「戦場でワルツを」(原題:ואלס עם באשי、英題:Waltz with Bashir)は、2008年公開のイスラエルの長編アニメーション&ドキュメンタリー映画です。アリ・フォルマン監督・脚本により、1982年のレバノン内戦に関してフォルマン自身の記憶を探りながら、戦争の不毛さ、悲惨さを描いています。第81回アカデミー賞外国語映画賞にアニメ映画として初めてノミネートされた作品です。
目次
スタッフ・キャスト
監督:アリ・フォルマン
脚本:アリ・フォルマン
出演;アリ・フォルマン(本人、映像作家、レバノン内戦時にイスラエル軍に従軍)
ミキ・レオン(ボアズ・レイン=バスキーラ、レバノン内戦の帰還兵)
オーリ・シヴァン( 本人、映像作家、フォルマンと映画を共同監督した旧友)
イェヘズケル・ラザロフ(カルミ・クナアン、レバノン、内戦の帰還兵)
ロニー・ダヤグ(本人、レバノン内戦の帰還兵)
シュムエル・フレンケル(本人、レバノン内戦の帰還兵、歩兵部隊の元隊長)
ザハヴァ・ソロモン(本人、イスラエルの心理学者、心的外傷を研究)
ロン・ベン=イシャイ(本人、サブラ・シャティーラを取材、ジャーナリスト)
ドロール・ハラジ(本人役、レバノン内戦の帰還兵、戦車旅団を指揮した)
ほか
あらすじ
2006年冬、イスラエル。映画監督のアリは、旧友のボアズから毎夜みる悪夢に悩まされていることを告げられます。それは、自分達が19歳で従軍した24年前のレバノン戦争の後遺症だと言います。しかし、アリにはその頃の記憶がありません。
その夜、唐突に甦った記憶の断片は、フォルマンや仲間の兵隊たちがベイルートの海辺で照明弾が打ち上げられていく夜空の下、海水浴をする幻想でした。
アリは、映画監督で臨床精神科医の親友オーリの勧めに従い、失われた記憶を求めて世界中に散らばる戦友達を訪ねる旅を始めます。 オランダの広大な土地に暮らす幼なじみのカルミは、戦場へと運ばれる船で、巨大な全裸の女の幻覚を見たと語ります。上陸するなり、銃を乱射、通りがかった市民のベンツは蜂の巣になります。
戦車隊員だったロニーは、記憶を封印して生きてきました。「スイマー」と呼ばれた彼は、自分ひとり助かった自責の念から仲間の墓参りもできずにいます。
マーシャル・アーツの専門家、フレンケルの証言から、共に戦った兵士の中にアリがいたことを聞かされるが、アリには全くその記憶がありません。だが、取材を経て、アリの記憶は少しずつ甦ります。
レバノン大統領に選出されたばかりのバシールが暗殺された翌日、西ベイルートに向かう交差点で廃墟となったホテル群から、アリ達兵士への狙い撃ちが始まります。飛び交う弾など意に介さぬように、TVジャーナリストのロン・ベン=イシャイが、悠然と歩きます。四方八方からの銃撃の中、道の中央に進み出た一人のイスラエル兵が、ワルツを踊るような軽やかな動きで機関銃を連射し続けます。その兵士はフランケルでした。
アリは、繰り返しフラッシュバックするあの海に自分がいたはずがない、と確信します。オーリによれば、記憶を変容させた源は、アリの両親がアウシュヴィッツにいたと知った幼い日の恐怖、そして、そこに重なるバシール暗殺の復讐劇「サブラ・シャティーラの虐殺」の恐怖があると言います。アリは、自分自身の真実を見つけるためさらに旅を続けます・・・。
レビュー・解説
戦争で心に傷を負った男が戦友達を訪ね歩きながら兵士時代の記憶を取り戻す様を、アニメーションによる長編ドキュメンタリーという斬新な手法で描くこの自伝的作品は、美しく幻想的な映像表現と巧みな構成のストーリーテリングにより、幅広い層に戦争の不毛さ、悲惨さをアーティスティックに伝えます。
この映画の主人公は、イスラエルの映画監督、脚本家アリ・フォルマン本人で、1982年のイスラエルによるレバノンへの侵攻を背景としています。レバノンにはいくつかの宗教的な政党があり、各々が私的軍隊を持つという、複雑な国でした。1982年、イスラエル北部の国境がパレスチナ解放機構の兵士により爆破され、これを防ぐ為にイスラエルはレバノンに侵攻しました。アリ・フォルマンも、兵士としてレバノンに派兵されます。
映画は、アリの友人が毎日、繰り返して観るという悪夢から始まります。それは、テルアビブの通りで26頭の犬の獰猛な狂犬においかけられる夢です。レバノン内戦の際にイスラエル兵が近づいたことをパレスチナのテロリストに真っ先に知らせる犬を抹殺するのが彼の役割だった為に、20年も経ってから犬に追いかけられる夢を見るようになったことが、後にわかります。その後の数々の幻想的なストーリーテリングの展開をも暗示する、素晴らしい導入ですが、アリ・フォルマン監督は、次のように語っています。
その夢は、わかりやすく、映画製作者として抗し難いものがありました。それは映画で映像化した通りですが、その夢の話は無意識のうちに深く抑圧されていた私の過去、レバノン内戦の傷をえぐりました。これが映画化を始めた理由です。(アリ・フォルマン監督)
四半世紀前に兵士としてレバノンにいた時の記憶から欠け落ちてる断片をかき集めるアリ・フォルマン監督の自伝的な映画は、彼が聞いて回る戦友達の象徴的なエピソードが、アニメで象徴的、幻想的に描かれおり、この映画を際立たせています。彼は、当初から実写で制作することに乗り気ではありませんでした。
とても私的な経験に関する話です。私は、何か重要な部分が私の記憶から欠け落ちているような気がしていました。「戦場でワルツを」を制作している4年間には、大きな感情の高ぶりを経験しました。私は、私の記憶を埋める数多くの重大な発見をし、私と妻の間には3人の子供が生まれました。子供達が大きくなった時、どのような戦争には加担してはならないと、映画を見て正しい判断をしてくれるかもしれません。
どんな風に見えると思いますか?25年も前に起こった事について映像記録もないままに、中年男がインタービューを受けるなんで、退屈です。でも、アニメーションなら幻想的な絵で戦争の非現実的な面を捉えることができます。記憶と失われた記憶、夢、無意識下の世界、幻覚、青春、失われた青春、映画のこうした要素をひとつのストーリーに乗せるにはアニメーションしかありませんでした。他に実現する手段がありません。これは、完全に自伝的映画で、映画で描かれていることは真実です。ドキュメンタリー映画が真実で客観的であるのと同様にね。とは言うもののドキュメンタリーが真実を描くことはあり得ない。特に25年も前に起きたことを描くとなると、真実はひとつではないからね。だから、たくさんの脚色はあります。でも、アニメーションで描いたから真実でないという気持ちは、私にはありません。(アリ・フォルマン監督)
レバノン国内のイスラエルの味方はキリスト教徒で、彼らはファランジスト市民軍と呼ばれる民兵組織を持っており、多数の党による内戦状態のレバノンでイスラエルと同盟関係にありました。この組織のリーダーがバシール・ジェマイエルが、レバノンの大統領に選出されますが、数週間後に彼の事務所が爆破され、彼と彼の主だったスタッフ全員が爆死します。愛するリーダーを失ったファランジストの民兵は、爆破犯と目されたパレスチナ難民のキャンプに行軍、復讐の為に72時間に渡って3200人のパレスチナ人を虐殺、その多くは女性や子供達で無防備でした(後に爆破はシリア人によって行われたことが判明)。イスラエル政府は何が起こっているいるか知りながら、それを止める為の手を何も打ちませんでした。
この映画の原題はヘブライ語で「バシールとのワルツ」という意味で、タイトルにはふたつの意味が込められています。ひとつは、レバノンにおけるイスラエルの盟友バシール・ジェマイエル大きな看板が見下ろす交差点で、四方八方からの銃撃の中、道の中央に進み出たフランケルがワルツを踊るような軽やかな動きで機関銃を連射し続けるシーン。バックにショパンの「ワルツ第7番 嬰ハ短調」*2が流れ、戦争を描きながら象徴的、幻想的に戦争を描くこの映画の見どころのひとつであり、後に続く悲劇の序曲ともなります。もうひとつは、同じクリスチャンであるバシール・ジェマイエルと同盟を結んだイスラエルが、悲劇的な最後を迎えたバシール同様、悲劇的な事件に巻き込まれてしまうことの暗示となっています。
尚、上述の「ワルツ第7番 嬰ハ短調」だけではなく、レバノンの街に戦車で入る際に流れる「グッドモーニング・レバノン」*3など、この映画ではアニメーションのみならず、音楽も効果的に使われています。
この映画は多くの人の心を動かしましたが、戦闘に直面した兵士達の個人的な心理描写が優れていた為か、女性から予想外の反応があったそうです。
この映画は確かに人々の心を動かしました。それは予想した事でしたが、「戦争とは一体、何なのか初めて見せてくれた映画」という女性の声は意外でした。彼女らは戦争映画に反対している訳ではありません。それまでの戦争映画に描かれている戦争体験が理解できなかったのです。「戦場でワルツを」を観て、自分の夫や、息子、いつか兵士になるかもしれない小さな子供達についての数多くの事を、初めて理解できたのです。(アリ・フォルマン監督)
この映画のトーンは決して明るくなく、また、何らか解決策を示すものではありません。彼の戦争や映画の影響力に対する考え方も現実的です。
(戦争を知らないなんて)馬鹿げている、阿呆だ、役立たずだ。自分が19歳の戦車の操縦士で、あちこちに移動すると思え。それだ、それが戦争だ。
大きなエゴを持つ人たちが机の向こうで、他の人々、若い人たちを送り込み、何の意味をなく死なせることだ。それが戦争だ。それ以上の何ものでもない。それを映画にしようとしたんだ。
(アメリカでの映画公開時にガザで新たな紛争が起こった事は)驚くに値しない。紛争はいつもある。繰り返して起きるんだ。
映画は人々の間に小さな橋を架けることはできるが、世界や政治、政治家、決定、戦争への支持を変えることはできない。何も変えることはできないんだ。
(個人的で暗い)この映画が評価されたのは驚きだよ。偽善家ぶることはできなかったんだ。でも、評価されていい気分だよ。(アリ・フォルマン監督)
何らかの形で戦争に加担し、自らも傷つき、記憶を封印しつつも、悪夢に苛まれ、年月を経て心情を吐露することによって救われる。これは繰り返される争いの中で、人々が何度も経験してきたことなのかもしれません。平和を唱えても戦争がなくならないならば、争いを人の本能のひとつと認め、傷つかないような闘い方について人類共通のルールを持たねばなりません。昨今のテロ事件を見るにそれさえ難しいのが現状のようですが、せめて「中東とワルツ」を踊る国が制作するものではなく、この映画のように彼ら自身で制作した質の高い映画を、数多く期待したいところです。
<ネタバレ>
映画では、サブラ・シャティーラの虐殺の際に主人公は何処にいたのかわからないという設定になっていますが、実際のアリ・フォルマン監督に全く記憶がなかったわけではありません。 彼らは、虐殺のあったキャンプから500メートルほど離れたビルの屋上で、上官の命令に従い照明弾を打ち上げていました。そしてその二日後に、彼らはそうすることにより間接的に虐殺を手助けしていたことを知ります。彼は帰還した後に、一緒にいた人との関係を断ち切るなど、忘れる為にいろいろな努力をしていました。
我々はどこにいるかはわかっていました。交通事故などの強い脳震盪で、自分の名前や自分が誰であるか、どこから来たのかを忘れるのとは全く違うのです。それは、話のあらすじは覚えているがいくつかの断片が欠け落ちているという感覚です。私はどこにいるかは知っていましたが、私も、私の周りにいた人も、何に加担したのか、何も知らなかたのです。この映画は、それを明らかにしています。(アリ・フォルマン監督)
ホロコーストはイスラエルの人々の遺伝子です。サブラ・シャティーラ、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニッツァ、アルメニア、ルワンダ・・・、大量殺人のニュース映像は、どこで起こったものであれイスラエルの人々に衝撃を与え、ホロコーストを思い出させます。アリ・フォルマン監督はこの映画で二回ほどホロコーストを引用していますが、サブラ・シャティーラの虐殺との関係については言及していません。それは、「戦場でワルツ」の暗号のようなものですが、彼が映画の終わりに挿入した実写のニュースフィルムを見て人々は震え上がり、ホロコーストの歴史を考えればイスラエル政府がそのような残虐行為に関与するはずがないと抗議する人もいたそうです。記憶を抑圧から解放したアリ・フォルマン監督がホロコーストを引用できても、サブラ・シャティーラの虐殺へのイスラエルの関与を認めたくない人は少なくないのでしょう。それは、彼が長い間、記憶を抑圧してきたのと、似たことなのかもしれません。
<ネタバレ終り>
イスラエルの映像作家。25年前(1982年)のレバノン内戦時にイスラエル軍に従軍していた。
ボアズ・レイン=バスキーラ(右)
レバノン内戦の帰還兵。数年前から、犬の悪夢に悩まされている。
オーリ・シヴァン
イスラエルの映像作家。アリ・フォルマンと2本の映画を共同監督した旧友。
カルミ・クナアン
レバノン内戦の帰還兵。現在はオランダに移住している。
ロニー・ダヤグ
レバノン内戦の帰還兵。
シェムエル・フレンケル
レバノン内戦の帰還兵。レバノン内戦時はアリの所属する歩兵部隊の隊長だった。
ドロール・ハラジ
レバノン内戦の帰還兵。レバノン内戦時はシャティーラ難民キャンプの外に駐留する戦車旅団を指揮していた。
サウンドトラック
1. Boaz And The Dogs 2. Iconography 3. The Haunted Ocean 1 4. JSB/RPG 5. Shadow Journal 6. Enola Gay 7. The Haunted Ocean 2 8. Taxi And APC 9. Any Minute Now / Thinking Back 10. I Swam Out To Sea / Return |
11. Patchouli Oil And Karate 12. What Have They Done? 13. Into The Airport Hallucination 14. The Slaughterhouse 15. The Haunted Ocean 3 16. Into The Camps 17. The Haunted Ocean 4 18. Andante / Reflection (End Title) 19. The Haunted Ocean 5 (Solo Version) |
動画クリップ(YouTube)
冒頭の犬の悪夢のシーン〜「戦場でワルツを」
友人の悪夢を聞いた後にアリに蘇った記憶の断片〜「戦場でワルツを」
ワルツを踊るかのように銃を乱射するシーン〜「戦場でワルツを」
関連作品
「ボーフォート -レバノンからの撤退-」(2007年)
「戦場でワルツを」(2008年)
「レバノン」(2010年)
レバノン内戦、パレスチナ紛争を描いた映画のDVD(Amazon)
「ガリレアの婚礼」(1988年)・・・VHS
「西ベイルート」(1998年)・・・輸入版、リージョン2、アラビア語音声、英語字幕
「パラダイス・ナウ」(2005年)
戦争を描いた映画
「Late Marriage」(2001年):輸入版、日本語なし
「Knafayim Shvurot (Broken Wings)」(2002年):輸入版、日本語なし
「ヨッシ&ジャガー」(2002年):輸入版、日本語なし
「ジェイムズ聖地(エルサレム)へ行く」(2003年)
「Turn Left at the End of the World」(2004年):輸入版、日本語なし
「迷子の警察音楽隊」(2007年)
「Noodle」(2007年)
「Lost Islands ロスト・アイランド」 (2007年):輸入版、日本語なし
「The Matchmaker」(2010年):輸入版、日本語なし
「Zero Motivation」(2014年):輸入版、日本語なし
「Next to Her」(2014年):輸入版、日本語なし
「GETT: The Trial of Viviane Amsalem」(2015年):輸入版、日本語なし