「あの日のように抱きしめて」:ナチスドイツが残した傷を背景にパワフルな演出演技で描かれた、メロウでスリリングなサスペンス・ドラマ
「あの日のように抱きしめて」(原題:Phoenix)は、2014年公開のドイツのサスペンス&ドラマ映画です。1961年に発表されたフランスの小説家ユベール・モンテイエの「Le Retour des Cendres」(英題:The Return from the Ashes、邦題:帰らざる肉体)をモチーフに、クリスティアン・ペッツォルト監督・共同脚本、ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルトら出演で、第二次世界大戦終戦後のドイツを舞台に、アウシュヴィッツの強制収容所から生還、ひどく傷つけられた顔を手術で復元したユダヤ人女性と、彼女に気付かない夫の再会を通して、2人の心の傷と愛の行方を緊迫感たっぷりに描いています。
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目次
スタッフ・キャスト
監督:クリスティアン・ペッツォルト
脚本:クリスティアン・ペッツォルト/ハルン・ファロッキ
原作:ユベール・モンティエ「Le Retour des Cendres」
(英題:The Return from the Ashes、邦題:帰らざる肉体)
出演:ニーナ・ホス(ネリー・レンツ)
ロナルト・ツェアフェルト(ジョニー・レンツ)
ニーナ・クンツェンドルフ(レネ・ヴィンター)
ミシャエル・マールテンス(アーツト)
ほか
あらすじ
1945年6月、第二次世界大戦でドイツが降伏した翌月、ユダヤ人の歌手ネリー(ニーナ・ホス)は、親友レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に連れられて強制収容所からドイツへ戻ります。前年の10月に収容所へ送られ銃で顔をひどく傷つけられていたネリーは、手術を受けることになりますが、「別の顔に」という医師の勧めを断って元の顔に復元します。一方、レネは、ネリーと一緒にパレスチナに移住して、安心して住めるユダヤ人の国家の建国することを夢見ています。顔の傷が回復したネリーは、生き別れた夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)を探して過去を取り戻そうとしますが、ジョニーがネリーを裏切ったと信じるレネはそれに反対します。やがてネリーは、米兵相手のクラブで清掃員として働くジョニーと再会しますが、妻が死んだと信じて疑わないジョニーは、目の前に現れた女性が妻であることに気付かず、「妻を演じてほしい。そして、妻の財産を山分けしよう」と持ちかけます。自分に気付いてもらえないことを悲しみながらも、ネリーはジョニーの言葉に従います。やがて、自分が収容所に送られた原因が夫の裏切りであることを裏付ける証言を得ますが、ネリーは何か事情があったのだろうと良い方に考えようとします・・・。
レビュー・解説
アウシュビッツから生還、夫との昔のような生活を願う妻と、妻と気づかず妻の資産の詐取をもちかける夫を描く「あの日のように抱きしめて」は、ドイツの戦争の傷跡を背景にパワフルな演出・演技により作り込まれた、メロウで緊迫感溢れるフィルム・ノワール風サスペンス・ドラマです。
邦題の「あの日のように抱きしめて」から連想するよりはハードな内容です。原題「Phoenix」は、原作のタイトル「Le Retour des Cendres」(直訳すると「灰の復帰」の意味)由来で、灰から復活するという不死鳥に因み、アウシュビッツから生還するネリーを象徴するとともに、劇中に登場するキャバレーの名前にもなっています。
妻がアウシュビッツで死んだと信じて疑わない夫は、現れた女性が妻であることに気付かず、「妻を演じて欲しい、財産を山分けしよう」と持ちかけ、それに妻が乗る設定がスリリングです。当時の医療技術で元の顔にきれいに復元できるのかとか、目の前に自分の妻がいて気づかずにいられるのかといった疑問も、スリリングな展開と俳優の素晴らしいパフォーマンスを見ているうちにどこかに行ってしまいます。この設定は、1961年に発表されたフランスの小説家ユベール・モンテイエの「Le Retour des Cendres」(英題:The Return from the Ashes、邦題:帰らざる肉体)によるものですが、いざドイツでこれを映画化することは、簡単ではなかったようです。
常に政治的なスタンスを問われるドイツの映画人は、ホロコーストなどヒットラーが残した大きな汚点に神経質にならざるを得ません。原作であるユベール・モンテイエの「Le Retour des Cendres」の映画化に関して、クリスティアン・ペッツォルト監督は次の様に語っています。
この手のストーリー――いわば「めまい」と強制収容所の生還ストーリーをブレンドしたようなもの――は、フランスでしか語ることができないのか、そう僕たちは自問した。そしてドイツの戦後映画について考察した――なぜドイツでは、コメディーやジャンル・フィルムが作られないのか。僕たちは国家社会主義(ナチズム)によって作り出された深淵へと繰り返し繰り返し放り込まれてしまうんだ。数年後、僕は「東ベルリンから来た女」の制作を始めた。ニーナ・ホスとロナルト・ツェアフェルトが演じる恋人たちを見ているうちに、彼らを通してストーリーを語ることができるのでは、と考え始めた。それでもう一度試してみることにしたんだ。このストーリーを何とかしてドイツで語ることは可能なのか――もしできるとしたら、どうやって?と。(クリスティアン・ペッツォルト監督)
かくして、「東ベルリンから来た女」(2012年)のクリスティアン・ペッツォルト監督、ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルトの三人が、再び顔を合わせることになったのが本作です。ペッツォルト監督の脚本はシンプルで、関連するイメージや本を俳優に渡すことにより、映画を作り込んでいきます。そういう意味では、気心の知れたニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルトは強い味方です(ニーナ・ホスに限って言えば、ペッツォルト監督とのコラボは六度目)。
映画は、原作を踏まえた上で、
- フィルム・ノワールとして描く(ナチズムは国家犯罪、許容した国民も同罪)
- 映画で描かない部分も含めて、一貫したキャラクター像を作り込む
- 大まかな設定のみ取り込み、プロットをドイツの状況、心理に合ったものにする
ことにより、作り込まれています。
ドイツが犯した罪について、ペッツォルト監督は非常に厳しい考え方をしています。
リハーサルをしている時、ドイツの随筆家の自伝を読んだ。1933年、彼は20歳で法廷に立つための勉強をしていた。ヒットラーが選挙に勝って二日後、彼は法廷に座って弁護士のサポートをしていた。親衛隊が建物に入ってきて、ユダヤ人の弁護士を片っ端から殴り始めたんだ。殴られる音や、叫び声を聞きながら、「僕は今、トンネルの中にいる。外で起きていることは自分には関係ないことだ。僕は人を殴らない、だから僕に罪はない。僕はもはや、この社会の一部じゃないんだ。」と、彼は自分に言い聞かせるんだ。ジョニーも似たような立場かもしれない。でも、すぐにドアが開けられ、鉄の警棒を持った二人の親衛隊が犬とともに入って来る。「ユダヤ人か?」と聞かれて、彼は「ユダヤ人ではない」と答えるんだ。「これが私が罪を犯した瞬間だ」と、50年の後に彼は言うんだ。(クリスティアン・ペッツォルト監督)
また、ドイツは戦後に国として損害賠償は行っていますが、ナチスはドイツ自身にとっても心理的なトラウマであり、簡単には解放されないと、ペッツォルト監督は言います。
学生の時、心理学と哲学を2−3学期、勉強したんだ。フロイトをたくさん、読んだよ。興味深いと思ったのは、フロイトはトラウマは何度も見るもので、それを何度も繰り返すうちに、ようやくトラウマを破壊するんだ。ドイツもそうだよ。トラウマを繰り返し見て、破壊する、それでようやく、自由になって、罪の意識から解放されるんだ。(クリスティアン・ペッツォルト監督)
こうした厳しい視線の元、映画では必ずしも明確に描かれていない部分も含めて、ネリーとジョニーの人物設定は次のように設定されています。
【ネリーの人物設定】
- 収容所に送られる前は歌手だった。
- 収容所では、以前の生活の戻ることを夢見ていた。
- 収容所から生還、新たな人生ではなく、過去の生活に戻る為、以前の顔に復元する。
- 復元後のネリーは生まれ変わったかのように純粋だが、やがて厳しい現実を学んでいく。
- 住んでいた家は破壊されていたが、夫と昔のような生活を再構築したいと考える。
- 自分に気づいてくれないジョニーに付き合い、彼の心の鎧が解けるのを待つ。
【ジョニーの人物設定】
- 妻が収容所に送られる前はピアニストだったが、今はキャバレーの清掃員。
- 妻を収容所送りから守りきれなかったのは彼の罪だが、彼にとっては忘れてしまいたいトラウマである。
- 妻の資産を得て、嫌な思い出の残るドイツから去りたいと思っている。
- 妻は収容所で死んだと思っており、妻であることに気遣けない(自己防衛の心理が働き、妻かもしれないと思えない)。
練られた人物像や心理は、時に象徴的に表現されています。ネリーが手術の際に、新しい顔に再建するか、以前の顔に復元するか、選択する場面がありますが、これは未来、過去のいずれを取るか、彼女の生き方の選択を象徴しています。
非常にシビアな背景を持つ映画ですが、こうした二人の異なる思いが果たして交わるのかスリリングであり、さらに夫との生活を夢見るネリーを演じるニーナ・ホスの卓越したパフォーマンスと、効果的に使われるジャズのスタンダードナンバー「スピーク・ロー」が、甘く、切なく、メロウな味わいを醸し出す、類を見ない映画になっているのは、まさにペッツォルト監督らスタッフ・キャストの見事な技です。
私の映画の登場人物は、家のような場所、あるいは愛や音楽のように感動的なものを求めて、仮の場所をさまよっています。それはドイツの歴史そのものだと思います。
ドイツには、歌がありません。ワールド・カップに勝っても歌う歌がないのです。ナチスがすべて破壊してしまいました。あるのは60年代のポップスだけです。でも、これらはドイルを去るや我々が寂しいことを歌うものばかりです。ドイツを去りたいという気持ちが、深く根付いていると思います。(クリスティアン・ペッツォルト監督)
因みに、ドイツ国歌はハイドンが作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」に由来する由緒あるものですが、「すべてのものの上にあれ」、「ドイツの忠誠」といった歌詞がある1番と2番は、第二次大戦以降、国歌として認められていません。一方、イギリスの国歌に準ずる曲で「威風堂々」のメロディに乗せて歌われる「希望と栄光の国」には「領土を拡大し、より強大に」といった勇壮な歌詞があり、これはサッカーの試合などでもよく歌われます。ペッツォルト監督が言うところの、「ワールド・カップに勝っても歌う歌がない」というのは、イギリスのように国を誇る歌を歌えないという意味でしょう。
<オチバレ>
ジョニーの伴奏でネリーが「スピーク・ロウ」を歌うエンディングが、かつて見たことがないほど秀逸です。「スピーク・ロウ」は、「時の流れは早く、恋はあまりに短い、早く愛の言葉を囁いて」という歌なのですが、ネリー本人の歌声と腕に残る収容所の囚人番号に動揺したジョニーは、伴奏を続けられなくなります。ネリーがちょうど、「明日は近い、もうここにある」という歌詞にさしかかるところです。以降、彼女は無伴奏で続けます。そして最後の歌詞、「私は待つ」で彼女は歌うのを止めて、じっと待ちます。もし、ここでジョニーが伴奏を再開すれば、「愛していると言って」と続けて歌を終えることができます。でもジョニーは再開できません。ネリーは、ジョニーと演奏を聴いていた友人たちを残して、一人、部屋を後にします。歌詞にシンクロさせた、あまりにも美しく悲しい、見事なエンディングです。
ペッツォルト監督は、当初、
- ネリーが持っていた短銃で自殺
- 衝動的な殺人
- 和解
などの可能性を考えたものの、ネリーは結局これらのいずれとも異なる選択をするといいます。彼は観客に自由な解釈の余地を残しながら、恐らくは彼自身の想定である、
という含みを残したのではないかと思われます。
<オチバレ終わり>
ニーナ・ホス(ネリー・レンツ)
ロナルト・ツェアフェルト(ジョニー・レンツ)
ニーナ・クンツェンドルフ(レネ・ヴィンター)
ベルリンの自宅は廃墟になっていた
ジョニーが清掃員として働いていたキャバレー
サウンドトラック
- 「スピーク・ロウ」 iTunesで聴く*2
カート・ウィエイル作曲、オーゲン・ナッシュ作曲 - 「夜も昼も」
コール・ポーター作曲、ミュージカル「コンチネンタル」(1932年)より - 「Berlin im Licht」
カート・ウィエイル作曲
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余談:非難を浴びたワールドサッカーのドイツ代表チーム
余談になりますが、2014年のワールドサッカーでドイツ・チームが優勝した際に、ドイツ代表が優勝セレモニーで踊ったダンスが、南米などドイツ内外のメディアに人種差別だと叩かれたことがあります。
So gehn die Gauchos, die Gauchos gehen so,
So gehn die Deutschen , die Deutschen gehen so.
ガウチョはこう歩く、ガウチョはこう歩く
ドイツ人はこう歩く、ドイツ人はこう歩く
と歌っています。ガウチョは、元来、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部やアンデス山脈東部に17世紀から19世紀にかけて居住していたスペイン人と先住民との混血住民を指しますが、現在ではこの地域の住民が誇りをこめてガウチョを自称しています。ドイツチームはこれを猿に見立て人種差別のダンスを踊ったとして騒がれたのです。
因みに、この踊りは彼らのオリジナルではなく、
XX(負けたチームの名前や土地の人々の名前)はこう歩く、
YY(勝ったチームの名前や土地の人々の名前)はこう歩く
と歌う、以前からあるサポーターの踊りです。XXとYYの部分にガウチョとドイツ人を入れただけなのですが、ドイツ代表チームが祝勝セレモニーといういわば、国民的な行事でこれを踊った為に、ナチスによる人種差別政策というドイツの汚点に結び付けられてしまったのです。ここを突かれるとドイツ人はグウの音も出ません。彼らが踊ったダンスは、「歌う歌がない」ドイツの軽はずみな選択だったのかもしれません。
関連作品
「あの日のように抱きしめて」の原作本(Amzon)
クリスティアン・ペッツォルト監督 x ニーナ・ホス x ロナルト・ツェアフェルトの
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ニーナ・ホス出演作品のDVD(Amazon)
「素粒子」(2006年)
「誰よりも狙われた男」(2013年)
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「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(2015年)
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