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夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ザ・トライブ」:窃盗や売春を組織的に行う聾唖のコミュニティに巻き込まれた若者の葛藤を、全編、声・字幕なしでスリリングに描く

ウクライナ映画 オランダ映画

「ザ・トライブ」(原題:Plemya、英題:The Tirbe)は、2014年公開のウクライナ・オランダ合作のドラマ映画です。長編映画初監督とミロスラヴ・スラボシュピツキーが、主演のグレゴリー・フェセンコを含む全ての出演者にプロの俳優ではない聾唖者を起用、聾唖者の為の寄宿学校を舞台に悪の道に染まった若者の葛藤を描いています。全編セリフなし、音楽なしで作り上げられたこの映画は、カンヌ国際映画祭批評家週間グランプリなど、世界中で多数の賞を受賞したしています。

 

 「ザ・トライブ」のDVD(Amazon

 

監督:ミロスラヴ・スラボシュピツキー
脚本:ミロスラヴ・スラボシュピツキー
出演:グレゴリー・フェセンコ(セルゲイ)
   ヤナ・ノヴィコァヴァ(アナ)
   ほか

 

【あらすじ】

セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)は、聾唖者の為の寄宿学校に入学します。その学校では公式行事が開かれ、一見、民主的な雰囲気に包まれていますが、裏では窃盗や売春などを行う悪の組織「族(=トライブ)」によるヒエラルキーが形成されていました。入学早々、セルゲイも手荒い歓迎を受けます。リーダーを中心とした集団が観戦する中、数人の学生を相手に殴り合いを強要されたセルゲイは、意外な強さを示したことから、組織の一員として認められます。当初は下っ端だったセルゲイも、恐喝や凶悪な暴力行為に加担していくうち、次第に実力者として頭角を現していきます。組織の主要な財源は売春で、セルゲイは先輩に付き添い、毎晩のようにリーダーの愛人アナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)と同室の女を車に乗せて、長距離トラックが駐車しているエリアまで送り届けていました。厳寒の中、数10台のトラックの間を徘徊し、ドアを叩いて運転手に女たちを見せながら、交渉、話がまとまると女たちは運転席に乗り込みます。ある夜、駐車場で先輩がトラックに轢かれて死亡、セルゲイはすぐにその後任になりますが、毎晩のように送迎を繰り返すうち、アナに恋してしまいます・・・。

 

サイレント映画への革新的なオマージュとも言われる本作は、まるで聾唖の青年達の出来事を目の前で見ているかのような、リアルで臨場感に溢れる作品です。

 

登場人物は一人も言葉を発しませんし、BGMもありませんが、この映画は必ずしもサイレント映画ではありません。手話の字幕もありませんが、登場人物の嗚咽や、手を叩く音、車のエンジンや機械の音は聞こえて来ます。観客は、聾唖の若者達の出来事を目の前に見る立ち位置になり、青年達の時に激しい手話の身振りや手振りから、彼らの感情の高ぶりを感じることができます。映画はウクライナ手話を使用していますが、西ヨーロッパの手話を解する人は、7割方、会話の内容を理解できるだろうと言われています。ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督自身は手話を解せぬ為、出演者のセリフが脚本通りかどうか、通訳を介して確認しています。

サイレント映画へのオマージュを表現することは昔からの夢だった。一言も発せられることなく、みんなから理解される映画をつくることが。主人公が静寂を保つ映画ということではない。というのは結局のところ、サイレント映画の中でさえ、役者たちは決して物静かにしていたわけではなく、活発にコミュニケーションを取っていた。所作や非常に表現力にとんだボディランゲージで、一言も発することなく、感情や心情を伝えることを実現していた。これがまさしく、私が常に耳が聞こえないもしくは不自由な人たちの日常を、吹替なし、字幕なしで、本物の聾唖者たちと関わって映画をつくりたかった理由だ。(ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督)

 

2時間余りの映画は、34カットから構成され、1カットあたり約4分と長回しを多用、実に臨場感と緊迫感が溢れる演出となっていますが、この映画をさらにリアルで、魅力あるものにしているもののひとつは、選りすぐったアマチュアの聾唖の若者をキャスティングしていることです。主役のグレゴリー・フェセンコは新たに聾唖のコミュニティに加わった純朴な青年が辿る道を見事に演じていますし、相手役のヤナ・ノヴィコァヴァも全裸のベッドシーンや、堕胎シーンをものともせず、堂々たる演技を見せています。

私は決してこの映画を声の出る俳優たちでつくろうとは考えなかった。それではまったく違ったものになってしまうだろう。人は話をするとき、発音するのに必要な顔の筋肉しか使わないが、聾唖者はコミュニケーションをとるために体全部を使う。このことが彼らを唯一無二のものにしている。私たちはキャスティングに1年かけた。主にソーシャルネットワークを駆使して、ロシアを手はじめに、ウクライナベラルーシと300人近い人物に会うことができた。ウクライナには聾唖の役者の劇団が8つあったのだが、プロの役者には声をかけなかった。この映画の役者の大半がストリートにたむろしてるような少年少女たちで、彼らの多くは恵まれない家庭に育った子たちだった。キャスティングを進めていくにあたって最も重要なことは、完成された人物を探すのではなく、カリスマ性があり、人の注意を引きつける魅力のある人物を探すことだった。撮影は6ヶ月かかった。出演者たちは人生に残るまたとない貴重な経験をしたと思う。もっともそれは私にとっても同じだが。(ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督)

 

原題の「Plemya」(英題:The Tirbe)はロシア語で、「部族」を意味し、主人公の青年が新たに加わった聾唖者の裏のコミュニティを例えています。これは窃盗や売春を組織的に行うコミュニティですが、構成員がすべて聾唖者であることから、実際の「部族」であるが如くの異様な雰囲気さえ漂います。

ある種未来の「ザ・トライブ」の試験的な作品とも言える、短編作品「DEAFNESS」にとりかかっていた間、ウクライナの聾唖者のコミュニティーや彼らの団体の代表者たちとたくさん接点を持った。私はまたより非公式な「裏」のコミュニティーのリーダーたちにも引き合わされた。彼らが私に明かしたのは、孤立した世界の現実や、おそらく最も閉鎖的なもののひとつであろう、聾唖者や聴覚障害者のコミュニティーの慣習やしきたりだった。(ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督)

 

シャープな題材で、声も音楽も字幕もなしにここまで見せるミロスラヴ・スラボシュピツキー監督の確かな手腕を感じます。今後も聾唖路線でいくのか、どうか分かりませんが、さらに東欧に根ざした斬新な切り口の映画を期待したい監督です。

 

グレゴリー・フェセンコ(セルゲイ、右)とヤナ・ノヴィコァヴァ(アナ、左)

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キャストはすべて聾唖のアマチュアを起用

聾唖のキャスト

 

冒頭、セルゲイが降り立つバス停

セルゲイが入った聾唖者の為の寄宿学校(グーグルマップ)

ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督が子供の頃に通った学校を使用している。

教師の住むアパート(グーグルマップ)

 

聾唖を描いた映画のDVD(Amazon

  「奇跡の人」(1962年)

  「愛は静けさの中に」(1986年)

  「ビヨンド・サイレンス」(1996年)

  「ギター弾きの恋」(1999年)

  「リード・マイ・リップス」(2001年)

  「Dear フランキー」(2004年)

  「バベル」(2006年)

 

「ザ・トライブ」(2014年)

 

  「エール!」(2014年)

 

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