのですが、ドグマ95の影響を受けたリアリズム表現と考えれば腑に落ちます。
ソニア・リクター(セシリ)
デンマークの女優。事故の被害者の婚約者を演じる。不倫の後ろ暗さを感じさせない、ひたむきで純粋な23歳の女性を好演している。
マッツ・ミケルセン(ニルス)
デンマーク・コペンハーゲン出身の俳優。国立演劇学校で学び、短編映画数作に出演した後、1996年に「プッシャー」で長編映画デビュー。「キング・アーサー」(2004年)でハリウッド進出、「007 カジノ・ロワイヤル」(2006年)で悪役ル・シッフルを演じ、世界的に知られる。「偽りなき者」(2012年)で、第65回カンヌ国際映画祭男優賞を受賞。加害者の夫を演じる。
ニコライ・リー・カース(手前、ヨアヒム)
デンマーク出身の俳優。デンマークの映画に多く出演、スザンネ・ビア監督の「ある愛の風景」(2006年)にも出演している。事故の被害者を演じる。
パプリカ・スティーン(マリー)
デンマーク出身の演技派女優。事故の加害者であり、夫の不倫の被害者を演じる。被害者の婚約者に吐く、「家庭を奪わないで。(夫が贈った)家具の代金は払えないわ。」というセリフは強烈。
サウンドトラック
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アングン(歌)
1. カウンティング・ダウン 2. オープン・ユア・ハート 3. リトル・シングス 4. ブルー・サテライト 5. エンド・オブ・ア・ストーリー 6. アイム・ユア・ミラー 7. プレイ |
8. アイ・ウォナ・ハート・ユー 9. ネイキッド・スリープ 10. アイ・ウォナ・ハート・ユー (ニールズ・ブリンク・クラブ・ミックス):ボーナス・トラック 11. オープン・ユア・ハート (アカペラ・エディット) :ボーナス・トラック |
撮影地(グーグルマップ)
- セシリが住む家
セシリは三階に住んでいる。 - ヨアヒムが入院した病院
ニルスが医師として勤務する病院でもある。 - ニルスとセシルが散歩した公園
妻の弟夫妻と出くわし、ニルスが当惑する。
関連作品
スザンネ・ビア監督 x マッツ・ミケルセン コラボ作品のDVD(Amazon)
「しあわせな孤独」(2004年)
スザンネ・ビア監督作品のDVD(Amazon)
「ある愛の風景」(2006年)
「007 カジノ・ロワイヤル」(2006年)
「ドクター・ストレンジ」(2016年)
「バベットの晩餐会」(1983年)
「ストリングス〜愛と絆の旅路〜」(2004年)
「ビルマVJ 消された革命」(2008年)
「100,000年後の安全」(2010年)
「アクト・オブ・キリング」(2012年)
「アルマジロ」(2015年)
「ヒトラーの忘れもの」(2015年)