夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ありがとう、トニ・エルドマン」:国外で働くキャリア・ウーマンの娘とつき纏う父親の奇妙で繊細な関係をリアルに描いた大人のコメディ

「ありがとう、トニ・エルドマン」(原題:Toni Erdmann)は、2016年公開のドイツ・オーストリア合作のコメディ&ドラマ映画です。マーレン・アデ監督・脚本・製作、ペーター・ジモニシェック、ザンドラ・ヒュラーら出演で、ルーマニアで働くキャリア・ウーマンの娘を心配してドイツからやって来た奇妙な父親が、嫌がる娘の周囲で巻き起こす騒動と、二人の繊細な関係の変化を描いています。第69回カンヌ映画祭では「ある視点」部門への出品ながらパルム・ドール(最高賞)の候補となり、第29回ヨーロッパ映画賞では女性監督初の作品賞と監督賞、脚本賞、男優賞、女優賞を受賞、第89回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:マーレン・アデ
脚本:マーレン・アデ
出演:ペーター・ジモニシェック(ヴィンフリート/トニ・エルドマン)
   ザンドラ・ヒュラー(イネス)
   イングリット・ビス(アンカ)
   ミヒャエル・ヴィッテンボルン(ヘンネベルク)
   トーマス・ロイブル(ゲラルト)
   トリスタン・ピュッター(ティム)
   ハーデヴィッフ・ミニス(タチアナ)
   ルーシー・ラッセル(ステフ)
   ヴラド・イヴァノフ(イリエスク)
   ヴィクトリア・コチアシュ(フラヴィア)
   ほか

あらすじ

  • ドイツのアーヘンに住むヴィンフリート・コンラディ(ペーター・ジモニシェック)は妻と離婚した音楽教師で、架空の別人格を演ずるのが大好きです。愛犬を亡くした彼は、事業コンサルタントとして海外で活躍するキャリア・ウーマンの娘イネス(ザンドラ・ヒュラー)との関係を修復しようとします。イネスはルーマニアブカレストに駐在し、石油事業のアウトーソースに関するプロジェクトを手がけています。仕事で手一杯の彼女は家族と過ごす時間はほとんどなく、父親と過ごす時間は全くと言っていいほどありません。
  • ヴィンフリートははるばるブカレストに出かけ、イネスが働くオフィス・ビルのロビーで彼女を待ちます。やがて、彼女は打ち合わせをする為に何人かの顧客の役員たちと一緒に現れます。ヴィンフリートはサングラスをかけ、入れ歯をつけて変装し、新聞の陰に隠れながら彼女に近づきます。イネスはそんな父親を完全に無視しますが、仕事が終わった後にアメリカ大使館主催のパーティに誘います。
  • パーティに参加したイネスとヴィンフリートは、イネスがコンサルタント契約を受注すべくアプローチ中の石油会社のCEOヘンネベルク(ミヒャエル・ヴィッテンボルン)に会います。イネスは彼の注意を惹こうとしますが、ヘンネベルクは父親のヴィンフリートに興味を持ちます。娘がいつも忙しいので娘の代わりを雇ったと、ヴィンフリートはヘンネベルクに話します。パーティの後、側近と飲みに行くヘンネベルクはヴィンフリートとイネスを誘い、バーではイネスを無視してヴィンフリートの会話を楽しみます。
  • イネスとヴィンフリートは何日か一緒に過ごしますが、仕事で疲れたイネスは顧客との打ち合わせに寝過ごしてしまい、起こさなかったヴィンフリートを責めます。娘に疎まれていると感じたヴィンフリートは、別れを告げてタクシーで空港に向かいます。普段通りに仕事を続けるイネスは、数日後、二人の女友達とバーで待ち合わせをします。おしゃべりをしていると男が近づいて来て、「トニ・エルドマン」と名乗ります。かつらと入れ歯で変装した男は明らかにヴィンフリートですが、イネスは友人に黙っています。友人たちはエルドマンの話相手になり、彼はライフ・コーチで、友人の亀の葬式の為にブカレストに来たと言います。
  • 仕事に私生活にさらにストレスを抱えるイネスは、パーティやオフィスの外で時折、エルドマンに遭遇し続けます。イネスは父に怒り、自分の生活を壊すつもりかと責めますが、時が経つにつれて父の干渉を受け入れ、エルドマンの戯れにつきあい始めます。エルドマンはイネスと同僚とともに飲みに出かけ、終いにはイネスと一緒に仕事の打ち合わせにまで顔を出します。イネスはエルドマンとともに地元の家庭のイースター・パーティに行き、そこでホイットニー・ヒューストンの「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」を無理やり歌わされます。
  • 歌が終わるや否や、イネスはイースター・パーティを飛び出し、自宅に戻ってパーティの準備を始めます。自身の誕生日を祝い職場のチームの結束を固める為のパーティです。ぴったりとしたドレスの背中のジッパーを上げるのに悪戦苦闘したイネスは、靴が合わないことに気が付きます。服を変えようと脱ぎかけた時、ドアの呼び鈴が鳴り、何を思ったのか、イネスは服を脱ぎ捨ててドアに向かいます・・・。

レビュー・解説

キャリア・ウーマンとして国外で活躍する娘とすぐにばれるような変装をして娘につきまとう奇妙な父親との繊細な関係をリアルに描いた、ハイレベルな大人のコメディ&ドラマ映画です。

 

父と娘の繊細な関係を軸にした作品です。思春期の娘や、結婚を前にした娘と父親の関係を描く映画はよくありますが、この映画の娘は国外にで勤務する、30代後半と思しきバリバリのキャリア・ウーマンです。 

  • 娘を心配する寂しい父親がすぐにばれるような変装をして娘につきまとう
  • 娘と同僚の奇妙なセックス・シーン
  • クライマックスの裸のパーティ・シーン

など、設定は明らかにコメディなのですが、それをリアルに実存的なスタイルで描いているのが本作の最大の特徴です。「ここで笑う」というブックマークのついているような、典型的なコメディではありません。特に娘にとってバツの悪い瞬間が繰り返して描かれ、また自暴自棄と思われる展開もあり、神出鬼没に立ちはだかるウザったい父親に打つ手なしと渋々と受容している部分もあります。そういう意味では少々ハイレベルなコメディと言えるかも知れません。

編集によって力強いコメディになり、先読みできない面白さを観客の皆様に提供できたことを嬉しく思っています。映画の制作に当たっては、絶望的な局面や自暴自棄な行動にフォーカスしています。多くの馬鹿げたことはそうしたことに由来します。例えば裸のパーティですが、これはイネスにとって悲しくて実存的な状況で、私にはとても共感できるものがあります。また、「裸の上司がそこに立っていたら面白いかもしれない」と思いましたが、どうやってそこに持っていくか最初は自分でも見当がつきませんでした。それはそれで良いと思ったし、準備もうまく進んでいたのであまり気にしませんでした。目一杯のコメディであることに固執せず、ドラマならドラマでも良いと思っていました。

映画のようになったらどうしようと思う人や、実際に似た状況に陥ったことがある人もいるかもしれません。でも、なんて馬鹿なことをしているんだろうとわかっていながらそれをやめられない登場人物が、私は好きなんです。それは「現実に起きていることに抗うことが出来ない」瞬間ですが、実際の人生も実はそんなものだと思います。独りでいる時にそんな状況に直面すると、私は自分自身を笑ってしまいます。(マーレン・アデ監督)
https://www.slantmagazine.com/features/article/interview-maren-ade-and-sandra-hueller-on-making-toni-erdmann 

 

さらにこの作品の優れたものにしているのは、

  • グローバル企業で働くキャリア・ウーマンの実際
  • ルーマニアに進出するドイツ企業の実際
  • そんな娘と父のジェネレーション・ギャップ

といったことを、さり気ないながらも適確に描いてる点です。アデ監督は自身の父をヴィンフリートのモデルにしていますが、娘は自分とは全く異なる職業にしたいと考えました。そこで娘を、グローバル化の流れの中で国外で働き、父と疎遠になるキャリア・ウーマンという設定にしました。アデ監督にとってビジネス・シーンは一からの勉強でしたが、娘が働く場所をブカレストに決めてから脚本を書き始めました。実際にキャリア・ウーマンたちにインタビューをするなどルーマニアで調査を実施し、多国籍企業に批判的な意識を持っていたアデ監督は、彼女らなりの言い分に人間らしさを感じたと言います。本作は、グローバル企業を悪者にしてめでたしめでたしという安直な展開にはなっていませんが、ビジネス・シーンには素人のアデ監督がこうしたエッセンスを適確に描いている点は、彼女の才能と言って良いのではないかと思います。また、本作の構成が、

  • 父は「トニ・エルドマン」を演じることによって初めて娘に対等に対峙できる
  • 娘は仕事で演じることに目一杯で、演じることを放棄して初めて解放される

と、演じるという視点で対称になっていることも興味深いです。

 

クライマックスの裸のパーティの後、映画はドラマティックに展開しますが、アデ監督は独自のスタイルを貫き通し、ありきたりのコメディのような終わり方はしません。

<オチバレ>

二人が抱き合って、それがその後の二人の関係を暗示するというは、簡単だけど馬鹿げています。着ぐるみを着た彼が倒れてしまうのに、「抱き合えば事態は好転する」というのは、間違った解釈です。二人はもっと会わなければなりません。(マーレン・アデ監督)
http://cinema-scope.com/spotlight/battle-humour-maren-ade-toni-erdmann/

娘と対峙する為に懸命に演じる父と、演じることから解放された娘の思いが、一瞬、交錯するのは事実です。しかし、これは巨大な着ぐるみを着て歩く父の後ろ姿を見た娘が、単に幼い頃を思い出しただけかもしれず、二人の関係を根本的に解決するものではありません。着ぐるみでしんどい思いをしたのか、その後の展開で父は変装せずとも娘と虚心坦懐に話すようになり、娘も仕事の電話に邪魔されずに父の話を聞くようになります。また、娘がキャリア・アップしたことも示され、すべてが良い方向に向かいつつあることを感じさせるエンディングです。ブカレストの事件がきっかけではありますが、父と娘の関係は突然変わるものではなく、二人で積み上げていくものであるという、アデ監督の実体験に基づくこだわりが感じられます。良い方向性を示しながらも、夢物語ではなく、現実味を感じさせるエンディングです。

<オチバレ終わり>

 

2010年を最後に映画出演から遠ざかり、既に80歳を超えたジャック・ニコルソンが切望し、本作のハリウッド・リメイクが決まったそうですが、この映画には間違いなくベテラン大俳優を惹きつける魅力があります。

 

ペーター・ジモニシェック(ヴィンフリート/トニ・エルドマン)

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ペーター・ジモニシェック(1946年〜)は、主に舞台で活躍するオーストリアの俳優。役柄の年齢を演じられる俳優が限られる中、かつらを持参してオーディションを受けた意欲が買われ、真っ先に本作に起用された。演技力のある俳優だけに、素人のヴィンフリートが演じるトニ・エルドマン、つまりトニ・エルドマンを下手に演じるのに苦労したという。


ザンドラ・ヒュラー(イネス)

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ザンドラ・ヒューラー(1978年〜)は、ドイツの女優。 ニーナ・ホス、ユリア・イェンチと並んで、今世紀に世界的な賞を受賞している、ドイツを代表する女優の一人。本作では、素晴らしい演技のみならず、見事な脱ぎっぷりを披露、大物感が感じられる。

 

イングリット・ビス(中央、アンカ)

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イングリット・ビスはルーマニア出身の女優。ルーマニアでは有名な女優だが、本作ではドイツ人の上司(イネス)に評価されようと必死なアシスタントを見事に演じており、見事な脱ぎっぷりも披露している。本作で一気に知名度を上げ、今後、国際的な作品に出演するであろうことは想像に難くない。

 

ミヒャエル・ヴィッテンボルン(中央、ヘンネベルク)

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ミヒャエル・ヴィッテンボルン(1953年〜)は、ドイツの俳優。「マーサの幸せレシピ」(2001年)、「イェラ」(2007年)などに出演している。本作では、苦虫を潰したような企業の幹部をリアルに演じている。

 

トーマス・ロイブル(ゲラルト)

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トーマス・ロイブル(1969年〜) は、ドイツの俳優。本作では、本当にいそうな上司を実に巧みに演じている。

 

トリスタン・ピュッター(ティム)

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トリスタン・ピュッターは、フランクフルト出身のドイツの俳優。「あの日のように抱きしめて」(2014年)などに出演している。本作では、少々軽い感じがするイネスの同僚をうまく演じている。

動画クリップ(YouTube

  • イネスが嫌々ながら歌う「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」
    ザンドラ・ヒュラーは、娘を自分の戯れに利用することしか考えていない父親に愛想をつかしたイネスを悲しげに演じたが、アデ監督は単に嫌々ながら歌うことを期待していた。撮影した部屋が暑かったという悪条件も重なり、二人が鋭く対立する中、リハーサルのビデオを参照しながら何とか実現したのがこのテイク。自分を愛せなければ始まらないという意味の、父親のメッセージが込められているかのような歌詞と、父親に対するイライラが昂じているように見えるイネスの対比が、二人のすれ違いを象徴しているかのようで興味深い。

撮影地(グーグルマップ)

 

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  「恋愛社会学のススメ」(2009年)

 

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  「レクイエム~ミカエラの肖像」(2005年):輸入版、日本語英語なし

  「ベルリン陥落1945」(2008年)

  「Amour Fou」(2014年)

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  「グッバイ、レーニン!」(2007年)

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