「歌声にのった少年」(原題:Ya Tayr El Tayer、英題:The Idol)は、2015年公開のパレスチナのドラマ映画です。アメリカで人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」のエジプト版に出場、2013年の「アラブ・アイドル」に輝き、スーパースターになったムハンマド・アッサーフをモデルに、ハニ・アブ・アサド監督・共同脚本、タウフィーク・バルフムら出演で、姉との約束を果たすため、歌で世界を変えようと奮闘する少年を描いています。第89回アカデミー賞外国映画賞のパレスチナ代表に選定された作品です。
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目次
スタッフ・キャスト
監督:ハニ・アブ・アサド
脚本:サメホ・ゾアビー/ ハニ・アブ・アサド
制作:アリ・ジャファル 、アミーラ・ディアーブ
出演:タウフィーク・バルフム(ムハンマド・アッサーフ)
ディーマ・アワウダ(アマル)
アハマド・ロッホ(ウマル)
サーベル・シリーム(アハマド)
カイス・アタッラー(子供時代のムハンマド・アッサーフ)
ヒバ・アタッラー(ヌール)
アハマド・カセィーム(子供時代のアハマド)
アブドル・カリーム・アブバラカ(子供時代のウマル)
テッヤ・ホサイン(子供時代のアマル)
マナール・アッワード(ムハンマド・アッサーフの母 )
ワリード・アブド・エルサーレム(ムハンマド・アッサーフの父)
ナディーン・ラバキー(シャーディヤ)
アリ・ジャーベル(アリ・ジャーベル)
マイサ・アブ・エルハーディ(ヒバ)
ハニ・アブ・アサド(サミール)
ムハンマド・アッサーフ(本人)
ほか
あらすじ
長きにわたり紛争が絶えず、厳しい状況が続くパレスチナのガザ地区で暮らすムハンマド少年は、スター歌手になって世界を変えることを夢見ています。お手製の楽器を携え、姉のヌールや友人たちとバンドを組み、エジプトのカイロ・オペラハウスに出るという目標を掲げ、練習と資金稼ぎを兼ねて結婚パーティーで歌います。しかしヌールは重い腎臓病にかかり、治療費を工面できず、十分な治療を受けられないまま亡くなってしまいます。姉との約束を果たすため、ムハンマドは危険を承知で違法越境し、エジプトのオーディション番組「アラブ・アイドル」に出場しようとします・・・。
レビュー・解説
実話に基づく脚本と、無名俳優や素人の子役たちのパフォーマンスによる感動的なサクセス・ストーリーは、パレスチナの人々の生活と想い、人の心をひとつにするアラブ歌謡の魅力が込められた、ハニ・アブ・アサド監督の秀作です。
アラブ・アイドルで優勝し、一躍大スターになったムハンマド・アッサーフ(本人)
2013年のアラブ・アイドルで優勝し、アラブ諸国のスター歌手となったパレスチナ出身のムハンマド・アッサーフの実話に基づくドラマ映画です。子供の頃から歌が大好きだったアッサーフは、スター歌手になるという亡き姉との約束を果たす為、パレスチナとエジプトの国境を違法に越境、出場の為の整理券なしにアラブ・アイドルの予選会場に潜り込み、そこから優勝するまでに這い上がるという、まさに絵に描いたようなサクセス・ストーリーです。単純化の為に兄弟は姉一人という設定にしたり、困る人が出ないように違法パスポートで越境するプロットになっていますが、アッサーフ本人は「80%が実話で20%がフィクションだが、その20%があるからこそ重要な真実が伝わる」と語っています。
実話そのものが十分に感動的ですが、アサド監督はアッサーフの少年時代に映画の半分弱を費やし、結婚式を祝う人々の踊りや喧嘩、窃盗、お金がなくて腎臓移植ができないといった貧困など、パレスチナの人々の生活を浮き彫りするとともに、後半でアッサーフの活躍に熱狂、応援する彼らの想いを描いています。イスラエルとの争いの直接的な描写はなく、分離壁やガザ地区とエジプトを結ぶ地下トンネルなど、分断を象徴する状況描写を織り込むに留めており、アラブの心をひとつにするサクセスストーリーを中心に据えることにより、アサド監督は制作費の70%をアラブ圏から、5%をイギリスから引き出しています。
アッサーフの物語には2つの段階があります。希望と不屈の物語、そして成功の物語です。パレスチナではこの60年間、敗北の物語しかありません。勝利の物語もなければ、サッカーで勝てるチームもなく、1960年代の革命も失敗に終わりました。しかし今、我々パレスチナ人が待ちに待った、成功の物語を手にしたのです。興味深いのは、アッサーフの物語は、勝利の物語ということなのです。
誰しもが様々な障壁を乗り越えて生きている、その集約的なもので、一人の人間の成功体験ではあるけど、たくさんの人が喜びを分かち合うことができる。あの優勝したときの反応や、その時にみんなが感じた喜びは、ものすごく強烈でリアルなものなので、実際の記録映像を使いました。
アッサーフはアートを通じて自分を表現するという意味で自分に近いし、普通に人生を楽しみたいけれど、こういう状況下ではパレスチナの声を代表せざるをえないという点でも僕と同じです。(ハニ・アブ・アサド監督)
以前よりパレスチナ人による映画製作にこだわるアサド監督は、実際にガザ地区に住む子どもたちをキャスティングしています。ガザ地区の子供にこだわった為、許可されたのが撮影の4日前という準備もままならない状況でしたが、子供時代のムハンマドとヌールを演じたカイス・アタッラーとヒバ・アタッラーのパフォーマンスが素晴らしく、特にヒバはこの映画のポテンシャルを大きく高めています。また、屋内シーンの撮影は西岸地区で行っていますが、屋外シーンはガザ地区で撮影しており、セットではない本物の廃墟が映し出されます。ガザ地区にはここ二十年ほど映画のカメラが入ったことがなく、撮影スタッフはその悲惨な光景に言葉を失い、涙したと言います。本作はパレスチナ問題そのものを説明するものではありませんが、パレスチナの人々の暮らしや環境、そしてその想いを知ることができる作品です。
実際にガザ地区に住む子どもたちをキャスティング
ガザ地区では実際の廃墟も撮影された
映画にはパレスチナの想いも込められている
この映画のもう一つの魅力は、アラブ歌謡のもつ魅力の一端を垣間見ることできることです。我々がアラブ歌謡に触れる機会は極めて少いのですが、本作でアッサーフの歌に聞き入る人々、彼を熱狂的に応援する人々を見ていると、アラブ歌謡が人々に深く根ざしたものであることが感じられます。本作を観た後、YouTube でアッサーフが実際にアラブ・アイドルで歌ったシーンを観てみましたが、観客が総立ちで踊りだすほどの熱狂ぶりです。アラブ歌謡の多くは方言など日常的に使う言葉で歌われ、イスラム社会では歓迎されにくい色恋ものも少なくないという、大衆的な文化です。こぶしを効かせた歌唱法や哀愁をおびた旋律は、どこか日本の演歌と似たものがあるようにも聞こえます。アラブの音楽の旋律は西洋音楽とは異なる、オリエンタルなものなのだそうですが、旋律やその歌唱法にはどこか日本の演歌と同じ流れを汲むものがあるのかもしれません。
余談になりますが、本作をDVDで観る直前に、マンチェスターで行われたアリアナ・グランデのコンサート会場でイスラム過激派による自爆テロが起き、22人もの方が亡くなってしまいました。アリアナ・グランデは反トランプ、親移民、親イスラムとして知られていますが、彼女の露出の多いステージ衣装が標的にされたという説もあります。実は本作の中に、「歌は人々を堕落させる」といった意味のセリフがあったり、またアッサーフも入出国審査で「コーランの誦唱コンテストに参加する」と虚偽の目的を申告をするなど、戒律の厳しいイスラム社会の一面を感じさせる部分があり、ドキッとします。昨今、アラブ歌謡はヴィジュアルや衣装が先鋭化しており、今後アラブ圏でアラブ歌謡のコンサートがターゲットになる可能性もあるわけです(アラブ圏でもテロ事件は発生しており、コンサートは人が集まるので格好のターゲットになり得る)。
アサド監督がしつこく取り上げる分離壁はイスラエル政府が続発する自爆テロを防ぐ為に建設したものですが、こうした障壁を良しせず、難民を積極的に受け入れるヨーロッパでこの様なテロ事件が続発することは悲しいことです。さらにヨーロッパが受け入れた難民の一部が、支給品の代わりに現金を要求したり、暴力事件を起こしたりする現状を見ていると、分離壁 vs 難民受け入れといった二元論では解決できない問題の構造を感じます。
タウフィーク・バルフム(ムハンマド・アッサーフ)
当初、ムハンマド・アッサーフ本人を起用する予定だったが、表情、仕草など、意図的な感情表現を必要とする演技に難点があり、急遽、タウフィーク・バルフムが起用された。
カイス・アタッラー(子供時代のムハンマド・アッサーフ)
ヒバ・アタッラー(ヌール、ムハンマドの姉)
ヒバ・アタッラーは、本作の出演料でパレスチナからオランダに出国したと言われる。2016年にはミュンヘン映画祭を訪問、インタビューを受けている。
ナディーン・ラバキーは、レバノン出身の映画監督、女優。自ら監督、出演したレバノン映画「キャラメル」(2007年)などで知られる。
ハニ・アブ・アサド(サミール、ガザに住むプロモーター)
予定していた俳優が分離壁の検問でひっかかり、撮影時間の制約から、急遽、アサド監督自身がサミール役を演じた。彼は、自身が出演することを好まず、二度と出演したくないと言っているが、迫力の存在感を示している。
動画クリップ(YooTube)
- アラブ・アイドルでのムハンマド・アッサーフ本人のパフォーマンス
歌が本当にうまく、アラブ歌謡ファンならずとも引き込まれてしまう。会場の熱狂ぶりも凄い。
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