夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「キューティー&ボクサー」:芸術家同士の個性的な年の差カップルの、公私にわたる挑戦とメンタリティを追った創造的ドキュメンタリー

「キューティー&ボクサー」は、2013年公開のアメリカのドキュメンタリー映画です。本作が長編映画デビューとなるザッカリー・ハインザーリングが、ボクシング・ペインティングで知られる現代芸術家・篠原有司男と彼の妻、乃り子の40年間にわたるニューヨークでのユニークで波乱に満ちた結婚生活を赤裸々に追い、生々しく刺激的ながらも普遍的なラヴストーリーへと昇華させています。

 

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目次

スタッフ・キャスト  

監督:ザカリー・ヘインザーリング
出演:篠原有司男
   篠原乃り子
   ほか

あらすじ

1932年に東京に生まれ、絵具を含ませたボクシング・グローブをはめ壁に貼った紙をボカスカと叩くボクシング・ペインティングで知られる現代芸術家、篠原有司男、通称ギュウチャンは、80歳を超えた今も日本で初めてモヒカン刈りにした頃のスピリットそのままに、ニューヨークで創作に人生を捧げひた走っています。彼より20歳も若い妻、乃り子は、美術を学びにやってきたニューヨークで一文無しのギュウちゃんと出会い、恋に落ち、結婚、そして学業の道を捨てました。厳しい家計の中、一男をもうけ、妻であり、母であり、無報酬のアシスタント、秘書、料理人であることに甘んじていた彼女は、ある時ついに自分を表現する方法を見つけました。それは、夫婦のカオスに満ちた40年の歴史を、自分の分身であるヒロイン「キューティー」に託して、コミック風のドローイングで綴ることでした。有司男は家族で自分だけが芸術家ではないことを受け入れ、夫婦による二人展が企画されます・・・。

レビュー・解説 

「キューティー&ボクサー」は、決して裕福ではない芸術家同士の個性的な年の差カップルの、芸術と結婚生活双方の挑戦と豊かなメンタリティを追った、生々しく刺激的で心温まるドキュメンタリーです。

 

80歳を過ぎても、現役で制作を続ける篠原有司男さんも素晴らしいですが、一文無しの彼を支え続けた20歳も年下の妻、乃り子さんも素晴らしいです。乃り子さんも芸術を志しており、有司男さんはそれを理解し、励ましてくれる存在でした。しかしながら、生まれた子供や有司男さんの世話に忙殺されるようになり、喧嘩も絶えなかったようです。彼女が二人の経験を題材に本格的な制作をするようになったのは、撮影が始まってからで、それがこのドキュメンタリーに命を吹き込んでいます。

 

家賃にも事欠く、異郷での厳しい生活を支えたものは、二人の芸術への情熱でした。

(40年間も連れ添った秘訣は)収入が少ないことよ。それが苦痛のひとつでもあるんだけど、それがつないだっていうこともあるんです。家賃を払うのにも大変だから、別れるっていうことが豊かな人たちのことだと思って、貧乏だからこそ一緒にいたんです。それに慣れてある程度のあきらめもあったんです(笑)。(篠原乃り子)

マイルドにする為にかなりカットされたようですが、それでもドキュメンタリーにはいたるところに乃り子さんの辛辣な言葉が散りばめられています。

乃り子:あなたはわたしを無料のシェフで、秘書でメイドだと思っているんでしょう。あなたにお金があったら雇うわよね。でもお金がないからわたしと一緒にいるのよね。

アメリカでは妻にこき使われる夫が少なくないのか、この映画を見て「我が家では僕がキューティーだ」という男性が少なくないそうですが、妻を知り尽くした余裕でしょうか、根アカでタフな有司男さんは妻の言葉をやんわりと受け止めます。苦労に苦労を重ね、辛辣な言葉を吐きながらも、「やり直すことができたとしても、同じパートナーを選ぶ」と迷いのない乃り子さんも素晴らしいです。ニューヨーク・タイムズは彼らを「芸術の結婚か、結婚の芸術か」と表しましたが、まさにそんなことを感じさせる作品です。これまでの二人の人生に敬意を覚えるとともに、いつまでも元気で頑張って欲しいと、応援したくなります。

 

現代芸術家のプライバシー、それも夫婦揃ってのものは興味深いテーマですが、本作が長編映画デビューとなるザッカリー・ハインザーリング監督が、見事に期待に答えてくれました。大学を終え、ドキュメンタリー番組の編集助手と撮影監督の仕事をしていたザッカリー・ハインザーリング監督は、プロデューサーから篠原夫妻を紹介されました。彼は、仕事を辞めることなく、ドキュメンタリー映画の勉強ができる題材を探していましたが、彼も篠原夫妻もブルックリンに住んでおり、撮影も篠原夫妻の場所でできそうという好条件でした。

When I first met [the Shinoharas], I was just struck by the raw spirit and beauty that emanates from their faces, their lifestyle, their art, everything about them has so much purpose and character. Even if you don’t speak Japanese, even if you have no previous knowledge of their artwork or who they are, you’re immediately captivated by their presence. They live in a world that’s kind of a time warp that hearkens back to the ‘70s New York SoHo art scene that is sort of canonized in history, certainly from my point of view.

篠原夫妻に初めて会った時、彼らの顔、ライフスタイル、作品が生の意思の美しさを持っていることに感動しました。彼らの全てが、意思と人格を持っていました。たとえ日本語を話さなくても、たとえ彼らの作品や彼らが誰なのかを知らなくても、彼らがそこにいるだけで魅了されてしまいます。私に言わせれば、歴史となってしまった1970年代のニューヨークのソーホーのアートシーンにタイムスリップしたような世界に彼らは住んでいるのです。(ザッカリー・ハインザーリング監督)

 

So much of their personalities came out of these everyday things, whether it was making art or making dinner. Everything had this real sense of purpose and character, so as a cinematographer it was a dream project. As a character study, it was a project I knew had a lot of potential, but I had to wait for things to happen, and that’s really why it took five years, the time for a story and narrative to develop and for Noriko to open up and for the truth and vulnerability and deeper layers of her character to reveal themselves in front of the camera. Because they’re artists, I felt I had more creative license to do things different in the documentary genre, and to choose a distinct style that mimicked the artists. There was this magic to them and their relationship. They’re unlike anyone I’ve ever met. Their mentality was infectious and I just wanted to be around them.

作品を作っていようが、料理を作っていようが、彼らの性格は毎日の生活に如実に現れていました。何事にも真の意味での意思と性格が表れており、撮影監督には夢のようなプロジェクトでした。キャラクターのポテンシャルは非常に高いのですが、何かが起こるまで待たねばなりませんでした。それが制作に5年もかかった理由です。つまり、物語が展開し、ノリコが心を開き、真実や弱さや性格の深い部分がカメラの前に明らかになるまでです。彼らは芸術家なので、ドキュメンタリーでもより創造的に、そこで、ドキュメンタリーとは異なる芸術的なスタイルを模倣できると感じていました。これが彼らと彼らの関係のマジックです。私は彼らのような人に会ったことがありません。彼らのメンタリティに感染し、私は彼らと一緒にいたくなったのです。(ザッカリー・ハインザーリング監督)

 

彼は、篠原夫妻の自宅兼仕事場にに入り浸るようになります。

I just came to them so often, and I became part of their household. Noriko calls me the rice cooker; I was just always around. I would float around their house, resting that invisibility and also realizing that interviewing is not necessarily the way to reveal truth. It was more about being around situations that created conflict, and I would be there to see their reaction, and in that reaction, you find truth. Being in a position of power, Noriko obviously wears the pants in this relationship and has from day one. It became less about me interrogating them and more about their interrogating each other. You can’t predict what’s going to happen. You can bring up a topic in conversation, but it made for a rather inefficient way to make the film because you couldn’t create drama — you really have to wait for it.

私はしょっちゅう彼らの所に行っていたので、家族の世帯の一員のようなものでした。ノリコは私を「飯炊き」と呼んだくらいです。私はいつも彼らの周りにいました。目に見えぬことは放っておき、インタビューをしなくても真実は明らかになることを知り、私は彼らの家を漂っていました。争いになる状況に居合わせることも多く、私は彼らの反応を見てはその中に真実を見出しました。ノリコは明らかに力を持った立場で、家庭の主導権を最初から握っていました。私への質問は次第に減り、彼らがお互いを問いただすことが増えました。何が起こるかは予測できません。話題を会話の中に持ち出すことはできますが、それはむしろ非効率的なやり方でした。それではドラマは作れませんから。待たなければならないのです。(ザッカリー・ハインザーリング監督)

 

ふたりのアーティストとしての葛藤から痴話ゲンカまで夫婦の生活が赤裸々に映し出されわけですが、夫婦とザッカリー・ヘインザーリングの関係はアーティスト同士の共同生活のようなものでもあったようです。

当時ザック(ザッカリー・ヘインザーリング)はまだ24歳でね。子どもみたいだった。彼が入り浸るようになって、うちが孤児院になったような気がしたわね。私たちはアーティストだから、家なき子というのかな、孤児が寄り集まって3人でいるような具合だったわ。

アーティストというのはエグジビショニストなので、とにかく見せたいんです。アーティストにとってのアートは体の表面だけではなくて心の中を見せるもの。それはヌード以上のものなんです。日常生活を撮られたって平気なんです。(篠原乃り子)

 

本作はオスカーの長編ドキュメンタリー部門にノミネートされましたが、まだ若いザッカリー・ハインザーリング監督が篠原夫妻に巡り合ったのは、大きな幸運と言えるでしょう。しかし、夫妻のキャラクタにーに魅力を見いだし、辛抱強く5年の歳月をかけ、典型的なドキュメンタリーとは一味違う作品で彼らの魅力をフルに引き出したのは、紛れもなく彼の力量でしょう。

 

篠原夫妻

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篠原有司男「モーターサイクル」

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「Cutie and Bullie」を制作中の篠原乃り子

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関連作品 

篠原有司男の著作Amazon

  「前衛の道」(復刻版、2006年)

       「ニューヨークの次郎長」(1985年)

  「篠原有司男対談集 早く、美しく、そしてリズミカルであれ」

  「篠原有司男ドローイング集 毒ガエルの復讐」

      「げんこつで世界を変えろ」(インタビュー)

 

篠原乃り子の著作Amazon

       「ためいきの紐育(ニューヨーク)」(1994年)

 

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