夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「さざなみ」:50年以上前の夫の恋人の遺体発見を契機に、45年の夫婦の絆が揺らぐ様を二人の老俳優が生々しく演じた、示唆に富む作品

「さざなみ」(原題:45 Years)は、2015年公開のイギリスのドラマ映画です。デイヴィッド・コンスタンティンの短編小説「In Another Country」を原作に、アンドリュー・ヘイ監督・脚本、シャーロット・ランプリングトム・コートネイら出演で、 50年以上前に雪山で行方不明となった夫の恋人の遺体が、当時の姿のまま発見されたという知らせを受けた老夫婦の揺れる心を描いています。第65回ベルリン国際映画祭で主演男優賞(トム・コートネイ)と主演女優賞(シャーロット・ランプリング)をダブル受賞、第88回アカデミー賞で主演女優賞(シャーロット・ランプリング)にノミネートされた作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト

監督:アンドリュー・ヘイ
脚本:アンドリュー・ヘイ
原作:デイヴィッド・コンスタンティン「In Another Country」
出演:シャーロット・ランプリング(ケイト・マーサー )
   トム・コートネイ(ジェフ・マーサー)
   ジェラルディン・ジェイムズ(リナ)
   ドリー・ウェルズ(サリー)
   デヴィッド・シブリー(ジョージ)
   サム・アレキサンダー(クリス・ザ・ポストマン)
   リチャード・カニンガム(ミスター・ワトキンス)
   ハンナ・チャーマーズ(旅行代理店の女)
   カミーユ・ウカン(カフェのウェイトレス)
   ルーファス・ライト(ジェイク)
   ほか

あらすじ

イギリスの小さな地方都市に暮らす夫婦、ジェフ(トム・コートネイ)とケイト(シャーロット・ランプリング)は、結婚して45年になります。子供はおらず、仕事を引退した今は平穏な日々を送っています。土曜日に結婚45周年を祝うパーティを控えた週の月曜日に、ジェフに一通の手紙が届きます。50年以上前に雪山でクレバスに落ち行方不明になっていたジェフの恋人カチャが、温暖化により雪が溶けた山中で当時の姿のまま発見されたので、遺体確認に来て欲しいというスイスの警察からの手紙です。ジェフは平静を装いながら動揺を隠せず、老夫婦の関係が少しずつ変化していきます。ケイトに事情を説明しようとするジェフは上の空になり、ケイトは家の中に冷たいものが入り込んで来るのを感じます。祝賀パーティの下打ち合わせに出掛けたケイトは、街の時計店でスイス製の高級時計を見つけ、45周年の記念に夫にふさわしいと思い、家に電話をかけますが、ジェフは電話に出ません。遺体発見の知らせに心奪われて電話に出られないのではないかと、ケイトの気持ちに疑念が生まれていきます。ケイトが家に戻るとジェフはいつもの夫に戻っていますが、彼は夕食の席でカチャとの出来事を語り出します。ジェフは当時、警察に二人は夫婦と届けており、カチャはおもちゃのような指輪を左手の薬指にしていたと話します。ケイトは動揺を隠してやり過ごしますが、内心は聞きたくありません。ケイトは存在しない女への嫉妬を覚え、夫への不信感を募らせ、夫の留守の間にカチャの写真を探します・・・。

レビュー・解説

50年以上前の夫の恋人の遺体が当時のままで発見されたことを契機に、愛する人を二度失う苦しみとそれがもたらす新たな苦しみ、幸せに暮らしていた老夫婦の関係が変化し45年の歳月が培った絆が揺らいでいく様を、シャーロット・ランプリングトム・コートネイが生々しく演じた、示唆に富む作品です。

 

妻の視点で描いているため、一見、老いた妻が夫の過去の恋人に嫉妬し、夫を許せなくなる話のようですが、実はもう少し深い話です。十数年前、フランスで休暇を過ごしていた原作者のデイヴィッド・コンスタンティンは、1930年代にシャモニーの氷河のクレバスに落ちた20代の登山家の遺体が発見されたという話を聞きます。温暖化による氷河の後退で埋もれていた遺体が現れたもので、登山家の息子が遺体確認に立ち会いますが、既に80歳になろうとしていた息子は若々しいまま完璧な形で保存されていた父親の姿に衝撃を受け、正気を失ってしまうという話です。若いまま完璧に保存されたいう遺体のイメージがコンスタンティンの脳裏に焼き付き、父親を若い女性に、息子をその恋人に置き換えた短編小説「In Another Country」が執筆されます。原作は十数ページの短編で、身重の恋人を失った苦しみを封印したまま現在の妻と長年連れ添い、年老いた夫が、50年以上の歳月を経て恋人の遺体発見の報に再び苦しみ、正気を失い、老いた妻に深い悲しみをもたらすという内容です。

 

他にも、アメリカの小説家ポール・オースターが1987年に発表した「ニューヨーク三部作 」に類似の話に言及しており、彼が脚本を執筆した「スモーク」(1995年)でもその話が引用されていますが、こうした遺体発見が遺族にもたらす心理的影響には計り知れないものがあります。1982年にモンブランで遭難した23歳の息子の遺体が32年ぶりに発見された実例では、82歳になっていた息子の父親が、そのショックについて子供を二度失うというボディブローを食らったようだったと例えています。息子は行方不明になったのではなく、山の岩の下で静かに眠っていると考えていた彼は、遺体発見により愛する者を失うという深い悲しみを二度、経験することになり、「(遺体発見は)救いになどならない、ずっと山の中にいて欲しかった」とその心境を語っています。

 

一方、原作を読んだアンドリュー・ヘイ監督は、夫の受けたショックもさることながら、長年連れ添った老夫婦の関係が揺らいでしまう点に心を痛めたと言います。そこで彼は、遺体が発見を機に老夫婦の感情が変化していくという原作の展開を残しながら、映画化に際して以下の脚色をしています。

  • 老夫婦二人の視点で描く原作に対して、妻の視点のみで描く
  • 老夫婦の年齢を原作の80代から、夫を70代前半、妻を60代後半に下げる
  • 数週間の話を一週間に圧縮し、結婚45周年のイベントを重ねて密度を高める
  • 夫の悪夢ではなく、人生の選択や抑圧された感情という普遍的な問題を静謐に描く
  • 不可解な夫の行動や妻が抱く疑念に少しホラー的要素を加え、スリリングにする
  • 夫が正気を失う原作に対して、問題解決を図る夫と自己喪失に陥る妻の危機を描く

結果、映画の印象は原作とはかなり異なりますが、撮影時、60代後半のシャーロット・ランブリングと70代後半のトム・コートネイの二人の演技派俳優が演じる老夫婦が白眉で、この年代の俳優が主役を演じる映画のリファレンスとも言える、素晴らしい作品に仕上がっています。

 

<ネタバレ>

かつの恋人の話をほとんど聞かされていなかった妻は、夫の言動に疑念を抱き、夫の恋人の写真を密かに探し当てて、彼女が妊娠中だった事を知ります。夫との生活に満足していた彼女は、「子供を産まなかった自分に夫は満足していない」と妄想するようになります。一方、なんとか苦しみを克服し、妻の気持ちを察した夫は「満足している」と伝え、心機一転やり直すことを妻に誓います。翌日、小屋から楽譜を探して来た妻は、バッハの「平均律クラーヴィア」をピアノで弾き始めます。これは、序文に「音楽の学習を志す若い人々の有益な使用のため、さらにはすでにこの学習に熟達せし人々の特別な慰めのために」と書かれている、音楽を学ぶ者のバイブルと言われる曲です。心の平穏を暗示するかのようでしたが、妻は途中でこの曲を止め、即興の曲を弾き始めます。それは打って変わって、もの悲しく、重く沈んでいきます。老夫婦は幸せな生活を送っていたのですが、苦しむ夫を見るうちに、妻は自分の人生は何なのか、自分は何を成し遂げたのか、もっと何かできたのではないか、夫のかつての恋人が生きていれば自分はここにいなかったのではないかと、自己喪失感に苛まれる、抜け出ることができなくなっていたのです。翌日、結婚45周年の祝賀パーティで、夫は「人生最良の選択だった」と妻に感謝を捧げるスピーチをしますが、沈む気持ちを振り切れない妻は二人でダンスを終えた後、喜びで高く差し上げる夫の手を振りほどき、呆然と立ち尽くすまま、映画は終わります。

 ↓

夫が苦しみを克服したことはせめてもの救いですが、二人がその後どうなるのか、映画は明らかにしません。映画はトラウマを描かないように演出されており、苦しみの余り妻を思いやる余裕のない夫の不用意な言動を非難する人が多いようです。「私なら手を振りほどくだけではすまない」と怒りを露わにする女性もいます。しかし、夫は浮気をしているわけではありません。かつて愛する恋人と彼女が宿した我が子を失った苦しみが甦り、彼を苦しめているのであり、その姿を見た妻が二次的に傷を負う破目になったのです。夫が我が子を宿した恋人の話をほとんどしていなかっのは悲劇ですが、彼女はまず受けた傷を癒やす必要があり、次に「夫との生活に満足していた」彼女の幸せを壊したのは、夫ではなく、他ならぬ彼女自身の妄想であることに気づき、また「もし夫の恋人が生きていれば」というのは無意味な考えであることに気づかなければなりません。将来は選択できますが、過去は選択できないのです。こうしたことに気づけなければ、どのような形をとっても、彼女は幸せになることができません。彼女の傷が癒えるまで夫は苦労することになりますが、さもなくば彼は愛するものを三度、失うことになります。年老いたからと言って人生は必ずしも円熟するわけではなく、どこに罠が潜んでいるかわからないことを感じさせる作品です。

<ネタバレ終わり>

 

シャーロット・ランプリング(ケイト・マーサー )

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イギリスの女優、歌手。イギリスとフランスで教育を受け、語学に堪能。イタリア映画「愛の嵐」(1974年)の上半身裸にサスペンダーでナチ帽をかぶって踊るシーンで世界的に有名になる。一時、活動が低調であったが、フランソワ・オゾン監督の「まぼろし」(2000年)で再び注目され、本作ではアカデミー主演女優賞にノミネートされている。大英帝国勲章のオフィサー(OBE)を叙勲されている。

トム・コートネイ(ジェフ・マーサー)

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イギリスの俳優。王立演劇学校で学び、1960年に舞台デビュー、「ハムレット」の舞台に立つ。「長距離ランナーの孤独」や「ドクトル・ジバゴ」といった映画作品にも出演して注目され、テレビにも出演しているが、主に舞台俳優として活躍し、これまでにトニー賞に2度ノミネートされている。2001年にナイトの称号を与えられている。

撮影地(グーグル・マップ)

 

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  「まぼろし」(2000年)

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