「帰ってきたヒトラー」:ドイツのタブーに挑戦、現代に蘇るヒトラーを描き、不満解決に利用しようとする社会を風刺する禁断のコメディ
「帰ってきたヒトラー」(原題:Er ist wieder da )は、2015年公開のドイツのコメディ映画です。ティムール・ヴェルメシュのベストセラー小説「帰ってきたヒットラー」を原作に、デヴィット・ヴェント監督・脚本、オリヴァー・マスッチ、実在の政治家や有名人、ネオナチなどの出演で、現代のドイツに蘇ったアドルフ・ヒトラーがモノマネ芸人としてテレビで人気者になっていく様を描いています。
目次
スタッフ・キャスト
監督:デヴィット・ヴェント
脚本:デヴィット・ヴェント
原作:ティムール・ヴェルメシュ「帰ってきたヒットラー」
出演:オリヴァー・マスッチ(アドルフ・ヒトラー)
ファビアン・ブッシュ(ファビアン・ザヴァツキ)
カッチャ・リーマン(カッチャ・ベリーニ)
クリストフ・マリア・ヘルプスト(ドクリストフ・ゼンゼンブリンク)
フランツィスカ・ウルフ(フランツィスカ・クレマイヤー)
ミヒャエル・ケスラー(ミヒャエル・ヴィツィヒマン)
ミヒャエル・オストロウスキ(リコ・マンチェロ)
ロマナ・クンツェ=リブノウ(ザヴァツキの母)
ラース・ルドルフ(キオスクの主人)
グドルーン・リッター(クレマイヤーの祖母)
ステファン・グロスマン(ゲッヒリヒター)
トーマス・ティーメ(テレビ局社長)
クリストフ・ツェマー(ゲアハルト・レムリッヒ)
マクシミリアン・ストレシク(ウルフ・ビルネ)
ニナ・プロール(ウーテ・カスラー)
クラース・ハウファー=ウムラウフ
ヨーコ・ヴィンターシャイト(本人役)
ダニエル・アミナチ(本人役)
イェルク・タデウツ(本人役)
ロベルト・ブランコ(本人役)
ミヒャエラ・シェーファー(本人役)
ダギ・ビー(本人役)
フレシュタージ(本人役)
ロベルト・ホフマン(本人役)
ヨイス・イルク(本人役)
フランク・プラスベルク(本人役)
ほか
あらすじ
- 2014年のベルリンに蘇ったヒトラー(オリヴァー・マスッチ)は、倒れ込んだところをキオスクの主人に助けられ、そのまま居候することになります。同じ頃、テレビ会社をリストラされたザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)は、撮影した映像にヒトラーそっくりの男が映り込んでいるのを発見、テレビ会社に復職する為にヒトラーと共にドイツ中を旅し、自主制作の動画を撮影します。ザヴァツキは撮影した動画を手土産にテレビ会社に復職し、ヒトラーはトーク番組へのゲスト出演が決定します。テレビに出演したヒトラーは、とんでもない演説を繰り出し、視聴者の度肝を抜きます。自信に満ちた演説はかつてのヒトラーを模した完成度の高い芸と見做され、過激な毒舌はユーモラスでありながら真理をついていると評判を呼び、ヒトラーは一躍人気者となります。しかし、局長の地位を狙う副局長のゼンゼンブリンク(クリストフ・マリア・ヘルプスト)は、ドイツ人にとってタブーである「ヒトラーネタ」で視聴率を集める局長のベリーニ(カッチャ・リーマン)を失脚させる為、ヒトラーのスキャンダルを探します。ゼンゼンブリンクはザヴァツキの撮影した動画の中からヒトラーが犬を射殺するシーンを見つけ出し、トーク番組で映像を公開させます。視聴者からの批判を受けたヒトラーは番組を降板させられ、彼を重用したベリーニもクビになります。
- ザヴァツキの家に居候することになったヒトラーは、自身の復活談を描いた「帰ってきたヒトラー」を出版します。「帰ってきたヒトラー」はベストセラーとなり、ザヴァツキとベリーニは映画化を企画します。一方、ヒトラーが降板したテレビ番組は視聴率が低迷し打ち切りが決まり、新局長となったゼンゼンブリンクは立て直すため映画製作への協力を申し出ます。映画製作が進む中、監督となったザヴァツキは恋人のクレマイヤーの家にヒトラーと共に招待されますが、ユダヤ人であるクレマイヤーの祖母がヒトラーを拒絶します。クレマイヤーがユダヤ人だと知った時のヒトラーの反応に疑念を頂いたザヴァツキは、ヒトラーが最初に現れた場所が総統地下壕跡地だったことに気付き、ヒトラーがモノマネ芸人ではなく本物の「アドルフ・ヒトラー」だと確信します・・・。
レビュー・解説
ドイツのタブーに挑戦、現代に蘇ったヒトラーを描き、ヒトラーを受容し、移民問題など人々の不満解決に利用しかねないドイツ社会を強烈に風刺、ドイツの右傾化、ポリコレの限界、ポピュリズムのリスクを訴える、ドイツ初のヒトラーを描いた禁断のコメディです。
チャップリンの「独裁者」(1940年)のように、これまでもヒトラーを描いたコメディはありましたが、ドイツ人自身がコメディで描いたのは初めてです。本作の話を初めて聞いた時に、「えっ、ドイツ人がヒトラーをコメディで描いていいの?」と思いました。というのは、ドイツ人にとってヒトラーはタブー中のタブーで、極悪人として描くことは許されても、コメディとして描くのはとんでもないことでは?と思ったのです。ナチス問題の中でも特にカリスマ的なヒトラーは別格で、ドイツ人にはヒトラーの本質とは?といった議論をする余地は、全くないのです。
原作者のティムール・ヴェルメシュは、「読者の反応を見る社会的実験」として書いたと言いますが、ドイツ国内外の業界の反応は冷たく、出版社は最低限の注意しか払わず、批評も否定的、アメリカの大手出版社はすべて出版を見送りました。ドイツのメディアは冷淡で、
- 信じられないほど退屈で、ちっとも面白くない
- 質の良い風刺ではなく、(過激ネタによる)単なる受け狙いだ
- 風刺して良いという事は、無理に風刺する、誰でも風刺できるという事ではない
- 今更、ヒトラーについて古臭いジョークで明らかにすることなどあるのか?
などど、厳しく評しました。比較的寛容だったイギリスの批評家たちも「一本調子で退屈」、アメリカの好意的な批評家も、「たいして毒もなく、古めかしく下手なジョークはユーモラスだが不穏だ」などと評するにとどまりました。
しかしドイツ国民は、こうしたタブー破りの本が出版されたことに自体に大騒ぎになります。「根本的に不謹慎」と、「いやこれは単なるコメディではない、実際読んでみるとなかなかイケてる」という意見に二分され、社会現象化、マスコミで討論特集が組まれるまでに至ります。原作の著者ティムール・ヴェルメシュはドイツのジャーナリスト、作家、翻訳家で、父親がハンガリー動乱失敗後の1956年にドイツへ逃れてきたハンガリー難民と、生粋のドイツ人ではありません。彼はドイツ内外の立場で物を見ることができ、歴史や心理の本質について知的洞察に優れるだけではなく、タブロイド紙の記者やゴーストライターの経験を通してドイツの知的産業の裏表を知り尽くしていました。そんな彼だからこそ、このタブー破りの作品を書くことができたという側面がありそうです。
我々はヒトラーを笑っているのではなく、ヒトラーと一緒になって笑っているのです。それはぞっとする感覚です。(ティムール・ヴェルメシュ)
そんな騒ぎの中で映画化されたのが本作ですが、実際に見てみると現代ドイツ人がヒトラーを受容するという強烈な風刺劇になっており、実に興味深い作品です。原作はヒトラーの一人称で書かれていますが、映画では周囲を含めた客観的状況を描いており、また単なるビジュアル版ではなく、原作のエッセンスを再構築した作品となっています。例えば、「現代のドイツ人が眼前のヒトラーをアイドル視する」という仮説が原作にありますが、映画ではそれを市民を相手に実地でリアルに検証、ドイツの右傾化に対して警鐘を鳴らすまで踏み込んでおり、社会が反移民など不満回避の拠り所としてのヒトラーを再発見して利用するという不気味さを強調しています。
ヒトラーとその考えが現代のドイツにおいて通用するか、市民相手に実地で試したが、残念ながら答えはイエスだった。
ドイツ人もヒットラーを怪物として見ることなしに、彼を笑うことはできる。それは、ホロコーストから目をそらし、彼がしたことへの責任から開放してくれる。しかし、笑いは引きつり、そんな自分に気づいて恥じることになる。(デヴィット・ヴェント監督)
このようにタブーを果敢に破ったことに加え、さらに本作の凄いものにしているは、トランプ氏の大統領選の勝利以降、日本の識者がしたり顔で唱え始めた「ポリコレ」(politically correct:性や人種などに関する政治的感覚を害する言動は慎むべきという考え)の限界を、いち早く予見していることです。例えば、移民問題に関する世界の動きを時系列に見てみると、
2012年 原作発表、ベストセラーになる
2015年10月 映画(本作)が公開される
2016年6月 イギリスの国民投票で反移民を唱えるEU離脱派が勝利する
(イギリス以外にも反移民勢力を背景にEU離脱を掲げかねない国が増加)
2016年11月 アメリカ大統領選で反移民を唱えるトランプ氏が勝利する
となりますが、欧米が抱える移民問題に関して、原作はかなり早い段階で「ポリコレの限界」を予見していたことになります。ヒトラーの禍々しい人種政策から70年以上もたち、世代交代が進んでいますが、いわゆるポリコレ的な表現に飽き飽きした世代はもっとも面白いものを求めていることを、原作者のヴェルメシュは1990年代から感じていたと言います。因みにこれは、東西ドイツの併合で当時の西ドイツが東ドイツの経済的な貧困を背負い込んだ時期です。そんな中で経済成長を続け、EUの屋台骨となり、さらには積極的に移民を受け入れてきたわけですが、勤勉で相互扶助の意識も決して低くないドイツも我慢の限界に近づきつつあるのかもしれません。
「マネー・ショート 華麗なる大逆転」(2015年)に「アメリカ人は経済危機があると移民と貧困層を責める」という下りがありますが、これはアメリカに限ったことではなく、ついこの間までグローバリズムに走っていた西側諸国が、手のひらを返したように反移民の保護主義へ方向転換しつつあります。悪いのは移民ではなく、それまでの政策に不備があっただけなのですが、移民を悪者にしつつあるドイツも例外ではなさそうです。
対岸の火事か?本当に恐いのはポピュリズム
欧米の移民や人種の問題を見て、「ほら見たことか」とか、「日本の文化を曲げてまでも移民や異人種を尊重する必要はない」という意見はどうかと思いますが、実際、移民がほとんどいない日本では、移民や人種の問題が顕在化していないのは事実です。決して日本人が賢いからというわけではないと思いますが、いずれにせよ、移民問題という点では、本作は対岸の火事です。また、右傾化に関しては、日本は「自衛」のあり方の見直しを問われてるものの、状況は本作と全く逆で、平和な時代に育った現役世代は「戦争放棄」というポリコレに不満を感じていないのが現状でしょう。この意味でも、本作は日本とは状況が違うと言えます。
しかし人々の不満とポピュリズムという視点で見ると、日本にも少なからずリスクがあります。移民よりも少子高齢化が大きなストレスである日本では、老害、シルバー・デモクラシーといった言葉が示唆するように、高齢者に対して否定的になりつつあり、政治家の生ぬるさに業を煮やし、高齢者の選挙権を奪えと言う過激な人さえいます。識者の中にも、高齢者層を「フリーライダー」と称し、けしかける人が出てきています(実験経済学によると、日本人は「フリーライダー」により厳しい)。少子高齢化を招いたのは政策の不備で、高齢者には罪はないと思うのですが、さしずめ「日本人は経済危機があると高齢者と社会弱者を責める」といったところでしょうか?今のところ、政府は「共存」の方向で四苦八苦していますが、今後、そうした論調が高まり、「共存」がポリコレ化すると、現役世代の不満を利用する「ヒトラー」が日本にも出てくるかもしれません。恐らく、そういうヒトラーなら歓迎だとか、別に構わないと言う人も多いかと思います。それが、本作が問題提起しているポピュリズムの怖さでしょう。真の民主主義は、各層の対立を煽ったり、特定の層に犠牲を強いることではなく、あくまでも共存を調整することにあるはずですが・・・。
オリヴァー・マスッチ(アドルフ・ヒトラー)
ファビアン・ブッシュ(ファビアン・ザヴァツキ)
カッチャ・リーマン(カッチャ・ベリーニ)
フランツィスカ・ウルフ(左、フランツィスカ・クレマイヤー)
撮影地(グーグルマップ)
関連作品
ティムール・ヴェルメシュ著「帰ってきたヒトラー」
「ヒトラー~最期の12日間~」(2004年)
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「グッバイ、レーニン!」(2007年)