「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」は、2015年公開のアメリカのドキュメンタリー映画です。マイケル・ムーア監督の六年ぶりの新作で、イタリア、フランス、フィンランド、チュニジア、スロヴェニア、ポルトガルなどを訪ねてアメリカの社会経済の歪の解決策を模索する旅行記です。
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目次
スタッフ・キャスト
あらすじ
数々の侵略戦争にもかかわらずアメリカはまったく良くならず、国防総省の幹部らは悩んだ挙句、政府の天敵である映画監督のマイケル・ムーアに相談します。幹部らの切実な話を聞いたムーアは国防総省に代わって自らが侵略者となり、世界各国へ出撃することを提案、大西洋を越えて一路ヨーロッパを目指します。侵略する国々と、手に入れるものは:
- イタリア:労働者の権利と福祉、有給休暇、有給の結婚休暇、13ヶ月目の月給、二時間の昼休み、育児休暇、ラルディーニの重役へのインタビュー、ドゥカティのクラディオ・ドメニカリへのインタビュー
- フランス:学校給食
- フィンランド:教育政策(ほとんど宿題がない、標準学力テストもない)、クリスタ・キウル教育大臣へのインタビュー
- スロヴェニア:無償高等教育、リュブリャナ大学のイワン・スヴェトリク学長へのインタビュー、ボルト・パホール大統領へのインタビュー
- ドイツ:労働者の権利とワークvsライフ・バランス、鉛筆製造会社ファブル・カステル訪問、ナチスドイツに関わる偽りのない歴史教育
- ポルトガル:メイデイ、ドラッグ政策、死刑廃止
- ノルウェイ:人道的収監システム、最小管理のバストイ刑務所、厳重管理のハルデン刑務所訪問、ウトヤ島テロ事件に対するノルウェイの反応
- チュニジア:生殖を含む女性の権利、妊娠中絶とチュニジア革命、2014年のチュニジア憲法
- アイスランド:力を持つ女性たち、世界初の民主的に選出された女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティルへのインタビュー、レイキャビク市のベスト党ジョン・カナール市長へのインタビュー、2008年ー2011年のアイスランド財務危機と銀行家の犯罪捜査と刑事訴追、オラフル・ハウクソン特別検察官へのインタビュー
- ドイツ:ベルリンの壁崩壊に参加した友人との再開
レビュー・解説
六年間ぶりの新作「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」は、アメリカが抱える社会や政治に関する問題をソフトにかつ老練に、しかしながら相変わらず精力的に臆面もなく一方的にアプローチする、コメディ・タッチのドキュメンタリーです。
コミカルな仕上がりを持つ作品で、最後までクスクス笑いながら見てしまいました。一口にアメリカと言っても、彼らの考え方は多種多様で、それらがダイナミックに動いているのですが、その中で忘れ去られているもの、ないがしろにされているものは少なくありません。本作の取材のテーマは多岐に渡り、アプローチも一面的ですが、
- フランスとアメリカの学校給食の比較
- 競争のためではなく、幸せの為に子どもたちに勉強を教えるフィンランド
- ドイツの監査役会への労働者の参加
- ノルウェイの犯罪者の取扱いと、テロで子供を失った親の犯人への思い
- アイスランド財務危機を招いた銀行家の刑事訴追(アメリカでは訴追されない)
- ・・・
など、目から鱗というものが少なくありません。当然、各々の国と総合的に比較してどうなのかという視点はありますが、本作の一連の断片的な比較でもアメリカという国の性格を知るには十分でしょう。
そうした比較から浮かび上がるアメリカ観、それはとりもなおさずムーア監督のアメリカ観でもありますが、非常に共感できるものです。例えば、アイスランドで彼がインタビューした女性CEOは、非常にシャープなアメリカ批判を行います。
ムーア監督:アメリカ人に対して二分間、好きに話せるとしたら何という?
女性CEO:・・・(考え込む)
ムーア監督:遠慮はいらない、真実を述べて。
女性CEO:ええ。たとえ、お金をもらってもアメリカには住まないわ。社会のあり方や国民の扱い方、隣人への接し方を見ると、住みたいとは思わない、御免だわ。同胞であるはずのアメリカ人を大切にしていない。よく平気でいられると、不思議でならないの。沢山の人達が食事もなく、病院にも行けず、教育も受けられずにいる。なのになぜ平気なのか、理解不能よ。
ムーア監督:平気じゃない・・・。
女性CEO:なら良かった。平気でいいはずはないわ。
ムーア監督が行く先々で見出す発見の多くは、かつてアメリカに存在したものでした。何故、アメリカはそれらを失ってしまったのか、ムーア監督は次のように語っています。
完全に道を見失った。過剰に進んだ資本主義社会の中で、欲に目が眩んで、かつて手にした民主主義を手放してしまったんだ。そしてそれは僕たちだけじゃない。多くの国が、目標にすべき道を見失っている。自分のミッションは「その道」を探ることにあると思っている。(マイケル・ムーア監督)
彼は経済のあり方(資本主義)と政治のあり方(民主主義)を混同しているという指摘もありますが、いずれにせよ、今のアメリカをよく捉えていると言えます。日本はそんなアメリカの影響を強く受け続けており、その価値観も
などと変化しつつあります。今更ながらかもしれませんが、自分たちに影響を与えているアメリカという国の個性が他国との比較によってこのようにあぶり出されてくるのは、非常に興味深いことです。
ドキュメンタリーは通常、中立の視点でアプローチし、判断を観客に任せることが多いのですが、マイケル・ムーアは彼が感じる疑問や問題点を徹底的に追求します。彼はGMの本拠地だったミシガン州の労働者階級の出身で、徹底した市民目線、本音ベースでの取材、しかも突撃取材という過激な方法で多くの人を惹きつけたと言えます。しかしながら、
を痛烈に批判し、いずれも映画としては大成功したものの、銃の所持は依然として合法であり、ブッシュは二期の任期を満了し、オバマ・ケアは保険会社と医薬品業界に骨抜きにされます。
さらにアメリカの資本主義を批判した「キャピタリズム〜マネーは踊る〜」(2009年)はリーマンショックという現実の大惨劇の後塵を拝してしまい、無力感に苛まれたマイケル・ムーア監督は、一時、引退を考えました。本作で見事に復活したわけですが、その理由について彼は次の様に語っています。
「これが僕の最後の作品になるかもしれない」と言ったその意図は、これ以上アメリカ人が何もしないのであれば、もう僕は少数派としてひとりで声高に訴え続けるつもりはないということだったんだ。ただ、それから2年経って、ウォール街の Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)や、黒人による Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)など、たくさんのデモ活動が行われ、何万人もの人が行動を起こした。つまり、僕はもはや少数派ではなく、多数派なんだと。僕はそれが非常に嬉しくて、多数派の一員としてもう一度行動を起こす必要があると思って、この映画を作るに至ったんだ。(マイケル・ムーア監督)
一方、鋭い視点と市民目線の一面的なアプローチは健在なものの、本作では突撃取材を含め、従来の攻撃的なスタイルは影を潜め、ソフトな語り口になっています。彼はアメリカの有り様に感じる怒りを破壊的なやり方で表現、映画としては成功しましたが、残念ながらそれが直接の契機になって何かが変わることはありませんでした。しかし、2004年にブッシュ大統領が禁止しようとした同性婚が2015年には連邦最高裁判所によって認められ、事実上、全米で同性婚が合法化されるなど、ベルリンの壁崩壊やネルソン・マンデラの釈放のように昔は考えられなかったことが実現し、世の中は確実に変わっていることに気づきました。また、2014年に最愛の父を亡くし大きな衝撃を受けた彼は世代の交代を意識、リスクを冒して一人で過激に突っ走るのではなく、デモや活動などの若い人たちの動きを彼独自の一市民の視点で発展させていく方向に自分自身を位置づけるなど、心境の変化があったようです。
これまでの作品では、批評家たちに「君の作品は問題提起ばかりで、解決策については何も言っていない」と言われてきた。だから、解決策だけを描いた2時間の映画を作ってやろうと思ったんだ。外国を「侵略」することで、アメリカに解決策をもたらす。
自分が少数派だという自覚はあるよ。実際にアメリカ人の70%はパスポートを持っていないし、外国に行ったことがない、だから世界の情勢に興味がないし、ほかの国の人たちがどんな生活をして何を考えているのか知らない。それだけ視野が狭いから「俺たちが一番で、俺たちが正義で、世界の中心だ」と思っている人は多い。でもそれは事実間違っているし、古い考え方だけじゃなく、独裁的で非常に危険な考えだ。でも僕の作品はアメリカの保守層にこそ、気に入ってもらえると思っているんだよ。なぜなら、僕はアメリカという国を愛しているし、なんとかよくしたいと思っているからね。(マイケル・ムーア監督)
痛烈なアイロニーとも表裏一体ですが、彼が何故、「侵略」という言葉を使ってこの映画をまとめたのか、その秘密がここにありそうです。
マイケル・ムーア監督とフランスの子どもたち
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マイケル・ムーア監督について
- マイケル・ムーアは、アメリカのジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督、テレビプロデューサー、テレビディレクター、政治活動家で、2002年の「ボウリング・フォー・コロンバイン」でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞、2004年の「華氏911」ではカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞しています。
- 彼はゼネラルモーターズの生産拠点の一つであったミシガン州フリントでアイルランド系の家庭に生まれました。母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は座り込みストライキで有名な自動車工労働組合創立者の一人でした。彼は1972年に高校を卒業、同年同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選、彼の任期中に校長と副校長が辞職しました。
- 大学を中退後、ジャーナリストを経て、1989年に生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画「ロジャー&ミー」で監督としてデビュー、アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材するスタイルが話題を呼びました。
- その後、「ジョン・キャンディの大進撃」(1994年)で常に外敵を必要とするアメリカ政治を笑い飛ばし、「ザ・ビッグ・ワン」(1997年)では「ロジャー&ミー」同様の方法で、国内の工場を海外移転、失業者を増やしながら利益をあげるグローバル企業の経営者たちを直撃取材しています。
- 1999年にはアメリカのロックバンドのPV撮影をニューヨーク証券取引所の前でゲリラ的に敢行、ニューヨーク市警察に逮捕され、ホワイトハウスのブラックリスト入りのきっかけとなりました。2000年以降、徹底したブッシュ批判を展開、2004年には「華氏911」を制作、公開します。2007年にはアメリカ政府当局の許可なしにキューバを訪問していたことが発覚し、財務省から捜査を受けます。
- 内部告発サイトウィキリークスを支持、全面支援を約束するとともに、2010年に拘留中のウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジの保釈金を提供しています。2011年には、ニューヨークのウォール街で行われたデモに関して、拠点の公園を訪れ激励しています。
関連作品
「ロジャー&ミー」(1989年)
「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年)
「華氏911」(2004年)
「キャピタリズム〜マネーは踊る〜」(2009年)
「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」(2015年)
「アホでマヌケなアメリカ白人」(2002年)
「華氏911の真実」(2004年)
「マイケル・ムーアへ―戦場から届いた107通の手紙」(2004年)
「どうするオバマ? 失せろブッシュ!」(2008年)
「マイケル・ムーア、語る。」(2013年)