「アフガン零年」:タリバン政権下でイスラムの戒律に翻弄される少女の運命を描く
「アフガン零年」(原題:Osama) は2003年公開のアフガニスタン、日本、アイルランド、イラン、オランダ合作のドラマ映画です。セディク・バルマク監督によるアフガニスタン復興後初の映画で、女性の自由を奪うタリバン政権下で仕事を得るために男装する少女の運命を描いています。カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール賞、ゴールデングローブ賞で外国語映画賞を受賞した作品です。
目次
スタッフ・キャスト
監督:セディク・バルマク
脚本:セディク・バルマク
出演:マリナ・ゴルバハーリ(オサマ)
モハマド・アリフ・ヘラーティ(お香屋の少年)
ほか
あらすじ
イスラムの戒律を厳格に適用するアフガニスタンのタリバン政権下では、女性は身内の男性の同伴なしには外出できませんでした。生計を支えるべき男たちを全員戦争で失い、祖母と母親、そして12歳の少女の3人になってしまった一家は、外出も出来ず、生活の糧を失います。母親は仕方なく少女を男の子に変装させて働かせることにし、おさげ髪を切り少年の姿にして亡き父の戦友だった牛乳屋に働きに出します。「ばれたら、タリバンに殺される」と泣く少女を、祖母は「虹をくぐると少年は少女に、少女は少年に変わり、悩みが消える」という昔話でなだめますが、怯える少女にとっては通りを歩くことさえ大きな恐怖でした。ある日、街のすべての少年がタリバンの宗教学校に召集され、少女もそこへ連行されます。やがてまわりの少年達が「女だろう」と怪しみます。「男なら名前は何という?」と少年達に囃し立てられる少女に、「こいつの名前はオサマだ。」とお香屋の少年が助け舟を出しますが、騒ぎに気づいたタリバン兵が少女を井戸に吊るし、罰を加えます。やがて少女に初潮が訪れ、少女の足下を赤い血が伝い、少女であることが暴かれます。強引にブルカを被せられ、牢獄に入れられた少女は、宗教裁判の場に引きずり出されます・・・。
レビュー・解説
ひとりの少女をめぐる事件を通して、タリバン政権下のアフガニスタンを描いた映画です。俳優ではなく、監督が一般の人々の中から見つけたという出演者は、ドキュメンタリーにも似たリアルな臨場感を醸し出しています。主人公の少女を演じるのは、バルマク監督が3,400人の中から選んだというマリナ・ゴルバハーリで、内戦が激しかった時代に、家と二人の姉を亡くしてカブールに移り住み、脚が不自由な父と乳飲み子を抱える母親に代わって、幼い弟とともに路上で物乞いをして生き延びてきた少女です。
セディク・バルマク監督は、映画を作る事も観る事も禁じられたタリバン政権下のアフガニスタンを逃れてパキスタンに亡命した映画製作者で、「学校へ行く為に髪を切り、少年になったアフガンの少女」という、亡命中に読んだ新聞記事を元に脚本を書き、これがアフガニスタン復興後初の監督作品となりました。
当初、この映画は祖母が少女に話し聞かせる昔話に因む「虹」というタイトルで、監督は脚本通り、少女が虹をくぐり、自由と希望に向かうラストシーンを撮影しました。しかしながら、戦時を思い出し涙の止まらないマリナを繰り返し見た監督は、「アフガニスタンの悲劇はまだ終わっていない。今虹を書くのは嘘になる。」と虹のシーンを全てカット、新たなラストシーンに変えました。
<ネタバレ>
エンディングで、12歳の少女は嫁入りします。預言者ムハンマドは53歳のとき6歳の女児アーイシャと結婚し、彼女が9歳のときに結婚を完成させました(セックスを遂行)。そのため保守的イスラムでは、9歳以上の女児との結婚・セックスも合法であり、この映画のエンディングのような行為もそのような社会では問題ないとみなされています。
<ネタバレおわり>
タリバンは、パキスタンとアフガニスタンのイスラム主義運動で、1996年から2001年までアフガニスタンの大部分を実効支配しました。タリバンは、内戦が続くアフガニスタンで、1994年頃から台頭し始めました。当時、アフガンの住民たちは、長年の内戦と無法状態、軍閥による暴行、略奪に絶望しており、マドラサと呼ばれるイスラム神学校の学生達が中心となったタリバンが、腐敗した軍閥を追い散らし、治安と秩序を回復した為、住民たちは当初、これを歓迎しました。しかしその後、タリバンがイスラム教の戒律を厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子教育の禁止などを強制するにしたがって、住民たちは失望します 。「アフガン零年」はこの頃のアフガニスタンを舞台に描いています。
その後、2001年10月に、アメリカ同時多発テロを受けて、アルカイダを匿うタリバン政権に対してNATOが自衛権発動を宣言、アメリカ軍が空爆を開始、イギリスも参加します。北部同盟も地上における攻撃を開始、11月にカーブルを無血で奪還、12月には、暫定政権協定の調印が実現し、タリバン政権が崩壊します。さらにその後、アフガニスタン・イスラム共和国という、共和制・大統領制の立憲国家が成立しますが、依然としてイスラム国家の色彩が濃いと言われています。信条の自由などはイスラム法に反するものとされ、背教罪や冒涜罪によって罪となることがあり、タリバン政権崩壊後に廃止された宗教警察が、巡礼・宗教問題省の名で復活しています。また、政府高官や公務員による汚職が急増、アフガン国民が失望、タリバンを頼るようになり、その復活の一因となっているとも言われています。現在、アフガニスタンにはタリバン、アルカイダ、そして ISIS のイスラム過激派テロ組織が存在しますが、 ISIS はタリバンとアルカイダからの離反を誘い、勢力を広げていると言われています。
イスラム過激派が勢力を伸ばす貧困地域には、
- 政治の腐敗
- →イスラム教の戒律の厳格な適用
- →厳格な戒律への反発
- →政治の腐敗・・・
というサイクルが働いているように見受けられます。政教一致している限り、避けられないサイクルなのかもしれません。第三国が問題に介入したとしても、世俗主義的恩恵、即ち
- 宗教以外の現実的な手段による生活の改善
- 科学技術の恩恵
- 宗教的慣習に囚われない善行の報賞
をこれらの国の人々が実感しなければ、政教分離の力が働かず、元の木阿弥になってしまう可能性があります。
女性の権利など、イスラム社会については数多くの議論がなされていますが、これらの国々は、西側社会で言えば政教分離が確立したフランス革命以前の状態にあると言えます。現在、キリスト教徒の人口が約21億7千万人、イスラム教徒は約16億人ですが、イスラム教徒が住む地域の出生率が高いことなどから、50年になるとイスラム教徒とキリスト教徒はほぼ同数に、100年までにはイスラム教は世界最大の宗教になると言われています。果たしてイスラム圏で政教分離が進むのか、人権思想が浸透するのか、今後の世界平和の大きな課題のひとつかもしれません。
マリナ・ゴルバハーリ(オサマ)
関連作品
「マルコムX」(1992年)
「パラダイス・ナウ」(2005年)
「ペルセポリス」(2007年)
「壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び」(2011年)
「裸足の季節」(2015年)
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