夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「裏切りのサーカス」:冷戦時代のMI6を舞台に、幹部の内通者を調査するストイックな老スパイと情の絡みを、密度の高いプロットで描く

裏切りのサーカス」(原題: Tinker Tailor Soldier Spy)は、2011年のイギリス・フランス・ドイツ合作のスパイ映画です。元英国諜報員でスパイ小説の大家として知られるジョン・ル・カレの1974年の小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を原作に、トーマス・アルフレッドソン監督、ブリジット・オコナー/ピーター・ストローハン脚本、ゲイリー・オールドマンらの出演で、冷戦下のロンドンを舞台にスパイ同士のスリリングな頭脳戦を描いています。

 

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目次

スタッフ・キャスト 

監督:トーマス・アルフレッドソン
脚本:ブリジット・オコナー/ピーター・ストローハン
原作:ジョン・ル・カレ「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」
出演:ゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー、サーカス元幹部)
   コリン・ファース(ビル・ヘイドン、サーカス幹部)
   トム・ハーディ(リッキー・ター、サーカス工作官、スカルプハンター要員)
   マーク・ストロング(ジム・プリドー、サーカス工作官、ヘイドンの「親友」)
   キーラン・ハインズ(ロイ・ブランド、サーカス幹部)
   ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム、サーカス中堅幹部)
   デヴィッド・デンシック(トビー・エスタヘイス 、サーカス幹部)
   スティーヴン・グレアム(ジェリー・ウェスタビー、サーカス元工作官)
   サイモン・マクバーニー(オリヴァー・レイコン、外務次官、情報機関監視役)
   トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン、サーカスの現リーダー)
   ジョン・ハート(コントロール、サーカスの前リーダー)
   スヴェトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ、ターの前に現れたソ連情報部員)
   キャシー・バーク(コニー・サックス、サーカスの元ソ連分析官)
   ロジャー・ロイド=パック(メンデル、ロンドン警視庁公安部の警部)
   クリスチャン・マッケイ(マッケルヴォア、サーカスのパリ駐在)
   コンスタンチン・ハベンスキー(アレクセイ・ポリヤコフ、ソ連大使館文化官)
   マイケル・サーン(声のみ、カーラ、「もぐら」を操るソ連情報部幹部)
   ほか

あらすじ

東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6とソ連国家保安委員会KGBは熾烈な情報戦を繰り広げていました。そんな中、英国諜報部「サーカス」のリーダー、コントロールジョン・ハート)は、組織幹部の中に長年にわたり潜り込んでいるソ連の二重スパイ「もぐら」の存在の情報を掴んでいます。ハンガリーの将軍が「もぐら」の名前と引き換えに亡命を要求、コントロールは独断で、工作員ジム・プリドー(マーク・ストロング)をブダペストに送り込みますが、ジムが撃たれて作戦は失敗に終わりまう。責任を問われたコントロールは長年の右腕だった老スパイ、ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)と共に組織を去ることとなります。

退職後ほどなくコントロールは死去し、ほぼ同時期にイスタンブールに派遣されていた特殊部隊「スカルプハンター」のリッキー・ター(トム・ハーディ)の前に「もぐら」の情報を持つソ連情報部の女イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)が現れます。彼女と恋仲になったターはイリーナをイギリスに亡命させるためロンドンのサーカス本部に連絡しますが、翌日イリーナはソ連情報部に発見され連れ去られてしまいます。サーカス内部に「もぐら」がいることを思い知ったターはオリバー・レイコン外務次官(サイモン・マクバーニー)に連絡、レイコンにより引退したスマイリーが「もぐら」探しを命じられることとなります。

スマイリーは、ターの上司でスマイリーに忠実であったため左遷されたピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)、そしてロンドン警視庁公安部のメンデル警部(ロジャー・ロイド=パック)とともに調査を始めます。「もぐら」と目されるのは4人の幹部で、コントロールによりコードネームをつけられていました。

  • 現サーカスのリーダー、パーシー・アレリン、「ティンカー(鋳掛け屋)」
  • アレリンを操っていると噂されるビル・ヘイドン、「テイラー(仕立屋)」
  • 勇敢だが愚直なロイ・ブランド、「ソルジャー(兵隊)」
  • 日和見な性格のトビー・エスタヘイス、「プアマン(貧乏人)」

スマイリー自身も「ベガマン(乞食)」として候補に含まれていた事を知ります。

スマイリーが過去の記憶を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていく中、作戦の失敗で死んだとされていたプリドーの生存、ビルとスマイリーの妻アンの関係、かつての宿敵であるソ連のスパイ「カーラ」の影、アレリンらが進めるソ連の深部情報ソース「ウィッチクラフト」の実態が浮かび上がって来ます・・・。

レビュー・解説 

冷戦時代の敵の実態が見えない不安や混乱を背景に、イギリスの諜報機関の内通者をじわじわとあぶり出す「裏切りのサーカス」は、情を横糸にした密度の高いプロットと、いぶし銀のような演技のゲイリー・オールドマンとオスカー級の豪華キャストの卓越したパフォーマンスにより、非常に見応えのある作品になっています。

 

原作者のジョン・ル・カレは、作家生活50年以上に及ぶスイギリスのスパイ小説の大家で、スイスのベルン大学とオックスフォード大学のリンカーン・カレッジで学び、イートン校で2年間教鞭を執った後、外務省に入り、MI6に所属、冷戦時代のピークであった1950年代〜1960年代に主に西ドイツで諜報部員として働きました。外交官として働く傍ら、その経験を元に小説を書き始め、1961年(29歳)のとき発表した「死者にかかってきた電話」で小説家としてデビュー、1963年の「寒い国から帰ってきたスパイ」でエドガー賞長編賞を受賞し、世界的に評価を得ます。イギリスの諜報部員を描いた小説といえば007が有名ですが、自身が英諜報部員であったジョン・ル・カレの冷戦時代のスパイ小説はそれとは趣が異なり、スパイの生々しい現実を描いています。

 

原作となった「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(1972年)は、ジョージ・スマイリーを主役としたシリーズの第一作で、戦間期から1950年代にかけてイギリスで活動、MI6の幹部も名を連ねていたソ連のスパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」をヒントに書かれています。シリーズの主人公ジョージ・スマイリーは、その一部をジョン・ル・カレのMI5時代の上司であり、作家であるジョン・ビンガムをモデルにしてしており、ジョン・ル・カレ自身の諜報機関での経験と相まって、作品を非常にリアルなものにしています。また、単にリアルなだけではなく、登場人物の様々な情が絡まることにより、非常に密度の高い作品となっています。

 

「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は小説として有名なだけではなく、1979年にはBBCで7話(アメリカでは6話)の連続テレビ・ドラマになるなど映像化もされている作品で、これまでにジョージ・スマイリーを演じた俳優も5人います。本作でスマイリーを演じたゲイリー・オールドマンは、イギリス流ハードボイルドとも言えるスマイリーについて次のように語っています。

スマイリーは英国諜報部に所属するスパイだ。原作者ジョン・ル・カレ(元・英国諜報部員)自身の経験がリアルな人物を創り出したんだ。ジェームズ・ボンドとは対照的に描かれていて「アンチ・ボンド」なんだよ。穏やかで、聡明で、洞察力がある。スパイ活動の探究者であり、機知を生かして官僚機構も巧みに操る。並外れた記憶力があって、何事に対しても呑み込みが早いんだ。そして人間の些細な欠点、弱さ、誤りやすさを、生まれながらに察知する力を持つ。自分の仕事の、暗く、非論理的で、酷い側面を認識して、理解しながらも強い道徳観を持っている。一方で、彼の中には、沈んだ思いや悲しみがある。

ジョン・ル・カレの作品には彼自身が投影されていてセリフや登場人物の中に彼が見え隠れしている。自伝的な小説と言っても過言ではないね。作品からは彼や家族の姿がうかがえる。特にこの作品の原作はその要素が強いと思うよ。

原作で描かれている彼の容姿は決してスマートではないんだ。体形が悪いせいで高級な紳士服を着ていても似合わず、背が低く太っていて眼鏡をかけている。でも容姿は関係ないんだ。ル・カレは「自由に演じろ」と言ったよ。自分のスマイリー像を作ればいいと。私たちはスパイ活動に対してかなり非現実的な見方をしがちだけど、ル・カレはその実態を見せていると言える。ル・カレと長い時間を過ごし話し合いながら、彼を観察して細かい点をいくつか参考にしたよ。

 

スマイリーは「部屋の温度まで体温を下げ、その後は体温を調節して熱を失わない」と原作に記述され、周囲にとけ込むほどもの静かだが決して流されることのない男として描かれています。米ソの冷戦が過去のものとなり、映画そのもの質が問われる現在、ゲイリー・オールドマンがスマイリーを演じなければこの映画は頓挫したとも言われています。プロデューサーの一人であるティム・ベーヴァンと、原作者のル・カレは、ゲイリー・オールドマンの演技について次のように語っています。

スマイリーが、あまり動かないキャラクターだ。何もせずに惹き付ける能力のある俳優が必要になる。ゲイリーはそれができる数少ない俳優だ。他の映画では爆破するところを、彼はじっと見つめたり、レンズを拭いたりしながら、催眠術にかけてしまう。同年代では彼が最も適役であり、彼を起用できて幸運だった。(ティム・ベーヴァン)

観客はゲイリー・オールドマンと痛みを分かち合うことができる。人生の痛みやスマイリーであることの痛みだ。それは刺す様に痛む。ゲイリーの演じるスマイリーはこれまでの誰が演じたスマイリーよりタフだ。(ジョン・ル・カレ

 

スマイリーが一人でいる時に聞く、MI6 の世界にはないものとして設定された「ラ・メール」*3が流れるエンディングにこの映画の素晴らしさが凝縮されています。また、トーマス・アルフレッドソン監督の独特の色彩感覚による映像や、デザイナーのポール・スミスがクリエイティブ面の協力者としてアイデアを出したと言われる70年代の衣装、街並み、車、タイプライター、電話などもこの映画独特のトーンを生み出しています。

本作は小説の映画化ではない。私の目には本作自体が芸術品に映る。私はこの原作をアルフレッドソンに渡したことを誇りに思っている。(ジョン・ル・カレ

 

一方で、この映画は登場人物が多く人間関係も複雑な為、わかりにくいという声もあります。確かに、原作の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」やジョージ・スマイリーを知っているイギリス人ならいざ知らず、初見の日本人は映像と字幕を追いながら数多くの登場人物や人間関係を覚えつつストーリーを追うのに精一杯で、この映画の良さを味わう余裕を持てないのではないかと思います。登場人物の相関図を予習してから観るとわかりやすいでしょう。

 

裏切りのサーカス」登場人物の相関図

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「もぐら」に付与されているコードネームは、古くから伝わるイギリスのわらべ歌

Tinker, Tailor,
Soldier, Sailor,
Rich Man, Poor Man,
Beggar Man, Thief.

からの引用です。このわらべ歌はもともと子供の将来を占うものですが、後に数え歌や鬼ごっこにも応用され、800以上のバリエーションがあると言われています。原作のタイトルは、Tinker, Tailor, Soldier の後の Sailor の代わりに同じ S で始まる Spy を持って来たもので、語呂の良さを失わずに内容を暗示する秀逸なタイトルです。

 

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ところで、上の様に映画の中でコントロールの机の後ろの棚の上にユニオン・ジャックをまとったブルドッグの陶器の置物が見えます。これは第二次世界大戦中にロイヤルダルトン愛国心を表現する為に製造したもので、「007 スカイフォール」でもジュディ・デンチ扮する M の机の上に置かれています。何かと派手な描かれ方をする諜報部員ですが、実は国家公務員で給料もさして高くありません。公務員や官僚の腐敗というのはどこの国にもある話ですが、仲間内の不正に気づき、それを追ったコントロールとスマイリーの倫理観、道徳観には、国家に対する忠誠心が深く根付いています。ちなみに愛国心の象徴であるロイヤルダルトンブルドッグは再発売されており、現在でも入手可能ですが、イギリス映画ファンには魅力的なグッズです。

 

ゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー)

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元サーカスのリーダー、コントロールの右腕の元幹部を演ずる。抑えた演技から滲み出る人物描写が素晴らしい。本作でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

 

ジョン・ハート(コントロール

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元サーカスのリーダーを演ずる。「モグラ」は妄想かと思わせるほどの危機迫る演技が素晴らしい。「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年)、「エレファント」(1980年)でアカデミー賞にノミネートされている実力派俳優。

 

トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン)

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現サーカスのリーダーを演ずる。個性的な風采で、リーダーの器ではない男がリーダーを務める様を巧みに演じている。

 

コリン・ファース(ビル・ヘイドン)

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切れるサーカス幹部としての表の顔と、スマイリーの妻と浮気をしたり、両性愛的傾向を持つ裏の顔を巧みに演じている。「英国王のスピーチ」でアカデミー主演男優賞を受賞したオスカー俳優。

 

マーク・ストロング(ジム・プリドー)

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サーカス工作官を演じている。幹部は官僚だが、工作官は現場に近い。「ハリウッドの悪役イギリス俳優」の代表格と言われる彼だが、少々危ない感じがする工作官と、ビルの「親友」の顔を巧みに演じている。

 

ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム、左)

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サーカス中堅幹部を演じている。一度、スパイを演じてみたかったという彼の演技はシャープだ。個性的な風貌ながら、別人の如く役を演じ分けるのは役者として実力がなせる技だろう。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」でアカデミー主演男優賞にノミネートされている。

 

トム・ハーディ(リッキー・ター)

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ロシアの諜報部員と恋に落ちるサーカス工作官を演じる。若い頃のロバート・レッドフォードに似ているという理由でキャスティングされたというが、彼も役柄によって別人と思えるほど見え方が違う。「レヴェナント: 蘇えりし者」(2015年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされている。

 

スヴェトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)

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ターの前に現れたソ連情報部の女を演じる。本作は基本的に女性が前面に出て来ないが、唯一の例外を演じている。ソ連の時代にモスクワに生まれ、主にロシアで活躍する女優。アメリカのプレイム事件で美人CIAエージェントが実在する事を知ったが、スヴェトラーナはより「ソビエトらしい」美人スパイだ。

 

ロイヤルダルトンブルドッグ

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撮影地(グーグルマップ)

  • MI6のオフィス

    原作小説では MI6 はオックスフォード・サーカスにあり、MI6の別称「サーカス」はここに由来するが、現実のMI6はオックスフォード・サーカスにはなく、映画では独自の場所に MI6 が設定されている。 
  • スマイリーの自宅
  • モグラがロシア側と接触する秘密の家

 

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関連作品 

裏切りのサーカス」の原作本Amazon

  ジョン・ル・カレ著「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」

 

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  「寒い国から帰ったスパイ」(1965年)・・・北米盤、日本語字幕無し

  「ナイロビの蜂」(2005年)

  「誰よりも狙われた男」(2014年)

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