夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「トリコロール/赤の愛」:芸術的な二重構造で博愛を描き、群像劇の様に三部作を締めくくる、キェシロフスキ監督の遺作となった完結編

トリコロール/赤の愛」(原題:Trois Couleurs: Rouge)は1994年公開のフランス・ポーランド・スイス合作のドラマ映画です。フランス国旗の青、白、赤の三色をモチーフにした「トリコロール」三部作の3作目で、クシシュトフ・キェシロフスキ監督・共同脚本、イレーヌ・ジャコブら出演で、「博愛」をテーマに、優しくオープンなモデルの女性と老いた元判事の心の触れ合いを描いています。第20回セザール賞で、作品、監督、主演男優、主演女優、音楽、脚本の6部門にノミネートされ、音楽賞を受賞、第67回アカデミー賞で、監督、脚本、撮影の3部門にノミネートされた作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本:クシシュトフ・ピエシェヴィッチ/クシシュトフ・キェシロフスキ
出演:イレーヌ・ジャコブ(ヴァランティーヌ、大学生、モデル)
   ジャン=ルイ・トランティニャン(ヴェルヌ、元判事)
   ジャン=ピエール・ロリ(オーギュスト)
   サミュエル・ル・ビアン(カメラマン)
   ほか

あらすじ

  • ジュネーヴに住む大学生・ヴァランティーヌ(イレーヌ・ジャコブ)は学業の傍ら、ファッションモデルをして暮らしています。ドーバー海峡の向こうにいる恋人からの電話が心の支えですが、その恋人からは常に浮気を疑われ、ヴァランティーヌ自身も彼への愛に疑問を抱き始めています。一方、通りを隔てた部屋に住む法学生のオーギュスト(ジャン・ピエール・ロリ)は、年上の恋人を心の支えに、司法試験に向けて勉強の日々を過ごしています。
  • ある日の夕暮れ、仕事の帰のヴァランティーヌは、飛び出してきた犬を車ではねてケガをさせてしまいます。犬の首輪についていた住所札をもとに犬の飼い主を訪ねたヴァランティーヌは、初老の男、ジョゼフ・ケルヌ(ジャン=ルイ・トランティニャン)と出会います。ジョゼフは、隣人の電話の盗聴に人生の真実を見いだす人間不信の塊のような老いた元判事でした。恋人同士、ヘロインの密売人、妻に秘密で同性愛の関係を続ける男たちの会話を聞きながら、彼はヴァランティーヌの博愛主義を冷笑し、彼女の話から彼女の抱える問題を言い当てます。
  • 盗聴を「卑怯だ」と憐れむヴァランティーヌに、判事は若き日のトラウマを打ち明け、判事とヴァランティーヌは次第に心を通わせていきます。ジョゼフは盗聴を自ら密告、法の裁きを受けます。一方、オーギュストは司法試験に合格するも、恋人が離れていき、悲しみに暮れます。ヴァランティーヌは自分の出演するファッションショーにジョゼフを招待、ショーの後、彼女はジョゼフから彼の過去について聞かされます。数日後、ヴァランティーヌは仕事の為にフェリーでイギリスに向かい、オーギュストも同じフェリーに乗り込みます・・・。

レビュー・解説

無垢で優しくオープンな主人公の女性と、老いた男の若い頃の人生を若い男がなぞる時間を超えた二重構造が交錯、「トリコロール」三部作を見事に締めくくる、キェシロフスキ監督の遺作となった完結編です。

 

晩年はフランスでも活躍したクシシュトフ・キェシロフスキ監督は、ポーランド出身の映画監督・脚本家で、「デカローグ」(1989-1990年)、「ふたりのベロニカ」(1991年)、「トリコロール」三部作(1993-1994年)などで知られています。「トリコロール」三部作はフランス国旗を構成する三つの色、青(自由)、白(平等)、赤(博愛)をモチーフにした、愛をテーマにした作品群で、

からなり、本作「赤の愛」」では「博愛」をテーマにしています。

 

顔を見せないヴァランティーヌの恋人が、イギリスからスイスのジュネーブにいる彼女に電話をかけるところから本作は始まります。かけた電話はドーヴァー海峡を渡り、ヨーロッパ大陸に入ります。多くの人々が様々な言葉で話す声が重なる中、ヴァランティーヌへの電話は話し中となり、赤いランプが点滅します。電話は本作の鍵のひとつで、人々の関わりや繋がりを暗示しており、また、ヴェルヌ元判事の盗聴の大前提となっています。

 

「青の愛」、「白の愛」同様、本作でもフォアシャドウイング(伏線、展開の暗示)による表現が随所に見られます。主人公のヴァランティーヌはジュネーヴに住む大学生兼ファッションモデルで、映画の序盤でスタジオ撮影をし、これがジュネーヴの交差点に広告の垂れ幕として張り出されます。

 

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ヴァランティーヌがモデルになった広告が、交差点に張り出される

 

映画の後半に、嵐が近づき、この垂れ幕が降ろされ、不吉な展開を暗示します。そして終盤によく似たカットが登場します。実際は先に終盤のシーンを撮影、これを見ながら後にスタジオで似たカットを撮影し序盤から中盤に使用することにより、フォアシャドウイングとしています。

 

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終盤によく似たカットが現れる

 

ヴァランティーヌは毎朝、スロットを一回だけ回すのですが、絵柄が揃うと不吉といいます。ある朝、スロットを回すと赤いチェリーが3つ揃います。3つというのが意味深ですが、これもエンディングに向けたフォアシャドウイングです。

 

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スロットの絵柄が揃うと不吉

 

また、ヴァランティーヌは仕事仲間とボウリングに出かけますが、この時、同じフロアでオーギュストと年上の恋人もボウリングをしています。この時、二人が画面に映ることはありませんが、代わりに割れたコップが映し出され、二人に起こることを暗示します。

 

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割れたコップがオーギュストと年上の恋人のその後を暗示する

 

スロットで揃うと不吉というのはセリフの中に明示的に出てきますが、これを除けば、フォアシャドウイングは自然にさり気なく使われており、気づかなくてもストーリーを追えるように撮影・編集されているのがキェシロフスキ監督の巧みなところです。むしろ、観客の潜在意識に訴えていると言った方が良いかもしれません。また、音楽、画作りを含めて、調和のとれた芸術性の高い作りになっている為、こうしたフォアシャドウイングによる象徴的表現が陳腐になることもありません。

 

本作のテーマカラーは赤ですが、これも随所に使われています。代表的なものは、ヴァランティーヌのポスターの背景に使われる赤ですが、オーギュストのジープの色、ヴァランティーヌが毎朝、立ち寄るカフェ「ジョセフの店」の日よけの色も赤です。ジョセフはヴェルヌ元判事のファースト・ネームでもあります。ヴェルヌ元判事は既に色(愛)を失った男として描かれており、敢えてこのように間接的な関連付けが成されています。一方、オーギュストは前途もあり、恋人もいる青年ですが、ヴァランティーヌと同じフレームの中に現れることはあっても、彼女と話をすることはおろか、視線を交わすこともありません。しかし映画が展開するに従って、オーギュストは若い頃のヴェルヌ元判事と同じ経験をしていることが明らかになっていきます。

 

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ヴァランティーヌの部屋から見えるオーギュストの赤い車

 

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毎朝、ヴァランティーヌが立ち寄るジョセフの店の日よけも赤

 

ヴァランティーヌがヴェルヌ元判事の飼い犬をはねてしまったことから二人の接点ができるわけですが、彼女はヴェルヌ元判事が近隣の人々の電話を盗聴していることを知ります。仕事を辞め、世捨て人のようになった彼は、近隣の人々と交流することもなく、傍観者として電話を盗聴、人々の人生を反芻するだけです。そんな無気力な彼は、ヴァランティーヌの「息をするのをやめたら」という問いかけに、「それはいい考えだね」と答えます。

 

ヴェルヌ元判事には、キェシロフスキ監督自身が色濃く反映されています。「白の愛」では、監督のポーランド人としての視点からの平等観が感じられましたが、本作では、映画監督・脚本家として常に人々を観察する彼自身、そして老いつつある彼自身が投影されています。本作を撮影した時、彼は50代前半ですが、何かに憑かれたかのようにこの三部作をたて続けに撮影し、引退を宣言した彼は、実年齢以上に消耗していたのかもしれません。

 

ヴェルヌ元判事を演じるジャン=ルイ・トランティニャンは、若い頃、法律家を志していましたが、映画の世界に転じ、クロード・ルルーシュ監督の「男と女」(1966年)の主演で名を馳せました。知的で温厚な印象の二枚目のスターでしたが、撮影時は60代前半と既に若くはありません。また、映像作家のような個性的な監督らと組ことが多かった彼は、本作では老いて杖をつき、ヤカンのお湯もこぼしてしまうような老人を見事に演じています。かつて法律家を志していたこと、「Z」(1969年)で判事を演じたことがあることも含めて、絶妙なキャスティングといえます。

 

本作のヴァランティーヌを「老人好みの女性」と評した人がいますが、これは全く当たっていないわけではないかもしれません。キェシロフスキ監督自身の投影であるヴェルヌ元判事の人物像は最初の脚本から深く描かれていましたが、イレーヌ・ジャコブをイメージして書かれたヴァランティーヌは理想的な女性であるものの、人間的な厚みが描き込まれていませんでした。この脚本を読んだイレーヌ・ジャコブは、すべてに満足している理想的な女性が人生のイベントを終えてしまったような老人に興味を持つはずがないと、キェシロフスキ監督に話し、

  • 恋人とうまくいっていない
  • 母とうまくいっていない
  • 弟が麻薬に溺れている

というヴァランティーヌ像が書き加えられました。

 

「青の愛」、「白の愛」同様、本作にも老人が空き瓶を捨てようとして投入口に手がとどかないというシーンが挿入されていますが、

  • 「青の愛」では、陽の光と戯れ、自由を満喫するジュリーは老人に気づかない
  • 「白の愛」では、妻に放り出されたカルロは、自分同様に困っている老人を笑う
  • 「赤の愛」では、ヴァランティーヌが老人に歩み寄り、手助けする

という、各主人公の異なる反応が描かれています。これらは三部作を緩く結びつける象徴的要素で、「赤の愛」でようやく主人公が手助けする訳ですが、前二作を観た人はヴァランティーヌのキャラクターと本作のテーマである「博愛」がより強く印象づけられます。

 

ヴァランティーヌは優しくてオープンな性格で、たとえ悩みを抱えていても誰にでも明るく挨拶できるような女性として描かれています。当時のインタビュー・ビデオを見ると、イレーヌ・ジャコブそのものという印象です(強いて言えば、イレーヌ・ジャコブの方がより明るい印象)。彼女はキェシロフスキ監督の「ふたりのベロニカ」(1991年)を主演、カンヌ国際映画祭女優賞を受賞していますが、キェシロフスキ監督がトリコロール三部作の完結編である本作に再びイレーヌ・ジャコブを起用した背景には、彼の強いこだわりがあったことは間違いありません。彼女が育ったジュネーヴに舞台を設定、彼女をイメージしながら脚本を書いているばかりか、彼女が子供の頃に憧れた名前に因んで主人公をヴァランティーヌと名付けています。キェシロフスキ監督にとってヴァランティーヌは、まさにイレーヌ・ジャコブそのものです。キェシロフスキ監督とイレーヌ・ジャコブは親子ほど年が離れていますが、キェシロフスキ監督が自身を投影したこの作品を観ていると、そこには父性愛のみではない、男性としての愛情が混じっていたのではないかと感じられる部分もあります。

 

<ネタバレ>

エンディングは見事と言うしかありません。お互いを知らぬままヴァランティーヌとオーギュストが乗ったフェリーが、ドーヴァー海峡で遭難、ヴァランティーヌとオーギュスト、そして「青の愛」のジュリーとオリヴィエ、「白の愛」のカロルとドミニクが、奇跡的に救出されます。ここまでほぼ独立に描かれてきた3つの物語が群像劇のように一気に結合し、自由、平等、博愛がテーマの独立したドラマが、あたかもフランス国旗のように広い世界観の中で隣接して結びつくドラマであることが、印象づけれらます。

 

この時点で、ヴァランティーヌとオーギュストは初めて視線を交わしますが、「青の愛」、「白の愛」で困難を乗り越えたジュリーとオリヴィエ、カロルとドミニクとともに救出されたことは、彼らの間柄も成就することを暗示します。ヴェルヌ元判事はヴァランティーヌと出会うことにより、長く凍てついていた心を開くことができました。奇しくも若い頃のヴェルヌ元判事の経験をなぞりつつあったオーギュストは、ヴァランティーヌに出会ったことにより、元判事のように長く心を閉ざし、無為な人生を過ごさずに済むでしょう。「青の愛」ではジュリーの愛の再生が欧州統合の為の協奏曲の完成と重なりましたが、老いた男の若い頃の人生を若い男がなぞるという時間を超えた二重構造とヴァランティーヌが交錯するいう本作の構成も実に見事です。

<ネタバレ終わり>

 

本作ですべて出しつくしてしまったのでしょうか、キェシロフスキは映画監督からの引退を宣言、演劇学校で新人俳優の指導に当たります。その後、復帰を宣言し、ダンテの「神曲」をモチーフにした「天国・地獄・煉獄」三部作の脚本に取り掛かりますが、1996年に心臓発作の為、54歳の若さで逝去、残念ながら本作が遺作となってしまいました。

 

イレーヌ・ジャコブ(ヴァランティーヌ、大学生、モデル)

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ジャン=ルイ・トランティニャン(ヴェルヌ元判事 )

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ジャン=ピエール・ロリ(オーギュスト)

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サウンドトラック

 

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1. 運命のいたずら
 (ポーリッシュ・ヴァージョン)
2. ファッション・ショー1
3. 判事を訪ねて
4. 盗聴
5. 判事と別れたあと
6. 精神分析
7. 誰も知らない誕生日
8. 他人の妻と1
9. 背信
10. ファッション・ショー2
11. 劇場で交わした会話
12. …そして告白
13. 他人の妻と2
14. 大災害
15. フィナーレ
16. 運命のいたずら
 (フレンチ・ヴァージョン

撮影地(グーグルマップ)

 

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関連作品

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  「トリコロール/青の愛」(1993年)

  「トリコロール/白の愛」(1994年)

  「トリコロール/赤の愛」(1994年)

 

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  「傷跡」(1976年)

  「終わりなし」 (1985年)

  「殺人に関する短いフィルム」(1988年)

  「愛に関する短いフィルム」(1988年)

  「デカローグ」 (1989-1990年)

 

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  「さよなら子供たち」(1987年)

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危険な関係」(1959年)

     「追い越し野郎」(1962年)・・輸入版、リージョンA,日本語なし

  「男と女」(1966年)

  「女鹿」(1967年)

  「Z」(1969年)

  「モード家の一夜」(1969年)

  「暗殺の森」(1970年)

  「日曜日が待ち遠しい!」(1983年)

  「アンダー・ファイア」(1983年)北米版、リージョン1、日本語なし

  「ロスト・チルドレン」(1996年)

  「愛、アムール」(2012年)

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