夢は洋画をかけ廻る

洋画のレビューや解釈、解説、感想、撮影地、関連作品などを掲載しています。タイトルは、松尾芭蕉最後の句と言われる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」由来です。病に伏してなお、夢が枯野をかけ廻るとは根っからの旅人だったのですね。映画はちょっとだけ他人の人生を生きてみる、いわば人生の旅のようなもの。願わくば、芭蕉のような旅の達人になりたいものです。

「ドラゴン/ブルース・リー物語」:夢を飛び越えて伝説になった男

「ドラゴン/ブルース・リー物語」(原題:Dragon: The Bruce Lee Story)は、1993年公開のアメリカのアクション映画/ドラマ。監督はロブ・コーエン、出演はジェイソン・スコット・リー、ローレン・ホリー、ロバート・ワグナー他。リンダ夫人の著書「ブルース・リー・ストーリー」と『燃えよドラゴン』の監督ロバート・クローズの著書“Bruce Lee: The Man Only I Knew”を原作に、ブルース・リーの生涯を映画化した作品です。

 

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ブルース・リーは渡米してアメリカン・ドリームの実現を目指しましたが、リンダ夫人と結婚、子供にも恵まれたものの、念願のテレビドラマ「燃えよカンフー」の主演はかないませんでした。帰国して香港映画「ドラゴン危機一発」(1971年)に出演したブルース・リーは、香港映画歴代の記録を塗り替える大ヒットを飛ばしました。その後も「ドラゴン」シリーズで活躍しましたが、それも束の間の事でした。彼は1973年7月20日に、「死亡遊戯」で共演予定の女優宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んで横になったまま昏睡状態に陥いり、病院へ搬送されましたが死亡が確認されました。*2 32歳の若さでした。

 

葬儀は香港とシアトルで両方で行われました。シアトルの葬儀にはブルース・リーの弟子だったジェームズ・コバーンスティーブ・マックイーンも参列し、遺体はシアトルのレイクビュー墓地に埋葬されました。彼が待ち望んでいたアメリカ・香港合作の「燃えよドラゴン」は、彼の死後、アメリカを皮切りに世界各地で公開され、大ヒットしました。

 

ブルース・リーには数々の伝説があります。例えば、

  • 動きが早過ぎる為、早めの速度で映画撮影し、通常の速度で再生していた。
  • 相手の手のひらの上のコインを瞬間的に他のものと入れ替えることが出来た。
  • 香港で育った彼はストリートファイターで、香港警察とのトラブルが絶えなかった。
  • 指で突くだけで、ジュースの缶に穴を空けることができた。
  • 片手の2本の指で「指」立て伏せが出来た。
  • トレーニングで腰の仙骨神経を痛め医者に武術は不可とされたが、その後5本の映画に出演した。
  •  仰向けの状態からお尻を軸に体を折り曲げる「Vシット」の姿勢を、30分以上キープ出来た。
  • サンドバッグを蹴って天井にぶつけたり、破裂させることがあった。
  • キック2000回、パンチ5000回、ウェストツイスト360回、シットアップツイスト100回、レッグレイズ100回、ラーニングツイスト200回、カエルキック200回ほかのトレーニングをこなしていた。
  • わずか1インチのストロークのパンチで、相手を4、5メートルも吹っ飛ばすことが出来た。

多くは真実の様ですが、ブルース・リーならすべてさもありなんです。ここに、一つの映像があります。

 

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ブルース・リーの没後35周年を記念して、香港のノキアが携帯電話のプロモーション用に作成したビデオです。実はフェイクですが、実際のブルース・リーならこのくらい出来たはずと思わせるところが、伝説になったブルース・リーの凄さではないかと思います。

 

燃えよドラゴン」で、一躍、アクションスターとして世界にその名を轟かせたブルース・リー、しかし彼はハリウッド・スターとしてアメリカン・ドリームを満喫することなく、夭折してしまいました。ブルース・リーは夢を飛び越えて伝説になってしまったんですね。

 

ブリースリーの主な主演作品:

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*2:映画では死因を扱っていないが、公式な死因は脳浮腫とされている。司法解剖の結果、脳が極度に肥大化していたことが判明した。検死報告によると、彼の脳は約13%膨らんでおり、頭蓋内圧亢進により脳幹部が圧迫されて死に至ったと考えられている。 リーは、「燃えよドラゴン」の撮影約一ヵ月後の1973年5月10日、スタジオで音声吹き込み中に昏倒し意識不明の重体に陥いった。病院に運ばれたが、2時間後に回復し、13日には退院した。その後、渡米し精密検査を受けるが、結果は「異常なし」であったとされている。
脳浮腫が起きた原因は、背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用と言われている。 死因に関して紛糾したため、香港政庁は1973年9月に死因究明裁判を開いた。イギリス統治下にあった香港で出された正式判決は「死因不明」であり、脳浮腫が起きた原因は特定されなかった。
リーの死因が鎮痛剤による過剰反応であれば、アナフィラキシーショックを起こしたことなる。この場合、首のかぶれという外傷を呈するが、報告書には「目立った外傷はなし」と記述されている。アナフィラキシーショックの症状が認識されたのは1995年以降のため、死亡当時は可能性が検討されていなかった。イリノイ州シカゴのクック郡医療検査官事務所のジェームズ・フィルキンスは、死因を「癲癇による突然死」であるとしている。