「ある戦争」(原題:Krigen、英題:A War)は、2015年公開のデンマークのヒューマン・ドラマ映画です。トビアス・リンホルム監督・脚本、ピルウ・アスベック、ソーレン・マリンら出演で、アフガニスタンでタリバンと戦いながら市民を守ろうとするデンマーク軍中隊の指揮官が、部下を守る為に交戦規則違反を問われて裁判にかけられる様を描いています。第88回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品です。
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目次
スタッフ・キャスト
監督:トビアス・リンホルム
脚本:トビアス・リンホルム
出演:ピルウ・アスベック(クラウス・M・ペデルセン、アフガン駐留の指揮官)
ダール・サリム(ナジブ・ビスマ、副指揮官)
ダルフィ・アル・ジャブリ(ルトフィ・“ラッセ”・ハッサン、クラウスの部下)
ツヴァ・ノヴォトニー(マリア・ペデルセン、クラウスの妻)
ソーレン・マリン(マルティン・R・オルセン、クラウスの弁護士)
シャルロッテ・ムンク(リズベート・ダニング、クラウスを追求する法務官)
ほか
あらすじ
デンマーク陸軍中隊の指揮官クラウス・M・ペデルセン(ピルー・アスベック)と彼の部下は平和維持の為にアフガニスタンのヘルマンド州に駐留しています。一方、デンマークでは戦地の夫クラウスと遠く離れた妻マリア(ツヴァ・ノヴォトニー)が、父の不在を寂しがる3人の子供たちを相手に孤軍奮闘の日々を送っています。ある日、タリバンの激しい攻撃にさらされたクラウスは、部下を守る為に敵が攻撃してくると思われる地区に空爆を要請します。しかし、そこには民間人がおり、子どもを含む11名の罪のない命が犠牲になります。帰国命令が下り、クラウスは空爆により11人を殺害した罪で起訴されてしまいます。起訴はクラウスとその家族を動揺させ、クラウスは過酷な状況で部下を守る為に不可欠だった判断と、罪の意識との間で揺れ動きます・・・。
レビュー・解説
緊張感溢れる前線での戦闘と法廷での戦いに、部下、現地住民、母国の妻と子どもたちとの関係を折り込みながら、部下の命を守る為に現地の子供達を誤爆させてしまった平和維持軍指揮官の揺れる心情を、知的で抑制の効いたトーンでリアルに描くヒューマン・ドラマです。
CGや特殊効果、セット撮影、人工照明、回想シーンなどの虚飾を排し、ハンディカメラで時系列に刻々と現在を切り取っていくなど、映画の本質を追求するドグマ95(CG等、過度な特殊効果や先端技術への依存を拒否し、映画本来の伝統的価値へと立ち返るデンマークの運動)の流れを汲む、全編ドキュメンタリータッチのリアルで緊迫感溢れる作品です。また、戦地のシーンでは三人の俳優を除き全てアフガニスタンで実戦を経験したデンマーク兵と実際の避難民を起用、法廷シーンは判事経験者が演じています。
映画が始まって間もなく、基地司令室の指揮官はパトロール中の部下を地雷で失います。部下の動揺を鎮める為に、指揮官は部下と共にパトロールにで出ることにします。タリバンの活動が活発化するある日、アフガン人が妻と子供を連れて基地を訪れ、タリバンに脅されているので保護して欲しいと懇願します。部下の女性兵士は基地内に宿泊させることを提案しますが、指揮官をこれを拒否、翌日にタリバンを掃討すると約束して、アフガン人一家を帰します(拒否した理由は明示されていないが、恐らく基地内に安易に宿泊させることができないものと思われる)。翌日、部隊を引き連れてアフガン人の家を訪れると、一家全員がタリバンに惨殺されています。しかも、これはタリバンの罠で、直後に部隊は猛攻を受け、部下が瀕死の重傷を負います。タリバンの攻撃が激しく救護ヘリの出動を拒否された指揮官は、部下の容態が切迫する中、敵がいると思われる地区に援護の空爆を要求します。地雷でパトロール中の部下を失い、保護を求めてきたアフガン人一家を惨殺され、そして今、自らの部隊が激しい攻撃に晒され、さらに部下を失おうとしている中での、ギリギリの判断でした。空爆が功を奏し、敵の攻撃は止み、瀕死の部下は無事、救護ヘリで搬送されます。
しかし、空爆で子供を含む11人の民間人が死亡したことがわかり、指揮官は交戦規則違反で起訴されてしまいます。戦時国際法では、市民の被害を最小限するに努力と、適切な武力行使を求めていますが、空爆を要請した指揮官がこれを怠ったという嫌疑です。国際法違反は一兵士の問題ではなく、国としての問題にもなるので、デンマークとしても放ってはおけません。後半の法廷ではこの問題が争われ、故殺として最長4年の刑が求刑されます。余談になりますが、戦場で兵士を最も強く動かすのは大義ではなく、仲間との絆と言われています。部下や仲間を救いたいが為に交戦規則を犯してしまうのはありがちなケースですが、倫理的に批判できても、心情的には批判しきれない部分もあります。
状況の複雑さを見せるというのが今回の一番の目標でした。血まみれで死にかけている友人を目の前にして、空爆をすれば助かるかもしれないけど、一般市民が犠牲になるかもしれない。観客を「あなたならどうする?」という複雑な状況に置きたかったんです。それこそが戦争がいかに複雑なものであるかということの証拠でもあると思いました。
我々は過ちに対して罰を求めますが、この単純な図式は人間の複雑さを反映するものではありません。だから私の映画には英雄はいません、ただ人間がいるだけです。(トビアス・リンホルム監督)
因みに、本作では狙撃兵がタリバン兵を狙うシーンを除いて敵の姿が見えません。これは、狙撃兵以外の兵士が敵を目視して攻撃することは稀であるという前線の実態に基づいています。敵も遮蔽物に隠れていますから、目視できないまま敵がいる周辺を狙って銃撃するのが前線の実態です(戦闘が予想される場合、住民が事前に避難する場合もあるが、本作の場合、タリバンが部隊を罠に嵌める為に、気づかれぬよう住民を移動させなかった可能性もある)。また、敵が見えないのは、平和維持という目的が実感しにくい戦いの比喩的表現でもあります。
母国の国境や我々自身の家族を守る為の戦いではないのに、我々は何故、地球の裏側に若い兵士を送り込むのか?民主主義を構築する為?人心を掴む為?私が話をした多くの兵士は、実のところ、わかっていなかった。それどころか、10年も各地を転戦すれば誰もそんなことは疑問に感じなくなると、口を揃えて言うんだ。(トビアス・リンホルム監督)
本作では、戦闘や法廷のみならず、戦地の夫から遠く離れた母国で三人の子供を相手に奮闘する妻の日常も描かれており、女性の共感も誘います(関係者の妻たちや兵士の夫婦たちは、一様に涙したという)。誤爆で子どもたちの命を奪ってしまったことに責任を感じる夫に、さらに妻は詰め寄ります。
マリア:責任をとる?子供達は?私は?あなたが必要なの。ずっと離れてたのよ。ユリウスも苦しんでいる。
クラウス:どうしろと?
マリア:過去より、今のことを考えて。4年も服役してどうなるのよ。気持ちが軽くなる?じゃあ子供たちは?あの子達には父親が必要なのよ。
クラウス:爆弾を落としたんだ、俺の判断で。
マリア:だったら、弁護士の助言どおり、「誰が確認したか忘れたが、敵はいた」と言えばいいじゃないの。死んだ子が何よ?生きてる我が子を考えてよ。
妻は、すぐに謝りますが、これも本作の中で重要なセリフのひとつです。マリアを演じたツヴァ・ノヴォトニーは、一連の妻の描写に関して「母国に残された女性の視点が初めて描かれた」と語っています。こうした視点も含めて、平和維持活動の大義、部下の命、現地の人々の命、倫理、家族の幸せといった、時に相反する利益をめぐる兵士の葛藤を、本作は描いています。
空港でクラウスを出迎える子どもたち
誤射、誤爆は世界各地で起きており、本作の指揮官が抱えるような問題は、決して稀なものではありません。しかし、こうした事案がどのようにして起きたのか、その後どうなったのか、我々はほとんど知ることがありません。本作と同じ地域の兵士を追ったドキュメンタリーに、デンマークの「アルマジロ」(2010年)がありますが、実はこの中には負傷したタリバン兵の殺害を示唆する兵士の音声が収録されています。また、イギリスの海兵隊員が同じ地域で負傷したタリバン兵を殺害してしまい、終身刑を言い渡された実例もあります。本作とは異質のケースですが、いずれもジュネーブ条約に抵触する行為です。イギリスのケースは精神上の問題を抱えやすい環境での出来事であることが酌量され、7年に減刑されて刑期を終えています。有罪を言い渡され、妻の将来を考えた海兵隊員は、「君は僕が犯罪者になる前提で結婚したわけではない」と、離婚を妻に委ねましたが、妻は「私の結婚の誓いは私の結婚の誓い、共に歩みます」と答えたそうです。
第二次世界大戦でドイツに攻められた際に、デンマークはわずか二時間で降伏しました。戦後はリベラルな時代が続きましたが、やがて徐々に保守化し、平和維持活動に派兵するようになりました。長く実戦経験のなかったデンマークは、今、実戦を通して戦争を学びつつありますが、人々の意識はまだ低いと言います。本作は、
- 紛争地域の住民の安全を守る必要性
- その為に兵士が背負う危険性
- 兵士を守る為に住民を危険に晒す可能性
- 家族の平和と人道的倫理の利益相反
といった戦争の複雑さを描いていますが、政治や思想の問題と簡単に片付けること無く、民主主義に則って国民一人ひとりが紛争地域への派兵について考えて欲しいと、リンホルム監督は語っています。
苦しんでいるのは紛争地域の人々だけではない、平和維持軍の派遣という政治判断によって、我々も彼らに繋がり、苦しんでいるんだ。デンマークのみならず、アメリカもイギリスもこの現実を見直さなければならない。(トビアス・リンホルム監督)
アフガニスタンの平和維持軍は2014年に任務を完了、撤収しましたが、デンマーク軍はイスラム国掃討の為に現在も他国とともにシリアに派兵しています。
日本はデンマークとは逆に第二次世界大戦で戦線を拡大し惨敗、その反省から戦争を放棄しました。以降、実戦に参加することなく世界各地の紛争に距離を置いたのは、リベラルな時代のデンマークに似ています。しかし、
- 日本も敵とイスラム国が名指し、実際に日本人の被害者が出ている
- 北朝鮮が着々と核を準備し、日本も敵と名指しする
- 韓国の竹島占拠に続き、中国も尖閣諸島を狙う
- 第2次世界大戦以降、圧倒的パワーで世界秩序をリードしてきたアメリカが各国に応分の負担を求め始めている
など、世界情勢が変化する中、単純な反戦思想、別の言葉で言えば「自国は守ってもらうが、他国は守らない」という態度で良いのか、日本は岐路に立たされています。かつて日本人は「水と安全はたタダと思っている」と言われたことがあります。最近はペットボトルの水を買うになりましたが、安全も実はただではないのかもしれません。世界各地の紛争、日本を取り巻く環境といった世界情勢をよく理解し、自衛官を送り出すか否かという悩ましい問題に、国民一人ひとりが煩悶しなければならない時代になりつつあります。先進国は国連平和維持軍への派兵に疑問を感じ始めており、現在は途上国や紛争周辺国からの派兵が主になっています。デンマークの派兵は、単なる国連の一員としてではなく、先進国主体の NATOや有志国連合の一員としての側面があります。日本では国連平和維持軍への自衛官派遣がよく議論になりますが、実は、
- 日本周辺を含む世界各地の紛争解決はどうあるべきか
- 国連のみならず、NATOや有志国連合と如何に関わるか
- どのような形で紛争解決に貢献するのが効果的なのか
といったことが、日本にとってもより本質的な問題なのかもしれません。
ピルウ・アスベック(クラウス・M・ペデルセン、アフガン駐留の指揮官)
ピルウ・アスベック(1982年〜)は、テレビ、映画、部隊で活躍するデンマークの俳優。トビアス・リンホルム監督とは、テレビドラマシリーズ「Brogen」(2010〜2013年)、映画「R」(2011年)、「シージャック」に続いて、本作が4度目のコラボ作品。2016年には、アメリカのテレビドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローン」に出演している。
ダール・サリム(左、ナジブ・ビスマ、副指揮官)
ダール・サリム(1977年〜)は、バグダッド出身のデンマークの俳優。デンマーク陸軍の歩兵連隊に所属、パイロットの訓練を受け、イギリスの航空会社で働く。その後、テレビドラマシリーズや映画に出演するようになる。
ツヴァ・ノヴォトニー(中央、マリア・ペデルセン、クラウスの妻)
ツヴァ・ノヴォトニー(1979年〜)は、ストックホルム出身のスウェーデンの女優、歌手。日本で公開されている作品は少ないが、ジュリア・ロバーツ主演の「食べて、祈って、恋をして」(2010年)で、主人公がローマで出会うスウェーデン人の友人を演じている。
ソーレン・マリン(マルティン・R・オルセン、クラウスの弁護士)
ソーレン・マリン(1969年〜)は、映画、テレビで活躍するデンマークの俳優。「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」(2012年)、「シージャック」(2012年)、「メン&チキン」(2015年)などに出演している。
シャルロッテ・ムンク(リズベート・ダニング、クラウスを追求する法務官)
シャルロッテ・ムンク(1969年〜)は、テレビ、映画で活躍するデンマークの女優、作家。「シェイク・ユア・ハート」(2001年)などに出演している。
戦時国際法について
戦時国際法の陸戦法規では、
- 軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止する。第二次世界大戦において見られた都市圏に対する戦略爆撃は違法化されている。
- 文民と民用物への被害を最小化する。文民や民用物の巻き添えは不可避だが、最小限になるよう努力し、攻撃による軍事的利益と巻き添えの被害は比例性原則に基づかなければならない。
- 同一の軍事的利益が得られる2つの攻撃目標がある場合、文民と民用物の被害が少ないものを選択しなければならない。
ことが定められています。空戦法規は条約として存在しませんが、慣習法としてしばしば引用され、
- 空襲は非戦闘員保護の観点から軍事目標、即ちその破壊が交戦国に明確に軍事的利益をもたらす目標に限定される
ことなどが定められています(他に海戦法規があるが、省略)。
本作のケースを整理すると、
- 敵の罠にはまり、敵は部隊の位置を正確に把握している。
- ロケット砲を含む敵の猛攻を受け、身動きが取れず、全滅の危機に瀕している。
- 銃撃で応戦するも負傷した部下の容態が悪化、緊急搬送する為に早急に戦況を打開する必要がある。
- 指揮官は敵の位置を第6地区と確信しており、他の場所は考えていない。
- 部下は第6地区に敵がいる可能性を否定していない。また、敵がいる可能性のある他の場所を誰も示していない。
- 第6地区への空爆により敵の攻撃は止み、部隊は離脱に成功、大きな軍事的利益を得た。
- しかし、子どもを含む11名の民間人が犠牲となった。
従って、陸戦法規の2.及び空戦法規の限定的な適用になるものと思われます(空戦法規は条約ではない慣習法であり、また本ケースは局地的陸戦の援護で軍事施設に対する空襲ではない)。よって、
- 第6地区を軍事的利益をもたらす目標とみなすことが出来るか(他の場所から攻撃されている可能性があったか)
- 民間人の被害が最小限になるように努力したか(部下の容態が悪化するまで銃で応戦したことを、民間人の被害がを最小限にする努力とみなすことができるか)
- 空爆が適切な選択だったか(他に効果的な手段はなかったか)
といったことを裁判官が判断し、判決を下すことになると思われます。なお、本作では判決理由が割愛されていますが、これはリンホルム監督が裁判官の法解釈によって絶対的な正義、不正義を印象づけてしまうことを避け、兵士の命 vs 住民の命、倫理への忠誠 vs 家族の幸せといった問題を観客に委ねる為と思われます。
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