夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「少年と自転車」:親に捨てられ、神経がむき出しになったように傷ついた少年の痛ましさと、母のような愛でそれを癒す女性の豊かさ

少年と自転車」(原題:Le gamin au vélo)は2011年のベルギー・フランス・イタリア合作のヒューマン・ドラマ映画です。ダルデンヌ兄弟監督、トマ・ドレ、セシル・ドゥ・フランスらの出演で、育児放棄され、神経がむき出しになった少年が、平和と慰めを得るまでを描いています。第64回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞、同一監督の作品として史上初の5作品連続で主要賞受賞を果たした作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト 

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ
脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ
出演:トマ・ドレ(シリル・カトゥル)
   セシル・ドゥ・フランス(サマンサ・プッチオ)
   ジェレミー・レニエ(ギイ・カトゥル、シリルの父)
   ファブリツィオ・ロンジョーネ(書店主)
   エゴン・ディ・マテオ(ウェス・デシャン、不良少年)
   オリヴィエ・グルメ(居酒屋の主人)
   ほか

あらすじ

もうすぐ12歳になる少年、シリル(トマ・ドレ)の願いは、自分を児童養護施設へ預けた父親(ジェレミー・レニエ)を見つけ出し、再び一緒に暮らすことでした。父を捜す為、父と暮らしていた団地へと向かいますが、呼び鈴を押しても誰も出ません。探しにきた学校の先生から逃れようとして入った診療所で、シリルは美容院を経営する女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)にしがみつきます。「パパが買ってくれた自転車があるはずだ!」とシリルは言い張りますが、部屋を開けるともぬけの殻でした。

その後、シリルの話を聞いて自転車を探し出し、持っていた人から買い取ったサマンサが、シリルの元を訪ねますが、シリルは「乗っていたそいつが盗んだ」と憤ります。サマンサに週末だけ里親になって欲しいと頼み込み、一緒に過ごしながら、シリルは父親の行方を捜し始めます。サマンサが買い戻した自転車の売り主は、ガソリンスタンドの「自転車売ります」という貼り紙を見て、手に入れたと言います。サマンサが住所を探し出し、シリルはようやく父親と再会しますが、父親は「もう会いに来るな」と言い残して、扉を閉めます。

これを機会に、サマンサはそれまで以上に真摯にシリルと向き合うようになり、シリルを疎ましく思う恋人との間に軋轢が生まれます。父に捨てられ激しいショックを受けたシリルでしたが、その後も週末はサマンサの家で過ごすようになります。ふたりの心は徐々に近付いていくかに見えましたが、ふとしたことで知り合った近所の不良少年との関係が、シリルを窮地に追い込んでいきます・・・。

レビュー・解説 

親に捨てられ、神経がむき出しになったように傷つく少年の痛ましさ、それを母のような愛で救う女性の豊かさが素晴しい映画です。子供達にとって愛されることがとても重要であることを実感させられます。

 

主人公を演じたトマ・ドレは撮影時13歳でしたが、父の愛にすがり、捨てられ傷つく、頑な少年を見事に演じています。かつて父親が買ってくれた自転車は彼にとって愛の象徴ですが、親の愛を取り戻そうとひたすら自転車で走るシーンが印象的です。そして、彼を救おうとする美容師サマンサを演じるセシル・ドゥ・フランスが醸し出す母性愛が素晴しいです。ダルデンヌ兄弟は、シナリオ執筆が終わった時点で、真っ先に思い浮かんだ女優がセシル・ドゥ・フランスで、彼女の身体、顔は「あるべくしてそこにある」となるだろうと思ったと語っています。美容師が何故、主人公を救おうとするのか映画では描かれていませんが、セシル・ドゥ・フランスはあたかも母性愛の化身であるかの様に存在しており、不自然さを感じさせません。

 

ちなみに、セシル・ドゥ・フランスは、ベルギー出身の女優で、「スパニッシュ・アパートメント」(2002年)でセザール賞有望若手女優賞を、「ロシアン・ドールズ」(2005年)で助演女優賞を受賞しています。、監督のディレクションが「サマンサはそこにいる、それだけ」という本作で、セシル・ドゥ・フランスはそれほど凝った演技をしているようには見えないのですが、円熟の自然体なのか、セザール賞を受賞した作品よりもはるかに深い存在感を感じます。

 

かねてからひとりの女性が暴力の世界に囚われている少年を救いだすという物語を描きたかったダルデンヌ兄弟は、2003年に日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで女性の弁護士から聞いた育児放棄された子どもの話に着想を得て、この映画を制作しました。育児放棄された子どもの話とは、

わたしが担当した少年はずっと施設で育ち、ある重大な事件を起こして、現在は少年院にいます。その少年は暴走族の中で事件を起こしたのですが、彼は家がないということもあり、暴走族が自分の家だと思うと同時に「いつか裏切られるのではないか」「いつか見捨てられるんじゃないか」という思いがあったようです。親はいるのですが「育てられない」ということで、少年は赤ちゃんの時から施設にいました。施設の問題というより、むしろ親との距離の問題ではないかと思います。何カ月かに1度、親が施設に会いに行くということを約束したのですが、その約束が守られない。10歳頃までは、いつも施設の屋根に登って親が来るのを待っていたそうですが、ある時、施設の方から「もう降りてきなさい。中に入りましょう」と言われ、その日以来、もう親を待たなくなったといいます。その最後の思い出はとても強かったようで、以来、彼は人を信じることをやめ、信じないことで自分を守ろうとしました。施設を出てからも、自分が受けいれられると感じた暴走族のグループであっても、裏切られないためには自分の存在を示さなければいけない、そのためによりひどい暴力を振るうようになったのです。(石井小夜子弁護士、少年犯罪のシンポジウムより)

 

一見、結末は異なりますが、ダルデンヌ兄弟は石井小夜子弁護士の意味するところを十分に汲み取っています。後に「少年と自転車」を観た石井小夜子弁護士は次の様に語っています。

シリルは11歳ですが、パネルディスカッションで語ったエピソードは少年が10歳くらいのころです。わたしがこの少年に出会ったのは17歳のときでしたから10歳のときの彼は知りません。ですが、映画に登場するシリルの顔つき・動きは彼そのものだ! と思い、前半は涙がとまりませんでした。この少年は、「信頼して裏切られるより、最初から信頼しないほうが傷つかない」という身構えがいつのまにか身につき、自分を閉ざしていきます。誰も信頼できず、非行仲間からもいつ捨てられるかわからないとびくびくし、いつも他人の顔をみて生きてきました。そして、シリルのようにいつもいつも父親を求めていました。(石井小夜子弁護士)

 

実は、この映画は寓話であり、サマンサは少年を救う妖精だという解釈があります。しかしながら、サマンサのリアリティについて議論することは見当違いでしょう。育児放棄された少年が求めているものはリアルです。この映画が狙ったものは、まさにそこにあるのではないかと思います。後は、満たされるか、満たされないかの違いだけでしょう。

 

トマ・ドレ(シリル・カトゥル)

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セシル・ドゥ・フランス(サマンサ・プッチオ、左)

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関連作品 

ダルデン兄弟監督作品のDVD(Amazon

  「息子のまなざし」(2002年)

  「ある子供」(2005年)

  「ロルナの祈り」(2008年)

  「サンドラの週末」(2014)

 

セシル・ドゥ・フランス出演作品のDVD(Amazon

  「スパニッシュ・アパートメント」(2002)

  「ロシアン・ドールズ」(2005)

  「ある秘密」(2007)

  「ジャック・メスリーヌ パブリック・エナミー No.1 Part1 」(2008)

  「ニューヨークの巴里夫(パリジャン)」(2013)

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