夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「誰でもない女」:ナチスの人口増加計画の元に生まれた女性の悲劇を描いたサスペンス・ドラマ

「誰でもない女」は2012年公開のドイツのサスペンス&ドラマ映画です。史実とハンネロール・ヒッペの小説「Eiszeiten」をベースに、ゲオルグ・マース監督・共同脚本、ユリアーネ・ケーラー、リヴ・ウルマンらの出演で、第二次世界大戦時に企てられたナチスの人口増加計画「レーベンスボルン」を背景に、その負の遺産を利用した東ドイツの秘密警察と、ノルウェイで生まれ東ドイツで育った女性と再会した母の悲劇を描いています。第86回アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表に選出された作品です。

 

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目次

スタッフ・キャスト 

監督:ゲオルク・マース
脚本:ゲオルク・マース/クリストフ・トーレ
   /スターレ・スタイン・ベルク/ユーディット・カウフマン
原作:ハンネローレ・ヒッペ
撮影:ユーディット・カウフマン
出演:ユリアーネ・ケーラー(カトリーネ、主人公)
   リブ・ウルマン(オーゼ、カトリーネの母)
   スベーン・ノルディン(スヴェン、カトリーネの夫)
   ジュリア・バッシェ・ヴィーク(アンネ、カトリーネの娘)
   ケン・デュケン(ビヤルテ、カトリーネに証言を求める弁護士)
   ほか

あらすじ

第二次大戦でノルウェーを占領中のドイツ兵を父、ノルウェー女性を母として生まれ、母と引き離されで旧東ドイツの施設で育ったカトリーネは、成人後に命がけでノルウェイに亡命、母との再会を果たし、夫と娘と孫にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っていました。1990年にベルリンの壁が崩壊、カトリーネの元にスヴェンという弁護士が訪ねて来て、戦後のドイツ兵の子を出産した女性への迫害について、その訴訟の証人が欲しいと言いますが、カトリーネはこれを頑なに拒否します・・・。

レビュー・解説 

ノルウェイの海岸の家庭を舞台に、夫と母、娘、孫との現在の関係を軸に、過去にフラッシュッ・バックしながら、一人の女性のアイデンティティの喪失をサスペンスフルに描くとともに、ヨーロッパが経験したナチスと冷戦の時代の負の資産を感じさせる優れた作品です。ベルリンの壁崩壊直前の1980年代に、ノルウェイのベルゲンで半ば焼かれたの若い女性の遺体が発見されて様々な憶測を呼んだ事件に触発されて、ハンネローレ・ヒッペが原作小説を執筆、これをベースにゲオルク・マース監督が映画化したものですが、夫と母、娘、孫との関係を軸に描くという女性の原作者ならではの視点が生かされています。

 

かつて、ナチスドイツの「レーベンスボルン」計画に従い、第二次世界大戦下でドイツ兵とノルウェイ女性の間に生まれた子供は、ドイツに連れ去られました。ドイツの家庭に養子となる場合もあれば、ドイツの孤児院で育てられる場合もありました。戦後、「レーベンスボルン」で生まれた子供達とその母は忌避され、ノルウェイでは占領時代にドイツ兵と関係を持った女性はナチスに対する協力者として強制労働キャンプに送られました。

 

一方、東ドイツでは、秘密警察(シュタージ)がこうした戦争孤児達をスパイに採用、大人になってから東ドイツを脱出させて、ノルウェイの生みの母の元に送り込み、スパイ活動をさせていました。東独なきあと、彼らはそのまま一般人として生活していたわけですが、そこに「レーベンスボルン」の被害者への補償に関する裁判が起こります。これはスパイになった子供達には身元がバレる大きなリスクでした。スパイ活動を続ける一方、ノルウェイ人の夫と結婚し、夫と母、娘、孫との幸せな生活を築き上げてきた「レーベンスボルン」の子、カテリーナの苦悩をユリアーネ・ケーラーが好演しています。

 

ユリアーネ・ケーラー(カトリーネ)

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リブ・ウルマン(オーゼ)

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スヴェン・ノルディン(ビヤルテ)

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ユリア・バッシェ・ヴィーク(アンネ、右端)

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ケン・デュケン(スヴェン)

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レーベンスボルンについて

第一次世界大戦以降、男性の戦死によって200万人以上の女性が夫ないし夫となるべき男性を失い、世界恐慌による生活苦などのための出生率を越えるほど堕胎が行われ、ドイツの出生率は激しく落ち込みました。レーベンスボルン(独語:Lebensborn)は、そうした時代にドイツ民族の人口増加と「純血性」の確保を目的として、ナチ親衛隊(SS)が設置した母性養護ホーム、福祉機関です。1936年以降、国内外の各地に次々と開設され、施設利用者である母子にはSS隊員と同様の人種条件が課せられました。

「レーベンスボルン」計画は主としてドイツ国内で実施されましたが、ヒトラーは北方人種をより純粋なアーリア人と考え、ドイツ人のアーリア化を促進する為に、ドイツ人ナチ党員男性に対してノルウェー女性との性交渉を奨励しました。1940年から1945年までの間にレーベンスボルン計画によってノルウェーの施設で出生した子供は約8000人、施設外の約4000人も含め約12000人の子供が駐留ドイツ兵とノルウェー人女性との間に生まれたと言われています。

ドイツ降伏後に当時のノルウェー政府が「対敵協力者」の処分を行い、ノルウェー人女性約14000人を逮捕、そのうち約5000人が18ヶ月間強制収容所に入れられました。ドイツ兵と結婚した女性についてはノルウェー国籍を剥奪され、出生した子供については恣意的な「知能鑑定」により、派半数が「知的障害の可能性が高い」とされました。

このような出生である122人が、「欧州人権規約」に反するとして、1999年にノルウェー政府に損害賠償を求める訴えを起こしましたが、却下されました。しかしながら、2000年に当時のノルウェイ首相が謝罪、2002年に国会で公式の謝罪と補償を政府に促す決議が採択され、2004年には迫害の度合いにより2万ノルウェー・クローネから20万ノルウェークローネの補償が決定しました。

 

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関連作品 

ユリアーネ・ケーラー出演作品のDVD(Amazon

  「名もなきアフリカの地で」(2001年)

  「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(2004年)