夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「わたしは、ダニエル・ブレイク」:高齢の失業者が直面する苦難を通して、資本主義下の管理社会における人間性の欠如をリアルに訴える

わたしは、ダニエル・ブレイク」(原題:I, Daniel Blake)は、2016年公開のイギリス・フランス・ベルギー合作の社会派ドラマ映画です。ケン・ローチ監督、ポール・ラヴァーティ脚本、デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズで出演で、心臓病により医師から仕事を止められるが、複雑な制度に翻弄され政府の支援を受けられない男が、シングル・マザーの家族と交流を深め、支え合いながらも次第に追い詰められていく姿を描いています。第69回カンヌ国際映画祭で、ケン・ローチ監督が二度目のパルム・ドールを受賞した作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
出演:デイヴ・ジョーンズ(ダニエル・ブレイク)
   ヘイリー・スクワイアーズ(ケイティ・モーガン
   ディラン・マキアナン(ディラン・モーガン
   ブリアナ・シャン(デイジーモーガン
   ほか

あらすじ

イングランド北東部にある町ニューカッスルに住む59歳の大工のダニエル・ブレイクは、心臓に病が見つかり、医師から仕事を止められてしまいます。しかも複雑な制度に翻弄され、国の援助を受けられません。そんな中、ダニエルは二人の子供を抱えるシングルマザーのケイティを助けます。それをきっかけに彼女たちと交流、助け合いながら絆を深めていきますが、厳しい現実を前に次第に追い詰められていきます・・・。

レビュー・解説

高齢の失業者やシングル・マザーを苦難を通して、資本主義社会における人間性の欠如をリアルかつシンプルの訴える、半世紀の間、労働者視点で描き続けたケン・ローチ監督の集大成とも言える作品です。

 

半世紀の間、労働者を描き続けてきたケン・ローチ監督の集大成

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本作について 

SWEET SIXTEEN」(2002年)のように若者を題材にすることが多いケン・ローチ監督ですが、本作では高齢者の窮状に着目しています。ダニエルは40年の経験を持つ、熟練の建具工で、建設現場で働いたり、小さな建設業者に雇われたり、臨時の大工として働いています。妻を亡くし、自分自身も心臓発作で倒れ、医師から働くことを止められて、政府から雇用・生活補助手当を受けようとしますが、「就労可能」と評価されてしまいます。もともと快活で、ユーモアがあり、なかなか内面を見せようとしないダニエルが、そんな皮肉に満ちた状況を彼がいかに生き抜こうとするかを、本作は描いています。そんなダニエルが救いの手を差し伸べるケイティは、二人の幼い子供を抱えたシングルマザーです。ロンドンのホームレスの宿泊施設で生活していましたが、自治体から北部のニューカッスルにある安いアパートを紹介されます。彼女の住宅手当で家賃をまかなえ、自治体が不足分を負担しなくても済む為です。彼女には仕事が必要でしたが、制度の落とし穴にはまり、問題を抱えることになります。遠く離れた家族の援助も得られず、お金も尽きてしまったケイティは、子供の為に何とかして生き抜くことが、最大の責務だと考えます。

 

ダニエルを演じたデイヴ・ジョーンズは、英国では比較的、知られたコメディアンです。ダニエルの設定と同じ、ニューカッスル出身者に演じて欲しいと思っていたローチ監督は、60歳前後で労働者階級出身、当地の訛が話せて大工が似合う人という条件で、俳優、コメディアン、歌手などから広く探しましたが、父親が実際に大工だったというデイヴはその条件にぴったりでした。彼の様な昔ながらのコメディアンは労働者階級の経験を持っている人が多く、そもそもコメディというのは労働者階級の経験から生まれたもので、苦しみからネタが生まれ、生き抜くことの滑稽さを揶揄するものです。コメディアンには独特の声と個性と絶妙な間がありますが、デイヴはそれらすべてを備えていました。ケイティを演じたヘイリー・スクワイアーズは演劇人で、脚本家でもあります。とても明るくて、知的で、この役を完全に理解していたと言います。彼女自身、ロンドンの労働者階級出身で、そのことをとても誇りにしており、常に正直で、いつどんな時でも自分や自分の言ったことを決して曲げないと言います。まだ、二十代後半ですが、彼女の圧倒的な存在感は、そうした姿勢から来るものと思われます。

 

本作は、

  • イギリスの失業者に立ちはだかる制裁処置、官僚的なお役所仕事
  • 限られた給付で食べ物か、暖かい部屋のいずれかを選択しなければならない人々
  • 病気にもかかわらず、給付を受けるためにジョブセンターに出頭し、倒れた男性
  • 制裁処置の為、生活保護を失い、生きていけない人たち、屈辱のあまり自殺する人たち
  • フードバンクでの食料の給付(実際にフードバンクで働いている人と利用者が出演している)
  • 中国のネット仲間から小包でスニーカーを手に入れ、転売して稼ぐ話
  • 貧しい女性による売春

など、実際にあった話を元に構成されています。すべて、ローチ監督と脚本のポール・ラヴァーティが実際に人々の話を聞いてまとめ上げたものですが、あまりにもたくさんのエピソードがあったので、取捨選択するのは大変だったと言います。こうしたリアルな題材を扱うローチ監督は、脚本やキャラクターについて、事前に説明したり、アドバイスしたりすることはありません。脚本もその日に必要な分を、必要な人にしか渡さず、たいていの場合、俳優は次に何が起こるのかを知らないまま撮影に臨むと言います。キャラクターの立場に立たされた俳優自身が「自分がこの状況にいたら?」と考えざるを得なくなりますが、こうした演出法がドキュメンタリー・タッチのリアルでスリリングなドラマを生み出しています。

 

また、失業を描いた最近の映画、「マイレージ、マイライフ」(2009年)、「サンドラの週末」(2014年)、「ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015年)などと比較してみると、社会性や人間性に重んじるローチ監督の作風が浮かび上がってきます。例えば「マイレージ、マイライフ」(2009年)はアメリカ映画らしく、失業は社会の必要悪といった印象で、疑問が入り込む余地が全くありません。「サンドラの週末」や「ティエリー・トグルドーの憂鬱」は、ベクトルが失業者自身に向かう内向きな印象です。「ティエリー・トグルドーの憂鬱」はスーパーの警備の仕事の冷酷さを描いていますが、本作ではスーパーの警備員が売春組織と通じており、お金に困って万引きを働いた女性を許して泳がし、後に自分から助けを求めてくるのを待ち構えるように描いているのが対照的です。受け皿の売春組織も困った女性にしきりに「力になる」と連発し、官僚的で行き届かない政府を補うかのように、犯罪組織が一種、暖かいように描かれているのです。もちろん、これは正しいことではありませんが、自らも困っているダニエルがケイティを助ける事と並んで、ローチ監督が人間的な暖かさに重きを置いていることがわかります。

ケン・ローチ監督について 

ローチ監督(1936年〜) は、イングランド生まれの映画監督・脚本家で、一貫して労働者階級に焦点を当てた作品を製作し続けています。1967年に映画監督デビュー、第二作目の「ケス」(1969年)で英国アカデミー賞作品賞と監督賞にノミネートされますが、社会問題への市民の関心の低さや政治的な検閲が原因となり、1970年代から1980年代にかけて長い不遇時代を過ごします。1979年にサッチャー首相率いる保守党政権が誕生、イギリスの不況の長期化と企業淘汰による失業率の高止まり、格差の拡大を生み出す中、1990年代に入ってローチ監督は労働者階級や移民を描いた作品を立て続けに発表します。「ブラック・アジェンダ/隠された真相」(1990年)と「レイニング・ストーンズ」(1993年)がカンヌ国際映画祭審査員賞、「リフ・ラフ」(1991年)と「大地と自由」(1995年)がヨーロッパ映画賞作品賞を受賞し、国際的に評価されるようになり、第59回カンヌ国際映画祭に出品された「麦の穂をゆらす風」(2006年)で、69歳、13回目の出品で初のパルム・ドールを受賞、さらに2016年、第69回カンヌ国際映画祭で、本作で二度目のパルムドールを受賞しています。五十年にもわたり、一貫した姿勢で作品を描いていることに関して、ローチ監督は次の様に語っています。

駆け出しの頃はたくさんのことを学びました。若い頃はたくさん学習し、様々な影響を受けながら、自分の仕事のやり方を見つけていくものでしょう。私は誰のために働いてきたか、それはずっと変わっていないと思いたいです。「どちら側に付くのか?」という古くからの難しい問いに、「私は常に同じ側にいる」と答えるようでありたいです。(ケン・ローチ監督)
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/kenloach/index.html

一方、五十年の間、見つめてきた政治については、次のように語っています。

私が作品を作り始めたころは、公的なベネフィットのために一緒に力をあわせていこうという意識が高く、サッチャー政権になってそれが大企業の利益のためにシフトしてしまいました。つまり、みんなのためにという考えから、私欲に意識が向くようになりました。今は企業家が讃えられるようになり、みんなのベネフィットのために働く人達が尊敬されにくくなってしまいました。雇用に関しても、かつては皆安定した雇用があり、自分と家族を養っていくだけの安定した収入もありましたが、派遣やバイトのような形で安定しない形で仕事をさせられるケースが多いです。会社が必要としなければ、前触れなく雇用を切られてしまうこともあります。それから公益サービスに関しても、どんどん減少してきていて、そのかわり民間の会社が厚生、健康のサービスを提供するようになりました。この50年の間に、医学やテクノロジーなどの面では良くなった面は確実にありますが、社会全体では芳しいとは言えません。(ケン・ローチ監督)
https://www.huffingtonpost.jp/hotaka-sugimoto/daniel-blake-movie_b_15346296.html

政治的見解

ソビエト連邦の崩壊以降、資本主義 vs 共産主義社会主義)のイデオロギー対決の軍配は資本主義に上がったかの観が強いのですが、ローチ監督の一貫した姿勢は、資本主義が万能ではないことを実感させてくれます。本作に関するインタビュー記事をざっと読んでみたのですが、長年、この問題を扱ってきた彼の発言には、含蓄があります。

求職者に立ちふさがる制裁処置
今日の職業安定所(ジョブセンター・プラス)は国民を助けるために存在するというよりは、むしろ人の行く手を阻むために障害物を置くのが仕事かのようです。ジョブコーチと呼ばれる人たちは、仕事を一緒に探すのが職務のはずなのに、今や求人情報を伝えることを制約されています。求職者との面談で制裁措置を下さなければならず、十分な件数をクリアできない職員は、「業務改善計画」を課せられます。ジョージ・オーウェル的ですよね?これらはすべて、職業安定所の職員や労働組合のPCSで活動している雇用年金省の役人から聞いたことです。証拠は豊富にあります。制裁制度のせいで、自分の収入では暮らしていけない人たちが出てくるためにフードバンクが必要になるのです。政府はフードバンクの存在に非常に満足しているようで、貧困対策の一環としてイギリスでもてはやされています。一体、どんな国を築こうというのでしょうか?

死に物狂いで助けを求めている人々に対する官僚的な手続きは残忍
死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助をしているか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。政治的な武器として煩雑な手続きを用意して、故意に非能率的にしているのです。「働かないとこうなる。仕事を見つけないなら苦しむしかない」と言っているようなものです。

役所の煩雑な手続きは喜劇的だが、残酷さと悲劇が見えてくる
役所の煩雑な手続きにはイライラするし、何とかやり遂げようとする姿は、もはや質の悪いコメディです。明らかにばかげているし、気が狂いそうになる。机を挟んで、もしくは電話越しにやり取りを交わす両者の行間を読み解いてみてください。喜劇的な要素と共に残酷さも見えてきて、最終的には悲劇的な要素が見えてくるでしょう。「貧しい者は自らの貧しさの責めを負うべし」というのは、支配階級の権力を守る言葉です。

自由市場はわたしたちを殺す
真のポリティカル・コレクトネスとは自由市場に楯突かないこと、などと言う人がいます。私たちを殺しつつあるのが自由市場なのに、それを指摘するのは「政治的に正しくない」のです。誰も口に出さなくとも、この映画が証明しています。自由市場は私たちを殺す、私たちはそれを変えなければならない、ということを。

不平等の拡大は神の御業ではない
不平等が拡大しているのは、神の御業ではなく、経済システムの仕組みがそうなっているからなのです。大企業を経営する人々は安い労働力を求めています。そして、もっとも安価に雇える労働者に仕事を与えます。当然、貧困は増加します。さらに企業は新しいテクノロジーを取り入れるので、人間の仕事はさらに無くなっていきます。それほど多くの労働者は必要ないので、ますます失業者が増えて、格差も広がるのです。

飢えや貧困を利用して労働階級を働かせ、富裕層は私腹を肥やす
(本作は)広範な問題を含んでいると思います。古くは救貧法に見られる、貧民に何を与え、何を与えないかという考えにまで遡ります。労働階級は貧困の恐怖に駆り立てられて働き、富裕層はさらに私腹を肥やしていきます。政策を制定する際には、国民がやけになって低い賃金や不安定な職でも受け入れるように、意図的に飢えや貧困を利用してきました。貧民は自らの貧しさの責めを負ってきたのです。こういったことは、ヨーロッパにとどまらず他の国でも見られます。

資本主義下の政府は、労働者階級を今いる場所に留まらせる
先進工業諸国ならどこでも、(本作で描いたとの)似た問題に苦しんでいるのではないでしょうか。政治的には、資本主義経済を支持する政府を持つ国々は、労働者階級を今いる場所に留まらせる手段を編み出します。貧しく、助けが必要な人々を痛めつけるシステムがその一例です。(ケン・ローチ監督)
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/kenloach/index.html
https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/ken-loach/1000001279
http://www.webdice.jp/dice/detail/5372/

 

「映画というのはひとつの小さな声にすぎず、決して政治的なムーブメントではないし、そうしたくもない」と言うローチ監督ですが、社会のあるべき姿へのヴィジョンは明確です。

問うべきは、「では私たちはどう行動するのか?」
市場経済が、容赦なく私たちをこの惨劇へと導いたのです。簡単に搾取されてしまう、か弱い労働者階級を生み出しました。遅かれ早かれこうなったでしょう。彼らは、生きるためにもがき苦しみ、貧困に直面しています。制度の過ちでしょうか、人間の過ちでしょうか。制度を変えようとしていない以上、これは人間の過ちと言わざるを得ません。振り返ってみると、今起きていることに驚くこともないでしょう。ただ一つ問うべきなのは、「では私たちはどう行動するのか?」ということです。

労働者階級が行動を起こさなければ問題は解決しない
映画は現実を変えることはできません。しかし、映画は、書籍、新聞、テレビ番組と同じように、変化を起こそうとする人達を力づけることはできます。本作に描かれているような状況を変えられるのは、労働者階級の組織だけです。私達が求めているのは抜本的な変化であり、その解決法は富裕層からは生まれてこないでしょう。底辺の労働者階級が行動を起こさなければならないのです。そして、彼らは映画や本や歌に励まされて組織を結成し、くじけることなく、信念を保ち続けることはできると思います。

共同所有権、民主的なコントロール、計画的な経済が鍵
格差を解消する唯一の方法は、計画的な生産です。家庭内で、食事が終わったら誰かが皿洗いをするように、皆で仕事をシェアするのです。皿洗いは奴隷にやらせて、他の人はただ座って見ている、ということでは駄目なのです。経済も同じで、みんなでシェアしなければいけないのです。生産や移動の手段、銀行など、何でも共同で所有する必要があると思います。共同で所有し、計画を立てるのです。現在のシステムが続く限り、大企業は過剰に生産し続け、化石燃料を燃やし続け、地球の資源を搾取し続けます。結果として、数世代のうちに私達は悲鳴を上げることになるでしょう。環境を守るには計画するしかありませんし、計画するには共同で所有する必要があるのです。ですから私は、共同所有権、民主的なコントロール、計画的な経済が鍵だと思います。地球上で安全に暮らすには、それしかありません。(ケン・ローチ監督)
http://www.webdice.jp/dice/detail/5372/
https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/ken-loach/1000001279

市場原理主義は、社会的、人間的にベストではない 

日本はもともと社会主義的性格が強かったと言われていますが、昨今はアメリカの影響が強く、市場原理主義の波に洗われつつあります。均質文化が災いしているのか、市場原理主義がもっともらしいとなると、全ての点のおいて社会主義より優れていると日本人は錯覚しがちです。しかしながら、資本主義発祥の地であるイギリスで今なお、ローチ監督のように労働者の視点で社会性や人間性を訴え続ける人がいることを見落としてはなりません。市場原理主義は経済的に効率的ではありますが、社会的にも人間的にも、決してベストのシステムではないのです。

 

デイヴ・ジョーンズ(ダニエル・ブレイク)

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デイヴ・ジョーンズは、ニューカッスル出身のイギリスのスタンダップ・コメディアン、俳優、脚本家。テレビへの出演が多かったが、本作で一躍、世界の注目を集める。

 

ヘイリー・スクワイアーズ(ケイティ・モーガン

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ヘイリー・スクワイアーズ(1988年〜)は、ロンドン出身の女優、脚本家で、本作で世界的に知られるようになる。舞台劇「Vera, Vera, Vera」(2011年)で劇作家デビュー、また「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」(2015年)などに小役で出演している。

 

撮影地(グーグルマップ)

 

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関連作品

ケン・ローチ監督作品 

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  「浮き雲」(1996年)

  「フル・モンティ」(1997年)

  「マイレージ、マイライフ」(2009年)

  「サンドラの週末」(2014年)

  「ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015年)

 

老人を描いた映画

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